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小坂鉄道レールパーク』からの続きです。
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機関車庫へ。現役で稼働する車両や整備風景、鉄道ゆかりの貴重な資料が満載。機関車庫は昭和37年に建築された機関車庫を当初の趣をそのままに修復。中には小坂鉄道で活躍した車輌を収めています。
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車輌の整備や保管を目的とする機関車庫本来の役割のほか、鉄道の歴史や車輌の仕組みなど、町と鉄道の関わりを知ることができる歴史展示室があります。
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写真は歴史展示室内です。
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5.5
エンジンや当時使用していたカバン、ゴム印、切符なども展示。一部紹介。
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6.4
6.8
サボなど。
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ディーゼル機関車プレート。
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DC1、DD11ディーゼル機関車の車号銘板。DC1機関車は昭和31年(1956)に、DD11は昭和58年(1983)に廃車となり、銘板だけが保存されています。
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ディーゼル機関車社名プレート。同和鉱業小坂鉄道時代の銘板で、DD11に着けられていた同和鉱業株式会社の社章。平成元年の小坂製錬鉄道への変更以後は、銘板が外されて「KOSAKA」のロゴが各車両に記されるようになりました。
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カニ24電源車標記サンプル。寝台特急あけぼのに使用された電源車の標記で、塗装修繕の際のサンプル。「形式」カニの「カ」は、車体の重量(47.5トン以上)、「ニ」は荷物車を、「24」は車両の系列を表します。「自重」は車体のそのものの重さを表します。「換算」は、換算両数のことで、鉄道の運転業務で用いられる重量の単位です。各車両の換算両数を加算することで、その列車のおおよその全体重量を算出できるようにしたもの。通常は、重量10tにつき「換算1両」として数えます。「積車」は荷物や乗客を積んでいる場合、「空車」は積んでいない場合です。
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なつかしの車両たち1。
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2号蒸気機関車(六輪連結C型タンク機関車 軌間762mm)。明治40年(1907)1月アメリカ合衆国ボールドウィン社製。同社製造のB型1号機関車、2号と同型の3号・4号とともに小坂鉱山専用鉄道時代から在籍した。2号機関車は、明治41年9月に皇太子殿下行啓のお召し列車を引いたことで知られる。また、ボストンマラソン優勝の山田敬蔵選手をモデルに制作された映画「心臓破りの丘」(昭和29年)では、主人公の父(機関士役)を演じた俳優の宇野重吉を乗せて疾走する姿が話題となった。昭和36年(1961)廃車。
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ハ5客車(ボギー貫通三等客車 軌間762mm)。明治40年(1907)6月東京汽車会社製。二・三等客車2両とともに開業前に導入された3両の三等客車(定員44人)の内の1両。明治42年(1909)の開業後にも同型3両が導入され、当初は機関車4両、客車8両が在籍した。762mm用とは思えない大きさと、両端にオープンデッキ、客室のドアは開き戸というアメリカンスタイルで、まだ珍しかったクライマックス自動連結器を備える自慢の車両だった。昭和37年(1962)の小坂線改軌に伴い、新潟県の越後交通栃尾線に転出した。
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256号蒸気機関車(230形1B1型タンク機関車 軌間1,067mm)。明治41年(1908)汽車会社製。元々、鉄道院で活躍し、昭和24年(1949)に秋田中央交通(現八郎潟駅から五城目町を結んだ鉄道。現在はバス会社)に導入されたが、翌年の電化によって、昭和26年(1951)9月、小坂鉄道に転入した。同年に軌間762mmから1,067mmに改軌となった花岡線で使用され、小坂鉄道で最後まで残った1,067mm用蒸気機関車であったが、昭和37年(1962)9月に廃車となった。
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30形電気機関車(凸型電気機関車 軌間762mm)。昭和2年(1927)11月日立製作所製。小坂線と小坂駅-茂内駅間の電化に合わせて2両発注され31番と32番の番号となった。台車は3両分あって1両分は常に予備とすることが可能で、台車点検の際に両機とも休むことなくフル稼働できた。小坂町民に最も親しまれた機関車だったが、小坂線の改軌に合わせて昭和37年(1962)9月に引退し、昭和39年(1964)に廃車となった。
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キハニ1001ガソリン動車(三等手荷物ガソリン動車 軌間1,067mm)。昭和6年(1931)1月日本車輌製。前後の両端に荷台があるのが特徴で、両運転台、定員46人のガソリンカー。車両記号のキは気動車を、ハは三等客車を(イは一等、ロは二等)、ニは荷物車を表す。昭和30年(1955)4月同じ同和鉱業系列の岡山県の片上鉄道から譲り受けたキハニ101を改番し花岡線で使用した。昭和34年(1964)のキハ1005導入後は休車となり、昭和36年(1961)9月に廃車となった。
