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宮城県宮城郡松島町松島町内。円通院付近。
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建物は木造平屋建、寄棟、茅葺、平入、外壁は真壁造り土壁鏝押え。
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昭和47年松島町指定文化財。
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4.5
御水主町の民家(松島町指定文化財)…『御水主町は瑞巌寺の東に隣接した一画で、仙台藩主等が松島遊覧の際の御座船を操った水主衆が集団で住んでいた。水主は瑞巌寺造営当時(1605)、地元や和歌山・静岡・愛媛などから雇用されてここに住み、往時には48軒を数えた。彼らの住居は、藩の定めにより茅葺、寄棟造、表通りに面して出格子と蔀戸を設け、冠木門等を構え天井は上げなかった。昭和51年に最後に残った1棟をここに移築復元した。平成12年3月松島町教育委員会』
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比翼塚へ。
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紅蓮尼和歌二首…『「植え置きし花の主ははかなきに軒端の梅は咲かずともあれ」「咲けかしな今は主とながむべし軒端の梅のあらんかぎりは」。紅蓮尼は約700余年前、秋田県象潟町に生れ本名を谷という。既に他界した小太郎に嫁ぎ、その父母に孝養をつくした。両親亡き後、瑞巌寺の明極禅師の弟子となって尼となり禅師より紅蓮の名を許され一生を小太郎にささげた。「軒端の梅、心月庵紅蓮尼物語」は、日本女性の鑑として語り伝えられている。松島町と秋田県象潟町は小太郎、紅蓮尼の絆が縁で昭和62年8月1日「夫婦町」となった。平成元年10月1日、宮城県松島町・秋田県象潟町(現にかほ市)』
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「芳躅を慕い合歓木を献す」
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こちらの碑は読み取れず。
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比翼塚。鎌倉時代、北条時頼が家臣・蜂谷美濃守を松島円福寺(瑞巌寺)守護のために派遣。子孫が松島に土着しました。子孫蜂谷掃部は子宝に恵まれず、観音様に祈願したところ、やがて男の子が誕生し、小太郎と名付けられました。小太郎は観音堂に梅の若木を植えてこよなく愛していました。小太郎が15歳の春、父が伊勢参りで道連れとなった象潟の商人と親しくなり、小太郎と商人の娘との結婚を約束。ところが帰国した父は小太郎が病死したことを知ります。掃部は泣きながら商人の娘に訳を話しましたが、娘は松島の人となり、掃部夫妻に孝養を尽くしました。後に娘は髪をおろして名を紅蓮と改めます。小太郎が愛した梅の木が軒端の梅で、娘のもとには紅蓮尼と小太郎の碑比翼塚が建てられています。蜂谷氏が観音仏を守っていたことから、その後、瑞巌百一鵬雲が観音を御本尊とし、左に達磨、右に菅公を配した三聖堂を建立。
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裏面紅蓮尼石文。※状態は良いのですが雨だったので内容は省略。
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二人のお墓碑は、別々の場所にありましたが、昭和43年6月吉日、生前はおろか640余年を過ぎても一緒になれない二人をせめて墓碑だけでも同じ場所に並べてあげたいと、紅蓮尼に縁深い瑞巌寺境内観音堂水月庵跡に、紅蓮尼と小太郎の比翼塚が建てられました。
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