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青森県上北郡六戸町下吉田字米沢。赤石は赤石家(三戸御給人赤石周蔵・文政年間)から発展した集落です。相内(南部町)の赤石家の庭には記念碑と鳥居・小祠があります。小祠には石殿が納められ、初代赤石周蔵が奉祭していた水稲農耕の神であり、屋敷神として信仰。これが守護神として勧請された竹駒稲荷神社です。氏神様として祀っていましたが、集落が大きくなったことにより、分霊されて昭和13年旧8月1日より村の産土様として現在地に祀られるようになります。
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赤石集落西側の台地、えびな山の中腹に二間四方の社殿を持つ赤石竹駒稲荷神社が鎮座。社殿扁額には「竹駒稲荷大明神」とあり、その下に「赤石村倉前神社並に鳥居建立寄附者芳名」があります。社殿内の「稲荷神社草創縁起由来」の扁額には、「当稲荷神社の草創縁起を尋ぬるに文政七年三月三戸御給人赤石周蔵時の藩主南部利義公の許可を得下田村谷地と申す処を披立するに当り部落建設の要件として民心の統一を計り勤労の精神を養ふ為に敬神の必要上赤石氏の守神稲荷大明神を相内村より勧請して赤石宅地内に一社を建立し遷座せり。当時当部落に来り住し披立に協力したる者に工藤滝蔵野場丑松伊保内嘉助橘留吉等あり共に敬神の念深くよく勤行せり縁日は毎年旧暦三月朔日八月朔日と定め例祭を行ひ来れり然るに年経るに従ひ民家も殖え氏子の数も多くなりしを以て昭和十三年部落民協議の結果社地を現在地に移し新築落成仝年旧暦八月朔日遷宮式を挙行せり是より祭日を新暦四月十日九月十日と改め祭典を行ふ事とせり 神徳あらたかにして慕ひ詣る者逐年その数を増し祈誓するに願望一つも成就せざるはなく五穀年々倍加増収を見るに至れるは神の力に依る処多しとや言はん不侫喜代七謹みて草創縁起を記して其の徳を頌し永世之が守護を祈ると云ふ 昭和33年4月10日神主赤石喜代七(※以下氏子9名の名は省略)」とあります。社殿中央には御神鏡、両脇には一対の木彫狐像が安置されています。
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3.5
手水石。その横の御神木前に「祈願の植樹(杉)」(昭和51年9月13日建立)とあります。
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境内の小祠。摂社の蒼前様です。中は荒れていました。
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竹駒稲荷大明神とともに農業の神として地域の人々の生活の中に根付いています。
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P.S.ここ1ヶ月、ねこねこ食パンばかり食べています。
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