くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2016年09月

野辺地町役場の隣にあります。 パンフレットより…『国登録有形文化財(建造物)。建築年代:明治23年(1890)頃。構造・形式:木造平屋建、鉄板葺。建築面積:102㎡。所有者:野辺地町。登録年月日:平成20年7月8日。野村治三郎家は江戸時代から廻船問屋を営み、弁財船 ...

神社の長い石段も日陰がまったく無いときつく感じますね。でも木が無いってことは景色がいいはず。 さて、盛田村は元は荒内村と称しており、飢饉などにより一時廃村状態となり、その後盛田村として再び立村。また荒内村は現在の盛田の西方にあり、水不足により現在地に移っ ...

『雷電宮 ~ 其之弐 (平内町)』からの続きです。渡橋から松島・小松島へ。 浅所海岸(小湊川上流からの土砂の堆積)というだけあって橋が無くても渡れそうな感じがします。 風が気持ちいい。 景色。 雷電橋。 ウミネコも逃げやしない。 特別天然記念物「小湊のハク ...

『雷電宮(平内町)』より… 本殿。 本殿前の狛犬二対。 相生の杉欅。 こちらの建物は何でしょうね。中は守札授与所みたいな造りで、立派な絵馬もありました。さてはここでお金払って… 境内の船着場から船渡しとか笑※頂いた情報によりますと、行事の際に臨時の社 ...

平内町福館雷電岸。 社号標がよく見えず。せっかくかっこいい名前なのに(笑) 社号標裏面(皇紀二千六百年式典記念・昭和15年11月10日建立)。 石灯篭一対(昭和59年5月15日)。 郷社雷電宮御由緒(御祭神・御祭神御事歴・御由緒・祭典日が書かれていますが…見えにくい ...

御祭神は少彦名神。久斯神社の創建は万治2年4月8日(社頭別当日光院延良法印)であり、薬師野村はこの時期には成立していたと考えられます(一説には享保11年頃に新村として成立)。 昔は飲料水等に川水を利用していたことから伝染病が流行し、数多くの村人が病気に苦し ...

鯵ヶ沢町から灯を頼りに泳いできたら、野辺地の常夜燈公園に着きました。 尾去沢鉱山と野辺地湊/銅の道。 『野辺地湊の繁栄をゆるぎないものとしたのが、銅の搬出でした。1765年(江戸時代・明和2)、南部藩は、尾去沢(秋田県)鉱山を藩の直営とし、銅を生産させました ...

青森小柳郵便局のすぐ近くです。 小柳村は開発当初小柳漁師新田、後に中浜旅館とも称したといいます。 御祭神は倉稲魂命。創建不詳、もしくは寛永年間(1624-1645)に岡本七郎左衛門新田開発につき勧請。延宝7年(1679)五穀成就・村中繁栄のために再建。その後は小 ...

はじめ館岡村西方の平滝沼北東部に開村し、「津軽信政公事績」によりますと「元禄10年(1697)10月広須御新田之内平滝沼近傍へ屋敷地取設、引越之者共へ家壱軒に付銀六拾文目分の材木并飯米五俵宛被下置畑作取付せ、其他右へ寄り任に大網壱箇船壱艘被下置、長浜及平滝沼にて ...

旧浅草橋…『浅草橋という町は昭和9年(1934)に茅町、上平右衛門町、下平右衛門町、福井町、榊町、新須賀町、新福井町、瓦町、須賀町、猿屋町、向柳原町がひとつになってできた。町名は神田川に架けられた橋の名にちなんでいる。江戸幕府は、主要交通路の重要な地点に櫓・ ...

一之鳥居。 細越大年縄保存会によるジャンバラ型注連縄をここで紹介しようとしたのに肝心のジャンバラがありませんでした(笑)拝殿にはジャンバラがありました。 御祭神は大物主神、奇稲田姫命。 細越村には昔から神社が二社あり、上細越にあるのを深山神社、下細越にある ...

かつての茂浦村の支村である馬屋尻で、本村の東北に位置します。馬屋尻も本村茂浦村と同じく、かつては製塩が盛んな地域でした。村には戸数が3戸以上に増えると災難が起こるという言い伝えがあったようです。菅江真澄が宿を求めた場所ですが、「一人旅に宿をみだりに許して ...

東津軽郡外ヶ浜町三厩中浜に鎮座している稲荷神社です。御祭神は保食神。 現在の中浜地区は三厩本町と六条間の間の地区であり、吉田松蔭が小泊から山越えした松蔭道のある算用師を含みます。天文3年(1534)に浪岡城主北畠家が調査した津軽郡中名字によりますと、竜浜と共 ...

浅虫温泉の飲泉所・温泉たまご場(源泉)。テレビ朝日「イチから住」で、浅虫に移住した泉浩・末永遥夫妻がここで温泉たまごを作り、おいしそうに温泉卵入りそうめんを食べていました。 浅虫温泉由来…『浅虫温泉は平安時代の終りごろ、浄土宗の開祖円光大師が奥州巡教 ...

蟹田にやってきました。 松前街道沿い、東津軽郡外ヶ浜町蟹田田ノ沢に鎮座している八幡宮。 相殿神明宮・熊野宮。 一之鳥居の紀年銘は昭和58年旧9月15日。 その横にあるのはかつての石鳥居かな。 創建不詳ですが、国誌によりますと「祖神宮太夫寛文五年乙巳より社務所 ...

浅草橋の篠塚稲荷神社。 境内案内板より…『御祭神倉稲魂命。御神徳商売繁盛・火伏せ。例大祭6月第一土曜日・日曜日。毎年、氏子の役員や有志の方々が御奉仕誘導して江戸葛西囃子を先頭に、獅子頭、大太鼓の山車と子供神輿が氏子町内を巡行します。そして氏子の崇敬者が所 ...

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