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根城の広場(根城跡 / 八戸市)』からの続きです。
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木橋。中館からこの木橋を渡った先が本丸になります。本丸の面積はおよそ1万6千平米で、本丸を取り囲む堀は幅15m、深さ8m。根城はすべて空堀で堀底は連絡通路になっていました。木橋は本丸から斜めにかかっており、敵が迫ってきたときは、本丸に渡れないように橋を落としました。橋の下の小さなくぼみは馬止めの穴で、穴を見て敵の馬が止まるので、城側から攻撃しやすいようになっています。※手すりは安全のために取り付けられたものです。
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木橋を渡った先に北門。
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東門。本丸の正式な門。柱の跡、控え柱跡が検出されたことから、主殿に通じる門なので本丸の正式な門と考え格の高い棟門としました。門に付いている金具の乳金具、八双金物は出土品をもとに復原。ちなみに東門の先に料金所があり、ここから有料区域になります。
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本丸跡…『本丸跡は、南部家の当主やその家族が住んでいた根城の中で最も重要な郭です。この郭を復原整備するため、昭和53年から11年間にわたって発掘調査が行われました。この結果、南部氏により築かれた建物跡が約400棟発見され、復原整備は、このうちの安土桃山時代に相当する建物跡に基づいて行われています。当時の南部家の当主は第18代政栄か第19代直栄であったと考えられています。』
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案内板。根城は、建武元年(1334)に南部師行によって築城されたと伝えられます。南部氏は、甲斐国(現在の山梨県南部町・身延町)に拠点を置いた有力な鎌倉御家人であり、南北朝時代には北畠顕家に従い奥州における南朝方の中心的な存在として活躍し、その勢力は現在の秋田県比内・鹿角地方、岩手県閉伊・遠野地方にまで及びました。南部師行は延元3年(1338)、北畠顕家と共に泉州石津(堺市)で討ち死にしますが、その後も根城は師行の子孫らによって守られ、南部氏の居城として数々の歴史や伝説の舞台となりました。秀吉の時代、根城南部氏は同族の盛岡南部氏の家臣格となり、やがて寛永4年(1627)、遠野へ領地替えになります。これにより、根城は城としての役割を終えました。この間約300年、ただの1度も落城することのなかった名城です。根城は、昭和16年に国指定史跡となり、平成6年には史跡公園として整備されました。また、平成18年には日本でも数少ない中世城郭の特徴をよく伝える城郭配置と、長年にわたる復原整備・保存活動が評価され、日本100名城に選ばれました。史跡指定面積は183,320.79㎡です。※写真は左から武田菱紋、根城・遠野南部氏向鶴紋、三戸・盛岡・八戸南部氏向鶴紋。
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南部氏の流れ。
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南部氏の支配圏。
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根城南部氏。
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根城復元予想図(日本100名城。北奥の雄・根城南部氏の居城)…『根城は南側の段丘が緩やかに馬淵川右岸に向かって下降する先端部、標高20メートルの所にあって、その地形を巧みに利用、郭をつくり、堀を掘り、土塁を築き、馬淵川を堀代わりとし防備をかためている。』
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根城城郭配置図。
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根城(全景)。
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納屋。
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竪穴式の建物で、茅葺きの屋根が地面近くまで葺きおろされています。
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中に入って見学可能です。
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納屋…『これらの建物は、地面を30cmほど掘りくぼめて土間にしています。出入口が小さく窓がないので、内部はうす暗くなっていますが中には、米・味噌・梅漬けなどが入れられたと考えられます。納屋は、工房や鍛冶工房とことなりすべて本丸の端に寄せて建てられていました。』
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井戸跡。この井戸跡には井戸掘りの人が登り降りした足かけ穴が、よくのこっていました。
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工房。
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19.5
工房内部へ。
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この建物は竪穴式で、地面を長方形に掘りくぼめて床としています。このような竪穴建物は、東北地方北部から北海道南部の城や館の中でよくみられます。
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建物の中では、職人たちが合戦や儀式にそなえ、鎧や弓などの修理をしていました。鎧のつづり紐や部品をとり替えたり、弓などの漆がはげたところを塗り直す作業が慎重に行われていたことでしょう。
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イメージ。
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工房横から見た主殿。手前は常御殿(屋根の構造が明確でないため平面表示)。
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常御殿。当主が普段居るところで、領内を治めるための仕事をしていたところです。重臣たちと協議したり、来客と接見するための広間や寝所、従臣の詰所などがあったと考えられます。
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主殿(面積は544㎡・約164坪)。建物全体の8割は青森ヒバを使っており(一部に杉と松を使用)、総工費は約6億円。昔の大工道具、槍カンナ、当時の釘を使い本格的に復原。古色を出すために柿渋を塗って仕上げています。屋根はサワラの栃葺。本丸内には主殿を中心に馬屋、工房、鍛冶工房、板蔵、納屋などが復原されており、これらは石垣に囲まれ櫓や天守閣がそびえる城よりも古い時代の城郭を再現したものです。
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主殿…『この建物は、当主が特別な来客と会ったり、さまざまな儀式を行ったところです。儀式で使う道具や、南部家に伝わる重宝もここに納められ、大切に管理されていました。建物の中は、大きな部屋が規則正しく並んでいて、土間の台所のほかは板じきになっています。畳は、特別な会見や儀式の時にだけ出して使われたようです。』
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上馬屋。手斧削りで施工。身分が高くなると板敷きになっています。展示してある馬は発掘により、埋葬された馬の骨格から復元。腹の下の綱は馬の体重を支えたり動きを制するためにあります。道具には、馬櫛、ちりとり、ほうき、轡(くつわ)、鞍、鐙(あぶみ)、鼻ねじり棒、蹄用小槌があります。
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上馬屋…『この建物は、当主が所有している馬を繋いでいたところです。南部地方は、古くから駿馬の産地として知られており、各地の武士たちがここの馬を手に入れようとしていました。南部駒の中でも特に優れたものが当主の馬に選ばれました。合戦に行くときの当主の馬は、立派な馬具で飾られてここから引き出されたことでしょう。』
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長くなりましたので、『根城跡~其之参(八戸市)』へ続く。
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