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宇都宮パルコ入口に鎮座。二荒山神社の発祥の地(池辺郷荒尾崎・別名小寺峯)であり、荒尾崎裾部の崩落を避けて現在地に遷座したと考えられています(838年)。
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2.5
鎮座地は宇都宮市馬場通りで、本社鳥居前の道路を渡ってすぐになります。
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御祭神は豊城入彦命。
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HP「栃木県の神社」によりますと『現在の二荒山神社から南に尾根が続き、パルコあたりが盛り上がっており「池辺郷荒尾崎」と呼ばれた。別名を「小寺峯」といい、北西に鏡ヶ池が広がっていた。一説に崇神天皇の皇子豊城入彦命がここ小寺峯に三輪山の大物主命を勧請したというから推定2000年ほど前、つまり文字もない時代の創建と長く信じられてきた。豊城入彦命から四世から六世代後の下野国造・奈良別王による創建説によっても1600年ほど前の古墳時代の創建。承和5年に北峯の「臼が峯」に遷座し、「宇都宮大明神」と称したのが現在の二荒山神社である。臼が峯はこれによって「明神山」と呼ばれるようになる。発祥の地はそのまま「下之宮」として残され、お城から見て二荒山神社参道・明神馬場の北の先右手にあったが、本多正純が二つの峯の間を削って東西に大通りを造成した際に参道ともども分断された。明治5年に戊辰戦争の死者を祀る「招魂社」が下之宮境内に建立される。招魂社は昭和15年に作新学院北の一の沢に遷座し、昭和22年彰徳社、昭和28年栃木県護国神社と改称する。昭和36年の都市計画で小さな丘だった小寺峯も平らに削られ、小ぶりの社殿が新築された。その後、平成9年3月8日に都市再開発によりパルコ西入口にコンクリート造りを主体に本殿が改築され、拝殿が新築された。なお、境内にあった「およりの鐘」は昭和19年に駅前の宝蔵寺に移されている。』とあります。一部抜粋です。HPには大変詳しく書かれているので参照下さい。
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本殿。
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手水舎。以下は手水舎にあった由緒案内板。
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下野国一之宮二荒山神社攝社下之宮…『当神社は二荒山神社の発祥の地(荒尾崎)に創建された神社で「二荒山神社攝社下之宮」と称し御祭神は本社(臼ヶ峰)に鎮斎される二荒山神社と同神「豊城入彦命」をおまつりしております。ご由緒は大変古く第十六代仁徳天皇の御代下毛野の国造であった奈良別王が東国治定の功績高い豊城入彦命を御祭神として国社をこの地に建立後世838年に峰続きの臼ヶ峰に本社を造営し発祥の聖地を下之宮として永く奉斎してきました。下之宮は長い歴史の中で丘陵は道路で分断され、招魂社は護国神社として移設しおよりの鐘は寺領に納め更に小高い丘は削減しビル陰にて奉祀されてまいりました。相生町再開発事業と共に由緒深き聖地に下之宮のご復興をみたものである。』
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