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なつかしの車両たち2。
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キハ1005ディーゼル動車(41500形三等ディーゼル動車 軌間1,067mm)。昭和10年(1935)新潟鉄鋼製。一時休車後、昭和26年(1951)い東急横浜製作所で改造され、キハ41545として復活。昭和34年(1959)5月小坂鉄道が国鉄から譲り受けて改番した。前後の両隅に運転台があり、定員は109人。塗色が特徴的で、屋根が黒色、窓周りが暗黄色、窓の上下が橙色であった。キハ2100形が増備されるまで活躍し、昭和42年(1967)5月南部鉄道(現青森県八戸駅と五戸駅を結んだ。後の南部バス)に譲渡されたが、翌年十勝沖地震の被害が大きく同鉄道が休止となったため岩手開発鉄道に転出し、昭和50年(1975)12月に廃車となった。
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DB2ディーゼル機関車(四輪連結小型簡易入換機関車 軌間1,067mm)。昭和41年(1966)10月日本車輌製。小型の簡易入換用ディーゼル機関車で、主に小坂鉄道花岡駅と花岡鉱山とを結ぶ構外側線、小坂駅と小坂鉱山を結ぶ構外側線で貨車の入換作業に従事した。このほか、昭和26年(1951)製造で宮城県の栗原鉄道から転入した軌間762mm用のDB1ディーゼル機関車も在籍し、構外側線開業前に小坂駅・小坂鉱山間を結んでいた軌間762mmの山内専用鉄道で、主に貨車の入れ換えに活躍した。
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DC1形ディーゼル機関車(軌間762mm、軌間1,067mm)。小坂鉄道では、昭和30年代になると蒸気機関車を順次廃止し、内燃化(ディーゼル化)が図られるようになり、新型の小型機関車が導入された。初めに軌間1,067mmのDC1が昭和31年(1956)4月に、次いでDC2が翌年4月に花岡線に配備された。小坂線には、同型で762mm用の台車を備えたDC3が昭和32年(1957)7月に、DC4が昭和34年(1959)7月に導入された。4両とも新三菱重工業三原製作所製造。DC3・4は、当初から小坂線の改軌を想定して製造されており、改軌の際に同工場に送られて台車を1,067mmに改造した。DC3・4は昭和49年(1974)に廃車となり、DC1・2は花岡線で入換作業に従事した後、昭和55年(1980)に廃車となった。
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DD10形ディーゼル機関車(軌間1,067mm)。小坂線の改軌に合わせ昭和37年(1962)9月DD11~13の3両が新三菱重工業三原製作所で製造された。昭和39年(1964)に重連総括制御ができるように改造され、DD130形の登場まで主力機関車として活躍。昭和42年(1977)・43年のDD130形導入の後、DD11が小坂駅と小坂鉱業所を結ぶ構外側線用に、DD12・13は花岡線の貨物牽引用となった。その後、昭和58年(1983)に花岡線貨物と小坂の構外側線が廃止されるとDD11・12は廃車となり、DD13は小坂駅で入換専用として活躍したが、平成7年(1995)に廃車となった。
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小坂鉄道の100年1909~2009~小坂鉱山の発展とともに~
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小坂鉄道の開業。
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黒鉱ブームと小坂線の改軌。
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鉱山の縮小と鉄道事業の廃止。
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小坂鉄道の沿革と保存活用への道のり。
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DD132ディーゼル機関車。
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このディーゼル機関車は、新黒鉱鉱床の発見などによる鉱山鉄道としての輸送力の増強を目的として、同和鉱業株式会社の発注により新造されたものです。主に国鉄で使用されたDD13形式とほぼ同型ですが、一般的なDD13は入換え運転用に運転台が横向き一カ所であるのに対して、小坂鉄道のDD130形式は、本線で運転されるため正面向きの運転台が前後に設けられています。また、硫酸を積んだタンク車など多くの貨車を引き急勾配を駆け上る必要があることから、先頭の機関車の運転士が後ろの機関車を制御することができる重連総括制御の機能を持っています。
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29.5
1両に2基搭載された排気量31,000㏄の大きなエンジン音を響かせながら、長大なタンク車の列を牽引するDD130形機関車三重連の勇姿が人気を集め、多くの鉄道ファンを魅了しました。しかし、平成20年(2008)4月の小坂鉄道営業休止、そして翌平成21年4月の廃止とともに、40年以上にも及ぶ使命を終えました。平成23年(2011)5月、町では旧小坂駅のレールパーク化をめざしてディーゼル機関車の整備を開始し、再びエンジン音を響かせることに成功。ここに動態保存されています。平成26年(2014)6月からは、小坂鉄道レールパークで行われるディーゼル機関車運転体験の主役としても活躍しています。
