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「至水戸街道・至柴又・至矢切・至小岩」道標。
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矢切の渡しトイレ。
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『矢切りの渡し』の歌碑。
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4.5
矢切の渡し。「房総の魅力500選」「日本の音風景100選」。江戸時代初期に江戸幕府が地元民のために設けた利根川水系河川15ヶ所の渡し場の内の一つ。
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東京都葛飾区柴又から千葉県松戸市下矢切へ渡ります。
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江戸川。
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7.5
船頭さんの話を聞きながら手漕ぎ船でゆっくりと進みます。
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歌えないけど「矢切の渡し」が頭に流れます。ちなみに私の頭の中に流れる矢切の渡しは「細川たかしver」です。
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遠くに東京スカイツリー。
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到着。増水したらすぐにでも流されそうな桟橋が逆に趣ありますね。
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こちら側には矢切の渡しが有名になるきっかけとなった伊藤左千夫の小説『野菊の墓』文学碑などがあるらしいです。読んでいないし、特に松戸に用事があるわけではないので、再び矢切の渡しで葛飾区に戻ります。矢切の渡しが最終便じゃなければ寄ったんですけどね。矢切ねぎ食べたいし。さて、帰りもゆっくりと景色を楽しみながら…
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って思ったら、船頭さんが「戻りはモーターを使って色々と案内していきます」と言って上流に勢い良く走り出しました…モーター付いているのに気づかなかったよ(笑)川は穏やかでしたが、乗っている人全員が往復客だったから?まぁ同じ航路を辿るよりは楽しかったし、情緒はないけど快適!
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金町浄水場の「トンガリ帽子の取水塔」&「麦わら帽子の取水塔」付近で折り返しました。
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ちなみに寅さんを見ている人にとって、この取水塔の風景はかなりお馴染みとのこと…私は見ていない。
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到着。
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矢切の渡し…『矢切の渡しは 松戸市下矢切と東京都柴又を往復する渡しでその始まりは380余年前江戸時代初期にさかのぼります。当時、江戸への出入は非常に強い規則のもとにおかれており、関所やぶりは「はりつけ」になろうという世の中でしたが、江戸川の両岸に田畑をもつ農民は、その耕作のため関所の渡しを通らず農民特権として自由に渡船で行きかうことができました。これが矢切の渡しの始まりでいわゆる農民渡船といわれるものです。明治以降は、地元民の足として、また自然を愛する人々の散歩コースとして利用され現在では唯一の渡しとなっています。この矢切の渡しの庶民性と矢切の里の素朴な風景は、千葉県の生んだ歌人でもあり小説家でもある伊藤左千夫の小説“野菊の墓”の淡い恋物語の背景となっておりその小説の中で美しく描かれております。平成10年3月』
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