くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

August 2014

豊島八十八ヶ所霊場第29番札所。北豊島三十三ヶ所霊場16番札所。 山内不幸とありましたので、境内入口付近のみを軽く見学させて頂きました。 本尊は観世音菩薩。 明治30年に火災によって記録を焼失し創建は不明ながら、新編武蔵風土記稿によりますと「同宗稲付村普門 ...

本尊は大日如来。 津軽弘法大師霊場第十番札所。 当初は聖心会として、昭和35年に弘前市南横町において成田聖心によって布教。山岳信仰の開祖赤倉大神及び真言宗開祖弘法大師の訓に基づき神・仏事・神占い・祈祷を行ってきました。 その後、北横町に移転して神殿・拝殿・ ...

津軽弘法大師霊場第15番札所。 この丘陵はかつての新城城跡です。 現在照法寺が建っている高台が本郭。南に二の郭、西に三の郭。 見たところ新城城跡という古い標柱が立っているのみですが、地形的にはいかにも天然の要害地であることがわかります。 御本尊は聖観世音 ...

貞和5年(1349)12月29日の熊野党奥州先達系譜(和歌山米良文書)によりますと、「津軽三郡内しりひきの三世寺の別当ハ 常陸阿闍梨房 舎弟大和阿闍梨房にて候 彼引たんな皆当坊へ可参候 安藤又太郎殿号下国殿 今安藤殿親父宗季と申候也 今安藤殿師季と申候也 此御書 ...

開基雄誉上人。 寛永4年(1627)霊巌寺の開山堂として創建。 度会園女(1664-1726・俳人)、奈良屋茂左衛門(1624-1644・材木商。※墓は関東大震災で倒壊・焼失し現在は墓跡。過去帳は現存)、松木東江(1836-1891・浮世絵師)などの墓所。 俳人度会園女の墓。 ...

田宮稲荷神社跡…『田宮稲荷神社は、於岩稲荷と呼ばれ四谷左門町の御先手組同心田宮家の邸内にあった社です。初代田宮又左衛門の娘お岩(寛永13年没)が信仰し、養子伊右衛門とともに家勢を再興したことから「お岩さんの稲荷」として次第に人々の信仰を集めたようです。鶴 ...

山梨県の身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗の寺院で、茨城県水戸市の本山久昌寺の貫首であった蓮牙院日建上人が昭和初期頃に開かれました。 本堂は宝暦7年(1757)建築の薬師堂を栃木県沼和田から移築再建したもの。 堂内には宗祖日蓮大聖人御尊像をはじめ、鬼子母 ...

外苑西通り。文京町交番前。 新撰組の剣士沖田総司は千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅で亡くなったといいます(墓は港区専称寺)。 それが現在のこの付近。 川は埋め立てられており、草木が茂って水も流れていません。 しかし池尻橋の遺構がしっかりと残っています ...

お盆らしく、しばらくの間はお寺記事中心でいきたいと思います。 入口には仁王尊像と狛犬がありました。 津軽弘法大師霊場第17番札所。ちなみに「あおもりでら」ではなく「せいしんじ」と読みます。 開基は明治21年9月。千葉の成田不動尊詣でのために組織されて ...

「空白さんのブログ」を読んでいたので場所はすぐにわかりました。小高い丘の上にあります。 言われてみれば確かに違和感のある丘陵上の森ですが、普通なら通り過ぎてしまいます。そこに気付く空白さん…流石です。下の写真は八重の森から撮った写真。遠くに見える森が加 ...

名主の滝公園の北端に沿って西へ昇り、岩槻街道へ出る坂道。 車一台が通れるほどの細い坂。 中々の急勾配。 標柱より…『名主の滝公園の北端に沿って台地へ登る曲がりくねった坂道である。坂名の由来は、江戸時代の絵図にある三平村の名からとも、室町時代の古文書にある ...

小友農村公園(小友小学校跡地)です。 かつての小友館跡地。 『小友館遺跡…遺跡東側に大蜂川を望むこの台地で、いまから5000年以上前の縄文時代前期の住居跡や、平安時代の鍛冶遺構のほか、鎌倉時代の陶磁器や掘跡が発見されました。また古代から人々が住み着いていた ...

現在は「くらやみ坂」と呼ばれています。 海晏寺と泊船寺との間にある坂(下は仙台坂トンネル)を指します。 その後交通量が増加したため、現在は池上通りを仙台坂と呼ぶようになりました。 『江戸時代(1603~1867)に、この坂の中程から上にかけて仙台藩伊達陸奥守の下屋 ...

品川の仙台坂です。 『仙台藩主伊達家の下屋敷や、仙台味噌の醸造所があったことから、仙台坂と呼ばれている。 もとは、この坂の南方、海晏寺と泊船寺との間にある坂の名であったが、のちにこの坂の方が道幅も広がり、交通量が多くなったため、坂名が移転したものといわ ...

松前街道。袰月と山崎の間は波の打ち寄せる浜伝いを歩く道。 車の場合は見逃しやすいので注意です。 「白犬くぐり」「黒犬くぐり」という岩の穴を通る場所もありました。現在は「いんくぐり」と呼ばれており、幕末に吉田松陰がここを通ったことから「松陰くぐり」とも呼び ...

御祭神は伊邪那岐神、伊邪那美神、速玉雄命、事解之男神、菊理姫命。 鳥居の修繕中でした。 安政2年神社書上帳によりますと、創立不詳で延宝5年(1677)の再建。 青森県神社庁によりますと延宝4年3月(1676)勧請。 明治6年4月廻堰の八幡宮に ...

抜弁天通りの脇道。すぐ近くには勾配のある梯子坂もあります。 この坂は、徳川家康の江戸入府以前から大久保に居住していた島田家の草創久左衛門が新しく開いた坂道であったため、こう呼ばれるようになったといいます。 美しくS字に湾曲しながら緩やか下る坂道です。 ...

弘前市楢木牧野。かつての楢野木村。 地図によっては石神神社になっていたり、石上神社となっていたり…社号標(昭和17年旧3月16日)では、表が石上神社となっていますが、裏が神明宮。由緒等は不明。 細めの石燈籠一対と狛犬一対があります。 個性的な狛犬。 社殿は ...

江戸端唄「紀伊の国」にも出てくる合力稲荷さま。 境内案内看板より。 御祭神:保食神。 御社殿:神明造。 御創建:永禄年間(1558-1569)。 縁起:当社は永禄年中山谷村百姓一同にて郷中鎮守と奉斉す有り。御祭神は生活の基をなす食を司どる神として御神威を発揚され約 ...

鬼沢入口にある鬼沢名所案内図…大雑把な地図ですが助かります。 追分石。 右鬼神宮・左鯵ヶ沢。 『追分石とは、街道の分かれめに建てられた道標の石のことです。ここの追分石は、建てられた年代はわかりませんが、右が鬼神社方向、左が鯵ヶ沢方向に至る道標とし ...

鬼の足跡と言えば、巖鬼山神社のアグド石、兼平山下の大人の足跡、大久保の杭止の淵の鬼の足跡石、五所川原市長橋の鬼の足跡など、津軽には似たような伝承がいくつも残っています。 これは鬼沢にある鬼の足跡と云われる石。うーん…足跡に見えるかどうかは別として、 ...

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