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30.5
(構造の概要)
1.機関:振興造機製ディーゼルエンジン DMF31SB型 過給器付き 500ps/1,500rpm
2.重量:55t(運転整備時)、53t(空車時)
3.最大寸法:長13,600㎜×幅2,865㎜×高3,850㎜
4.製造所名:汽車製造会社(後に川崎重工と合併)
5.製造月日:DD131・DD132 昭和42年11月、DD133 昭和43年8月
6.形式:DD130形【DDの最初の「D」はディーゼル機関車を、次の「D」は動輪を4つ備えていることを表す記号】
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DD131ディーゼル機関車。
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DD133ディーゼル機関車。
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33.5
トラ4002。昭和15年(1940)に日本車輌で製造されたトラ4000形式(荷重17トン)の無蓋貨車で、トラ4200として国鉄で活躍しました。昭和37年(1962)の小坂線改軌に伴って小坂鉄道に転入し、車号をトラ4002と改めて鉱石輸送等に使用されました。
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DD13-556ディーゼル機関車。
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このディーゼル機関車は、同和鉱業株式会社経営の岡山県柵原鉱山で鉱山鉄道として運営されていた片上鉄道が、昭和43年(1968)に最初に導入したものです。昭和53年(1978)9月に、兄弟鉄道であった小坂鉄道に転入し、予備機関車として使用されました。主に国鉄で使用されたDD13形式とほぼ同型ですが、一般的なDD13は入換え運転用に運転台が横向き一カ所であるのに対して、本線で運転されるため正面向きの運転台が前後に設けられています。小坂鉄道オリジナルのDD130形機関車より全長が800㎜長く、また総括制御機能は持っていないため重連の際には協調運転となります。冬期間にはキ115ラッセル車の運転に使用されることが多く、脇役ながらも多くの鉄道ファンを魅了しました。しかし、平成20年(2008)4月の小坂鉄道営業休止、そして翌平成21年4月の廃止とともに、その使命を終えました。平成23年(2011)5月、町では旧小坂駅のレールパーク化をめざしてディーゼル機関車の整備を開始し、再びエンジン音を響かせることに成功。ここに動態保存されています。平成26年(2014)からは、冬期間に小坂鉄道レールパークで行われるラッセル車運転体験でも活躍しています。
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(構造の概要)
1.機関:新潟鉄工製ディーゼルエンジン DMF31SBI型 過給器 インタークーラー付き 600ps
2.重量:55t(運転整備時)、53.5t(空車時)
3.最大寸法:長14,400㎜×幅2,840㎜×高3,849㎜
4.製造所名:日本車輌製造株式会社
5.製造月日:昭和43年9月
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37.5
キ115ラッセル車。
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キ100形ラッセル車は、昭和初期から30年代初頭にかけて製造された国鉄初の単線用鋼製ラッセル除雪車です。車両本体には動力がなく、機関車に後押しされて走行します。車両の前頭がラッセル部で、車両前側が操縦室、後側が機械室となっています。機械室の左右側面には大型の除雪翼(ウィング)を持ち、これを左右に開くことでラッセル部がかき分けた雪を線路脇に押し退けることができます。この除雪翼やラッセル部下にあるフランジャを動作させるのは空気シリンダとなっており、機械室屋根には機関車から送られてくる圧縮空気を溜めておくエアタンクを6基備えています。小坂鉄道のキ115は、昭和10年(1935)に鉄道省浜松工場で製造されたラッセル車を、昭和44年(1969)に新潟県の国鉄新津工場から譲り受けたもので、オリジナルの黒色から塗り替えられたエメラルドグリーンの塗色を特徴としています。国鉄時代の車号キ134を、越後から来た由来を忘れないよう100番台のイチ・ゴ(エチゴの訛り)としてキ115としたというエピーソードとともに、小坂鉄道レールパークに動態保存されています。冬期間は除雪体験にも使用されます。
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(構造の概要)
1.重量:31.1t
2.最大寸法:長11,390㎜×幅2,621㎜×高4,015㎜
3.製造所名:鉄道省浜松工場
4.製造月日:昭和10年
5.形式:キ100形【ラッセル車の記号「キ」は雪かき車の「き」を表す記号】
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R105形モーターカー。昭和37年(1962)6月に富士重工宇都宮製作所で製造され、小坂鉄道で作業員や資材を運ぶなど保線作業に活躍した小型のモーターカーです。小坂町立総合博物館郷土館に静態展示されていたものを、平成25年(2013)6月に復活運転させました。
