長者村は糠塚・類家・田向・中居林・石手洗の5ヶ所村が合併して成立。かつての類家村には寺院として元和年間の開創と伝える顕本法華宗の正栄山本寿寺、寛文年間の開創とも延宝年間の開創ともいう曹洞宗の自淵山長流寺、寛文7年開創とされる曹洞宗の松峰山心月院、寛永3年の開創と伝える曹洞宗の月峰山広沢寺があり、また、寛文8年から同11年までは臨済宗の月渓山南宗寺、宝暦年間頃までは黄檗宗の万聚山玄中寺もありました。新井田方面へ至る道筋にこれらの寺が集中しているため「八戸藩日記」寛文7年9月の条に「寺町通」とみえます。
南宗寺山門(県重宝建造物・平成3年3月13日指定)…『月渓山南宗寺は、八戸藩初代藩主南部直房が父利直の菩提をとむらうために寛文6年(1666)に建立した寺で、寺の名前は利直の法名「南宗院殿月溪晴公大居士」からきています。東側の墓地には代々の藩主が葬った県史跡「南部家墓所」があります。この山門は元文4年(1739)に建立され、年銘の入った棟札が残され、礎石にも年銘が刻まれています。使われている材料は太く、材質も良いものが使われており、力強さを感じさせる建物です。構造は、素木造の四脚門で屋根は切妻、主柱は円柱で控柱は角柱、正面の扉は桟唐戸、両側面は腰長押の下が吹放ちとなり、その上は横嵌板壁となっています。平成4年3月八戸市教育委員会』

臨済宗妙心寺派月渓山南宗寺。本尊釈迦牟尼佛。糠部三十三観音霊場第11番札所「横枕ノ観音」。八戸御城下三十三ヵ所第8番札所。
月渓山南宗寺の創建は寛文6年(1666)、八戸藩初代藩主南部直房が父である南部利直(盛岡藩初代藩主)の菩提を弔う為に、東厳和尚(岩手県盛岡市:東禅寺7世)を招いて開山したのが始まりとされ、利直の戒名「南宗院殿月渓晴公大居士」に因み南宗寺と名付けられました。
当初は類家(現在の八戸市吹上)に建立されていましたが、寛文8年(1668)に直房が死去して葬られると、水はけが悪い土地だったことが問題視され、寛文11年(1671)に現在地に境内を移し御廟所も延宝元年(1673)に長者山中腹に建立されました。直房の死因は諸説ありますが、盛岡藩3代藩主で直房の異母兄弟である南部重信が放った刺客により暗殺されたとされており、幕府には病死として届け出したため、盛岡藩、八戸藩の改易が回避されたと伝えられています。その後、南宗寺は八戸藩歴代藩主の菩提寺・領内十ヵ寺の筆頭として寺領100石を安堵するなど庇護され、八戸藩領内の中心的寺院として寺運も隆盛。
寺宝として直房公の奥方(霊松院)が宝永6年(1709)に寄進した二十五条袈裟(八戸市指定有形文化財)や八戸城が廃城になった際に移された江戸時代初期狩野派作の杉戸15枚、桐戸2枚(八戸市指定有形文化財)、神山由助が、弟子の浅山運蔵に伝えた和算用算木(八戸市指定文化財)など南部家縁の品々を多数所有。

鐘楼。

梵鐘。鐘楼の側には一字一石供養塔があり、「天保六年八月廿八日、安立山仙壽開門中興錬石■(大+又)粛口」と刻みます。なお、稲荷神社の側には大乗妙典一字一石供養塔(明治4年7月廿日・津田公の菩提を弔うため建立)があるとのことでしたが見ませんでした。

供養碑(青森県知事山崎岩男書)。

観音菩薩像など。


境内の木。
本堂横へ。

地蔵堂。

遍路石仏群。八戸西國三十三所觀世音菩薩。
八戸西國三十三所觀世音菩薩奉安ノ記…『我國ノ觀音信仰ハ古ク推古時代ニ萠ザシ 此レガ鼓吹ハ聖徳太子ヲ以ッテ開祖トナスベキナリ 殊ニ花山法皇ノ巡禮ニ依リテ西國三十三所ノ確立セラレシヨリ 一層観音ノ信仰ハ全國ニ盛ントナリ 巡禮ノ宗教的風俗ハ國民的風俗トナレリ 奥州南部糠部五郡三十三所巡禮ノ如キモ亦其ノ一班ナルベシ 然レ共西國三十三所ノ巡禮ハ容易ニ非ザルヲ以ッテ 當市内ニ此レガ霊場ヲ欲スルヤ切ナルモノアリシニ 因縁漸ク熟シ有志ノ發起ト數百余人ノ浄財喜捨ニヨリ 此處ニ八戸西國三十三所観世音ノ勧請奉安ヲ見タルハ 観音信者ノ等シク歓喜スル所ナリ 代シテ冀フ所ハ南無観世音菩薩ノ大慈悲ニヨリ 鎮護國家興隆佛法並ビニ衆生摂化頓証菩提ノ誓願成就センガ為ノモノナリ 昭和十二丁丑十二月三日南宗寺第十七世田口豊洲誌 香石久保節書』

境内の背後に県史跡八戸南部家墓所があります。

南宗寺本堂裏手にある福禄稲荷神社の手前になります。
石灯籠一対。
石灯籠の間を進みます。
周囲は巨木に囲まれています。
保存樹木イチイ。寺創立時の頃からのものと推定され、樹齢300年以上。

切株。

地蔵尊など。


五輪塔などが並びます。
立派なものです。
八戸南部家墓所は初代直房から11代麻子までの墓碑を含む五輪塔15基があるそうです。
初代直房から9代信順までが同じ型で大きさも同じ。藩主墓は変形の五輪塔が主で、他に角柱の石塔、石灯籠、洗鉢などもあります。
石灯籠、洗鉢。
一段下がった北側には八戸南部家の一族・家族などの角柱石塔(墓碑)が建立されています。
八戸南部家墓所(県史跡・昭30.1.7指定)…『寛文7年(1667)南溪東愚は八戸藩初代藩主直房の意をうけて類家に直房の父利直(南宗院殿月溪晴公)の菩提のため月溪山南宗寺(臨済宗)を建立し寺領百石を賜わった。直房が翌8年に急死したのでこの寺に葬ったが湿潤の地であったため同12年糠塚長者山の麓に南宗寺を移し御廟所も延宝元年(1673)にこの後長者山の中腹に建立した。石塔は徳川時代に用いられた形式のもので普通に五輪塔と呼ばれているものである。初代直房から9代信順までが同じ型で大きさも同じく建てられている。一段下った北側隣接の地に家族たちのもの20ばかりの石塔が建てられている。昭和50年10月5日八戸市教育委員会』



























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