その美しさから紅葉の名所、京の嵐山にちなんで、小嵐山とも呼ばれる中野もみじ山。弘前藩主が京都から百本あまりのもみじを移植したのが始まりとされ、山一面を彩る紅葉は人々を魅了します。イザベラバードも「ここは非常に美しく、秋には無数のカエデが緋色や深紅に色を付け、長旅しても見に来る価値がある」と書き残しています。
予定が合わず、紅葉のピークに中々行けない中野もみじ山。今年も手遅れでした。
見頃は10月中旬から11月上旬。私が訪れたのは11月中旬。
案内板「モミジの小嵐鎮座 津軽三不動尊 中野神社 御由緒」より…『◆御祭神…日本武尊、岩戸姫命、坂上田村麿命、大山祇神、倉稲魂命、少彦名命、以上、津軽三不動尊と併せ七福の神々と称へ祀る。◆中野のお不動さま…延暦19年(800)田村麿将軍東夷征伐の折、当国の守護神として日本武尊を勧請、御神体の不動尊像は隋僧、円智上人の作で中国天台宗の開祖、智嶺の附第人皇33代、推古帝13年(605)に来朝し、聖徳太子に勝曼経・法華経を奉り、同18年太子の命により当国に来たり同年(610)旧4月8日、一木より三体の不動尊像を刻す。一体は、黒石市長谷沢、東光山五輪寺(現、長谷澤神社、津軽三不動尊一番札所)一体は、黒瀧山不動堂(現、当中野神社、津軽三不動尊二番札所)一体は、碇ヶ関村古懸国上寺(現、平川市碇ヶ関古懸、津軽三不動尊三番札所)に勧請、世にこれを津軽三不動尊と称せられる。旧津軽藩 公祈願所・酉年生まれ一代様。◆祭事…・歳旦祭1月1日。・どんと祭1月11日(注連飾り他古神札等焼納)。・おこもり祭(旧暦12月27日-翌日旧暦12月28日)(氏子崇敬者、無病息災、子孫繁栄、家運隆昌、五穀豊穣、国家安寧)。・祈年祭4月28日。・不動尊講中祭(旧暦4月8日)講中繁栄、家内安全、祈蕎受付。例祭前夜祭7月27日(夏越の大祓式)・例祭7月28日津軽神楽奉納・新嘗祭11月28日・除夜祭12月31日(大祓式)』
その他、詳細は過去の記事を参照ください。
『津軽三不動尊』
不動の滝。
不動橋。
大町桂月文学碑「ひとしほの木の葉は散りて散り残る楓の山の美しき哉 大正十一年十一月六日 桂月」…『数町枝渓を遡れば、中野公園に達す。渓流S字形を成して、飛泉かゝる。山は低けれども、樹木茂り、古杉の間に、老楓少なからず。橋を渡れば、矢大臣門さへありて、中野祠神さびて立てり。』
不動橋からの風景。
不動橋から不動の滝。
反対側から不動橋。
随神門。
右大臣(昭和53年11月3日・櫻庭貞次郎寄進)。
左大臣(昭和53年11月3日・櫻庭貞三寄進)。
進めば進むほど紅葉シーズンが既に終わっていることを感じます。
中野神社鳥居。
巴太鼓に乗っている鶏の石像一対(昭和37年旧6月28日。中野・黒森婦人一同)。
石鳥居(皇紀2604年)。
中野神社。
過去に紹介しているので特に説明はありません。
苔チェック。
観楓台へ。
観楓台。
完全に散っております。
せっかく来たので展望所方面へ散策。
色づいているところをチョイスして写真を撮っていますが…
ほんの一部分です。
ってことで戻ってきました。
ちなみに中国からの観光客はそこそこいました。
中野もみじ山散策マップ。
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