『乳穂ヶ滝氷祭』

案内板「ガマ石 乳穂ケ滝」より…『樹齢300年を超える杉の大木に囲まれた境内、落差33mから一条の滝が落下している。その岩下に不動尊がまつられ、この御堂は建立不明とされている。この滝が古来から津軽の作物豊凶占いの手がかりとされており、現在でも津軽中の信者が集まる。ガマ石は乳穂ヶ滝の向いの岩木川にあり、その岸にカエルがうずくまった形に似ていることからその名が付けられており、ビッキ石とも呼ばれている。』
倶利伽羅剣と菅江真澄歌碑。

菅江真澄歌碑「とよとしのしるしも水もふる雪も千束に氷れ新穂のたきなみ」。昭和24年、42歳厄年を迎えた地元の人々12名によって建立。
令和元年6月2日に建立された狛犬一対と、昭和56年7月29日(旧6月28日)建立の石灯籠一対。
ということで、私が見つけた令和元年奉納の最初の狛犬は乳穂ヶ滝でした。

この日は真夏日だったので、少し滝で涼もうと思ったのですが、さすがに乳穂ヶ滝の水量では涼めませんでした。
滝見えます?


弘法大師。


上に行きます。
滝見えます?
足元には気を付けましょう。
薬師観音。鳥居付です。


稲荷様(御命日10日)。

不動明王(御命日12日)。

不動明王の上にある絵馬。よく見えませんが。

山乃神様(御命日12日)。皇紀2600年。

龍神様(御命日1日、15日)。

案内板。

岩。


滝壺。
三本の杉がいい感じです。
鳥居裏にも三本の杉。推定樹齢200年。
3度目の…滝見えます?
休屋(社務所・休憩所)。

乳穂ヶ滝休屋新築記念(昭和53年7月2日)。

飾られている滝の写真(撮影者熊谷武徳氏)。

平成24年2月のものでした。

飾られている記事より…『「渡し舟」…昔は道路も殆ど山頂を通り、なるべく橋などをかけなく川を渡るにも水の少ない時を選んで自分の足で渡った。少し遅れて渡舟が用いられた。我村でも橋のない川は殆ど渡舟で渡っていた。木橋がかけられるようになっても洪水などで流失した時には又渡舟が用いられた。渡場には舟守りを部落で依頼し、舟守りには一定の賃金や物料を払ってその仕事を引受けてもらい、川辺にはその住家も手配した。「栄光に輝く瑪耶渓 津軽十景首位当選」…昭和3年8月1日より9月24日まで開かれた弘前新聞社主催津軽十景入選の投票が行われた。弘前新聞社が一万号記念事業として発表した津軽十景投票は俄然人気を呼び、発表以来40数日毎日の投票発表は如何に全津軽人の耳目を衝動せしめたか、郷土愛に燃ゆる人々の熱誠振りには只々驚嘆の外はなく各地の後援会有志の努力には主催側としても感謝に堪えなく、それなりに毎日の計算も緊張に緊張を重ね、一票たりとも誤算なからしむるべく検票したのでした。特に瑪耶渓の如き天下の絶勝をこの際天下に紹介せずんばあるべからずと保勝会を結成し、各地元民も策戦をこらして実に物凄き競争が演ぜられたのである。秘められた謎の投票箱を開く度びに一喜一憂、一高一低をつゞけたもので、立会人も時事、東奥各新聞記者、それに弘前警察署の警部にお願いして、最終決定をした。最後の成績は、最高当選順(※中略・写真参照)外は略す。我が瑪耶渓は前記の如く第一位当選したので、保勝会を先頭に9月23日自動車三台に分乗し弘前市内を当選御礼廻り、次のようなビラを撒布し喜び溢れ帰村した。配布した御札のビラ(原文)(※以下省略・写真参照)』



設置前の案内板「乳穂ヶ滝」(西目屋村誌)より…『この滝は名坪平(昔は夏菩提ともいった)道路に面してある。正面に鳥居、左手に社務所(休憩所)、岩だらけの坂を登りつめると剣が不気味に尖り、樹齢200年と見える杉の大木が三本天を衝いている。左には弘法大師の石像をまつった祠があり、年中、日の丸の旗がはためいているのが印象的である。正面を仰ぐと岩が裂けたような状態で、高さ33メートル(古記では十丈)幅10メートル弱(同五間)の滝がさらさら雨が降るように落ちる。その岩下に不動尊がまつられ、N状に橋が架けられ、容易に参拝できるようになっている。元来、この不動尊御堂は建立不明とされている。この滝が古来から津軽の作物豊凶占いにされた古事から始まり有名になったが、藩政時代には津軽藩主が、その氷塊を正月の厳寒期に特命使者を遣わして検見させ、豊凶の手がかりとし、民間では旧正月17日その氷を参拝後持ち帰って病人に与えると、ふしぎにも快癒したという。したがって豪雪をついて津軽中の信仰者が集まり、現在でもその風習がつづいている。古い記録をたどると、文化3年8月18日(1806)津軽藩主寧親が参拝したことが明らかで、ついで寛政8年2月6日(1795)家老職喜多村が参詣している。なかでも目屋の名を天下あまねく周知させたのは菅江真澄(三河の人)。真澄は寛政8年11月4日、暗門探勝の帰り途ここに詣でて次のような歌をよみのこした。「豊年の徴も水もふる雪も千束に氷れ新穂のたきなみ」』

帰り際、水陸両用バスが突然現れて、ガイドさんの声が響く中で、バスの中の観光客の一人が私に向って手を合わせて拝んでいました。恐らく私が不動明王に見えたのでしょう。この日は真夏日だったのでそういう表情になっていたと思います。



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