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エボルタ電池鉄道。エボルタ電池鉄道は架空の鉄道会社の名称。これはパナソニックによって行われる「エボルタチャレンジ2014」というイベントのために設けられた鉄道会社で、この鉄道会社はアルカリ乾電池を動力源として電車を走らせようというもので、乾電池で走るという専用の車両も製造されました。走る区間は廃線となった小坂製錬小坂線の区間で、2014年11月2日12時45分、定員10人を含む総重量約1tの特殊段ボール製でEVOLTA単1型乾電池99本で動く電車が秋田県大館市にある旧雪沢温泉駅付近を発車。電車はパナソニックと秋田県立大学が共同開発し、電車そのものの重量は約400kg。途中4か所に停車して地元の小学生を乗せ、6km/hというゆっくりとした速度で走行し、約2時間後に約8.5km先の旧御成町踏切に到着し運行を終了。
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※車両の説明は現地案内板を主に引用。
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43.4
43.8
腕木式信号機・出発信号機(小坂鉄道レールパークの車庫横にある)・踏切警報機。※一般的な説明箇所については省略します。
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44.4
44.8
連結器。
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タンク車の標記。
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濃硫酸を運搬したタンク貨車廃車の際に、小坂駅での解体を依頼された車両もあった。この標記類は解体作業時に取り外されたもの。積算重量や車両の所属、検査種別などの表記が読める。
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こう配標。こう配とは1000m進んだ地点の高低差(メートル)。小坂鉄道では25/1000が最大で、1000m先の地点で25mの高低差がある。
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通票授器。茂内駅に現存する。
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車両接触限界標。
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制輪子。
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警笛。小坂鉄道レールパーク(旧小坂駅)に留置されているキハ2100形で使用されていあt。DD130形に比べて野太い音色である。
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エンジンに入ってるピストンの実物(軽自動車660cc・普通自動車2,000cc・キハ2100形17,000cc・DD130形ディーゼル機関車31,000cc)。
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53.5
後部標識灯。
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小坂鉄道レールパーク(旧小坂駅)に留置されているワフ28000形貨車で使用された後部標識灯。列車最後尾に連結され、車掌車を兼ねた同車両の左下の取っ手に取り付けられた。夜間にライトを点灯させる際、元々は標識灯内部のバッテリーから給電していたが、車両本体のバッテリーから配線を引き出すように改良された。
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踏切動作反応灯(向かって左)・入換信号機識別標識(向かって右)。踏切動作反応灯は点滅することで、踏切遮断機が全て降下完了したことを運転士に知らせるために設置される。小坂鉄道レールパークには本線出発信号の下に新町踏切の踏切動作反応灯がある。入換信号機識別標識は大館駅構内の第一種継電連動装置(信号機と転てつ器等の間を電気的につなぎ、構内の列車の進路安全を確保するための装置)を構成し、車両の入換のため、線路の開通方向及び関係転てつ器がロックされていることを示す標識。
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腕木式B形遮断器防雪カバー。腕木式踏切遮断機のウエイトが雪に埋もれて動かなくならないように収納するカバー。明治百年通りの康楽館横にある学校前踏切をはじめ沿線各所に黒塗りされた状態で現存する。
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場内信号機。駅に進入する列車に対して信号を現示するもの。出発信号機と同じ赤の腕木であるが、出発信号機よりも腕木が長く120cmある。明治百年通りの康楽館横にある学校前踏切から小坂鉄道レールパーク(旧小坂駅)に向いて左側にある。
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通過信号機。場内信号機の下に設置され、出発信号機の補助として用いられる。駅に進入する列車に対して出発信号機が現示する信号を、予告する信号を現示して駅を通過できるかどうかを知らせる。腕木の長さは84cm。新沢駅が列車交換可能駅であったときに使用されていたもの。茂内駅に現存する。小坂鉄道は日本の鉄道で最後まで腕木式の通過信号機を使用していた。
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エンジン。
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このエンジンに付けられているプレートとその説明。
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61.1
61.2
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61.5
61.6
以上、小坂鉄道レールパークでした。
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