1
秋田県秋田市大町5丁目。大町は江戸期からの町名で、かつては久保田大町、秋田大町ともいいました。江戸期は出羽国秋田郡のうち。秋田藩領。久保田城下町の1つ。1-3丁目がありました。成立は慶長12年で城下町の外町で最も早くから発展。慶長年中に大町物といわれる絹織物・木綿・古手(古着)・麻糸・小間物・絹糸など繊維製品の家督専業権を得て、この特権の代わりに運上として伝馬・歩夫の提供・取締りを命じられていました。延宝元年には家督運上として両夫役に替えて駄賃銭と賃金をもって上納するよう要求されるようになります。同6年には1丁目だけに蝋燭の脇売り禁止という家督商品の追加が認められます。同7年には所々に脇売りが出て家督権も侵害されたため1-3丁目ともに取締りを願い出ています。藩はその対策として文政11年、嘉永3年の2度にわたり脇売り禁止をふれましたが実効は乏しかったといいます。3丁目では便法として大町以外の本家町人が町内に借家することによって家督商品の販売が認められていたという記録もあります。寛文7年の家督についての定によると質屋の存在がみえますが、質屋が天和4年に家督権侵害を企て反物類を除く古手類の商いを実現し、家督の独占権は次第に低落。1丁目にはたばこ店がありましたが、慶安2年1月22日に本町5丁目に移管。早くから旅人宿が発展し、寛永6年通町3か丁とともに大町各丁は2階建てが命じられました。同8年、堀川普請の人足の割当てで1丁目に32人、2丁目に35.5人が割り当てられました。寛文3年の1丁目の間数41.5・家数30、2丁目の間数40・家数29、3丁目の間数36・家数31。同6年には1丁目川端の水汲場破損の補修費に1・2丁目はそれぞれ銀22匁の最高額を割り当てられています。元禄元年3丁目から出火して920戸を焼失。同4年各丁に1人の庄屋を置くことが義務付けられています。正徳4年の大火で2丁目が焼失。更に享保15年には1丁目2,034軒、2丁目1,110軒が焼失。延宝2年に2丁目と内町を結ぶ二丁目橋が落成。3丁目の家屋敷構成は寛文3年、本家31、享保16年同32、天明3年同34、元治2年同29・借家29・長屋者8と変化し、長屋層の存在は天保3年以前からあり、幕末期には借家層とともにその増加が目立ちます。その多くは職人及び仲買人・日雇いなど生活不安定な階層と推定。3丁目は金銀両替の特権を持っており、元禄9年に秋田銀との引換えを始めていました。3丁目東側にあった金木屋呉服店は津軽の大津屋の出店として店の規模も手代の数ともに久保田町第1でしたが、天明の飢饉前後に店仕舞いをしたといいます。安政2年には山新木綿として地織り木綿の育成に努めた山中新十郎の織座が3丁目で始められました。明治4年から秋田町の町名。同11年南秋田郡に所属。同22年秋田市の町名。同18年市街に区分され1丁目家数59戸、2丁目62戸、3丁目41戸、翌19年の俵屋火事により3か丁は全焼。同年の戸長調べでは大町・川反・上下通町・茶町・上下亀ノ丁・大工町など17町の戸長役場が1丁目にありました。明治9年、3丁目に秋田警察出張所が移転。同26年秋田警察署を開署。同15年「秋田日報」が1丁目で発刊されて同22年「秋田魁新報」となります。同15年「秋田日日新聞」が2丁目で発刊され、同32~42年まで2丁目で「秋田公論」、その後身の日刊紙「秋田時事新報」が大正9年まで刊行され、後者は茶町に発行所が移転。明治29年秋田銀行が3丁目、同31年秋田農工銀行が2丁目に設立。大正14年3丁目の山新跡に山口銀行、同15年同じく3丁目に秋田商工会議所が建てられました。明治41年には辻合資会社が2丁目に創立。同43年には合名会社風間呉服店が1丁目に設立。住居表示実施により、昭和40年川反1-4丁目・川反上5丁目・川反下5丁目・上肴町・下肴町・上亀ノ丁・下亀ノ丁・上米町1-2丁目・下米町1-2丁目・茶町菊ノ丁・茶町扇ノ丁・茶町梅ノ丁・田中町・柳町・豊島町・八日町・本町4-6丁目・横町・船大工町・十人衆町・鉄砲町の全部と新大工町・上通町・中通町・大工町・四十間堀川反町・四十間堀町・上鍛冶町・誓願寺門前町・寺町の各一部を合わせて現在のの大町1-6丁目となっています。
2
最初道を間違えてこの路地に入ってしまいました。
3
ちょっと神社風に見えたのですが全然違いました。ってことで偶然見つけた気になるお店「穴凹anaboco」。隠れた名店たる雰囲気。
4
ちなみに稲荷神社の入口はそのすぐ横のこちらの路地でした。
5
社号標。
6
裏面…『昭和12年5月寄進者船木末吉』
7
参道。
8
歓楽街の中心ですが緑に溢れていました。
9
鳥居。
10
手水石。
11
なお、当稲荷神社の由緒等についてですが、旧町の歴史的経緯、稲荷神社であること、また、鎮座地的にもある程度の予測はつきますが、特に調べておりません。
12
狐一対(大正4年10月修正)。
13
13.5
石灯籠一対(昭和13年5月吉日、日支戰捷記念)。
14
14.5
拝殿。
15
拝殿向拝神額。
16
境内社。
17
空です。社名ではなく「誠心」という額が掲げられています。
18
奥には「昭和拾三年六月拾九日建立、本町五丁目船木末吉」という棟札が見えました。
19
さて、この付近にはたくさんのお店が立ち並び、夜になると雰囲気が一変します。
20
上記の「穴凹」も然り、色々なお店に行ってみたい気持ちもあるのですが、以前『川反通り・川反飲食店街』の記事でも紹介しましたМさんがいる「だんまや水産秋田大町店」へ。当記事で紹介している正一位稲荷神社のすぐ近くです。
21
21.4
21.8
地元民でもないし、結構前に1度訪れただけなのに、Мさん私のこと覚えていてくれました。さすがです。それだけでも再訪して良かった思いました。
22
しかも店内は以前と同様満員で、とても忙しそうなのに指名にも応えてくれました。
23
忙しいのに指名するな!って話ですが…そもそも居酒屋で指名って!?笑
24
ってことで今回も楽しく美味しい一時を過ごすことができました。ありがとうございました。
25
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