
弘前市大字常盤野上黒沢。津軽岩木スカイライン入口付近。

まず常盤野村についてです。江戸期には津軽郡鼻和庄のうち。弘前藩領。村高は「天保郷帳」では改称前の村名である枯木平村と見え81石余、「旧高旧領」9石余、駒越組に属しました。天保12年-文久2年の間、士族中村茂助が家塾を開いていました。明治初年の「国誌」に当村の支村岳として見える岳温泉は、百沢街道の終着地で、延宝8年に4代藩主信政によって開かれたと伝え、宝暦7年には藩主信寧が湯治に来ています。また、寛政8年には温泉を500間ほど麓へ引き下げ、湯室2か所・湯小屋数10軒を取り立てて時節を構わず湯治を可能としたため、入湯者が多く集まり繁昌したといいます。支村湯汰(ゆたん)として見える湯段温泉は、享保18年に開かれ、元文2年賀田村の長兵衛が湯小屋を経営、以後その子孫が温泉宿を経営して今日に至っています。神社は岳温泉に稲荷社があり、湯段温泉では薬師如来を祀っています。
明治初年の国誌によりますと戸数28、うち支村の湯汰(湯段)4、本村の村況は「山中の平地に家居すれとも田畑なし、薪炭を以て活計とす」と記しており、支村の湯汰は「田畑なし、秋より春まで山業を専とし、夏は浴客を待て生業の助とす」、同じく支村の岳について「土地高敞にして田畑なし、産業湯汰同」と見えます。同11年に笹森儀助が枯木平に「農牧社」開設の計画を立てて同15年開業。社長には大導寺繁禎、副社長に笹森儀助が就任し、儀助は同17年家族を率いて枯木平に移住して開発に努めました。明治12年の「共武政表」によりますと戸数27・人口173(男90・女83)、馬2、物産は蕨粉・硫黄・薪・炭。同14年常盤野小学が開設されましたが、同20年百沢簡易小学校に併合。同22年岩木村の大字となります。
明治期以降は、はじめ岩木村、昭和36年からは岩木町の大字。明治24年の戸数30・人口210、厩3。同25年に枯木平農牧社10周年記念式典をあげ、中畑清八郎が社長となっています。同35年に農牧社の土地全部を鳴海勘十ほか19名が買収。大正8年その一切の権利を藤田謙一が譲り受け、巨費を投じて機械開墾を行いましたが容易に成果を挙げ得ず、昭和3年東奥義塾に寄贈されました。昭和6年弘前中学校の4・5年生約300人が学校当局と衝突してストライキを起こし岳温泉に約10日間籠城。明治25年百沢尋常小学校常盤野分校が設置。昭和22年同校に併設して岩木中学校常盤野分校が開校。同27年には小学校・中学校ともに独立して常盤野小学校・常盤野中学校となりました。地内からスタートする県内初の有料道路津軽岩木スカイラインは、昭和28年に計画、着工され、同39年開通。昭和36年に岳簡易郵便局も開かれ、道路も弘前から全部舗装され、岩木山の8合目までバスが通じて便利になりました。
昭和になってからの東北地方は昭和恐慌や大凶作など相次ぐ災害に襲われ、また、第二次世界大戦後、敗戦により食糧増産が急務となりました。また、東北振興を国策として取り上げて、内閣東北局が東北振興第1期総合計画を立案したのが昭和11年。その中の開拓事業は東北地方の人口増加と耕地面積の不足、農家経済の安定を目的としたもので青森県内では弥生など5地区が指定され、更に戦後となって失業者救済と食糧増産政策のために耕地開拓に取り組み、昭和22年には土地の農業利用増進と人口収容力の安定的増大のための開拓事業に移行。岩木山麓の開拓地は国有林や民有採草地などで形成され、その中には常盤野の瑞穂開拓集落がありました(その他、杉山、上弥生、羽黒、瑞穂、小森山、平和など)。
岩木山西側津軽羽黒集落西方の標高380-480mに位置する瑞穂地区は、県道に接しているため交通の便が良く、昭和24年に樺太などの引き揚げ者が常盤野に国有林の払い下げを受けて入植。「岩木町誌」によりますと、端穂開拓地には、昭和24年に樺太からの引き揚げ者ら16戸が入植。開拓地に作付けした作物は大豆・なたね・小豆などが中心で、トウモロコシは食用品種のモチキミと飼料用のデントコーンを栽培。昭和30年に常盤野のトウモロコシ栽培は、入植者の鈴木春雄氏(開拓民のリーダー的存在)が弘前の種苗店から紹介されたクロスバンタムというアメリカで栽培されていた新品種を栽培するようになります。この品種は甘みがとても強かったために栽培面積を拡大し、更にとうもろこしが常盤野で栽培できることを確信した春雄さんは開拓集落に奨め、苦労を重ねながら販路の確立を目指しました。これが現在人気の「嶽きみ」のルーツです。

弥生の保食神社、百沢の杉山神社や大山祇神社のように昭和に入って入植者により開拓された地区には産土神としての神社が祀られています。つまり神社の創建時期は入植されて以降と考えられます。案内板がある大山祇神社の由緒からもその背景が伺えるかと思います。

社殿。
神額。

拝殿内。

御幣前後に神鏡、そして神宮大麻が見えます。

大黒様と法螺貝。

太鼓。

拝殿内には昔の写真がいくつか飾られており、当時の様子を視覚的に知ることができます。


石碑「拓魂」(岩木町長小寺勇)。
開拓40周年記念(昭和24年5月9日)碑となっており、建立者には鈴木春雄氏の名が見えます。平成元年7月30日建立。
さて、温泉入って、嶽きみとはちみつを購入して帰ります。





コメント