くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2014/06

小泊村字権現崎国有地136林班チ小班。鎮座地は日本海に横たわる巨大な獅子名岬として世に知られている海抜229mの断崖絶壁権現崎(小泊岬)頂上。 御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、少名彦神。例祭日5月25日。 菅江真澄が権現崎に立つ飛龍権現という神の祠について触れて ...

かつての四戸橋村。 後潟神社付近を散策していたら辿り着きました。 境内は住宅街の中にあり、公園も兼ねています。 寛永元年(1624)建立。狛犬等の紀年銘は読み取れず。貞享御調之節御竿入相済候と見え、貞享年間には四戸橋村にあったとわかります。堂社破 ...

小泊村下前175ノ1。大祭は新暦4月14日。御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命。 尾崎神社の分社として元文2年(1737)下前村内建立。尾崎神社の祭典や参拝、その他の行事で権現崎まで登るのは大変な苦労であったため、氏子が相談して村内に分祀。よって御祭神は尾崎神社に同じ。 ...

赤坂見附交差点から永田町方面へと上る富士見坂。 国道246号線で、上には首都高速4号新宿線が通っています。 坂上から赤坂見附と逆方向に下れば三宅坂交差点(左手:三宅備前守・現最高裁判所)と桜田濠。 夜の三宅坂交差点、桜田濠。 『江戸鹿子』に「赤坂松平出羽守 ...

かつての豊成村。 宝永元年(1704)御蔵派によって梵珠山地西端にいくつかの溜池を築造し、排水用の阿部堰を開削して開拓された俵元新田8ヶ村の1つ。 結構立派な神社なのですが…由緒等はわかりませんでした。 明治42年8月14日に福山の稲荷神社に合祀されています。 ...

立会小学校の南側に位置。 かつての間部下総守下屋敷横通りで、反対側は崖となっており、その奥には泉があったそうです。 『この「木の芽坂」という名は、若葉の頃が美しかったためにつけられたといわれている。江戸時代には、この坂の北側に越前国(福井県)鯖江藩間 ...

津軽平野の中央部、岩木川中流右岸に位置する亀田村です。 鶴田町の近くに立地することから鶴に対して亀と名付けられたのが村名の由来。 境内には亀田集会所があります。 御祭神は倉稲魂命(保食神)。旧神職堰八家門の社務を引き受けたもので、言い伝えによりますと、 ...

日が暮れる直前に訪問したら… 木々に囲まれた境内は真っ暗(笑) 当然写真もブレブレ…。 御祭神は天照大神・誉田別尊・天児屋根命。 貞享4年検地水帳によりますと、大明神社とみえ、神社書上帳によりますと蔵王宮とみえます。蔵王宮(元大明神社)の創建は不詳で ...

諏訪堂村。天文年間(1532-1555)の津軽郡中名字に『戦藤すはどう須和堂、諏訪堂とも書ク』とあります。 天正13年(1585)大浦為信の津軽統一最後の戦い(田舎館攻撃)の際、『諏訪堂村に垣上を構られ』と為信の本陣が築かれました。 津軽諸城の研究によりますと、この館 ...

古くは遠寺内とも書いた十腰内村。 村名については、刀鍛冶鬼神太夫が10振の刀を打ち込み、1振が飛んで杉に突き刺さり、里人がこれを神として敬い、9腰が残ったために十腰内と呼ばれるようになった…等々の言い伝えがありますが、過去にも何度か記事にしているので省略。 ...

御祭神は誉田別尊。 享保5年8月15日、産土神として勧請。 明治6年4月、稲垣村穂積鎮座の闇おかみ神社に合祭。明治7年12月、復社。 昭和52年9月19日に部落氏子の総意により修復。 境内に小さな祠が2つ。 一つは石造の獅子頭。 もう一つは空っぽ。 空っぽの祠の下 ...

鬼泊トンネルから奥平部地区に行く途中にあっただるま滝。 目の前は海。 見る角度によってだるまの形に見えるそうですが… わからん!わからんよー!!(笑) ブログ村ランキング参加中 ...

中里町誌によりますと豊岡村は明暦元年(1655)葛西甚兵衛により開村と伝えますが、国誌では「元禄13年(1700)新墾する処」とあり、地内神明宮及び加茂神社の創建も元禄13年となっています。 平山日記によりますと、元禄11年に深郷田新田として藩によって着手されたとあ ...

白と赤のコントラストが可愛い灯台。 建築者は楳図かずお…ではない。 初点昭和41年1月、平成15年8月改築。光達距離8海里、塔高11m、灯高36m。 晴れた日には竜飛岬や下北半島、更には北海道松前半島まで見える場所。この日は天気が悪く…。 灯台から磯へと遊歩道で降り ...

芦野村は寛文3年に佐渡国佐藤太兵衛・金木組太田村三上彦九郎によって開村。岩木川下流部右岸の低地です。 国誌によりますと、明治初年の村況として「村家堤に沿ひ汚窪の地にあり、土は極めて悪く、田多けれとも恒に不作あり」とあります。 御祭神は別雷命。 創建年月 ...

享和元年佐藤六郎左衛門が代官手代塚本藤九郎に相談した上で、福井村内の大川添北方を見分し、代官川田忠八へ開発を伺い、郡奉行の沙汰により福泊村と名付けました。後に長泥村に改称。 文化元年には下幅3間・上幅6尺・高さ7尺・長さ900間の築堤が岩木川沿いに完成。 天 ...

久々に本日の岩木山。 弘前市民には見慣れない形。 ブログ村ランキング参加中 ...

津賀野にある便心寺。入口は住所的に旧羽州街道沿いで弘前市百田。弘前市から青森市へ向かう国道7号の東側で江戸期の津軽野村。文化14年に津賀野村と改称されたと伝えますが、天明5年にこの地を訪れた菅江真澄は「川ひとつわたりて百田邑を過て、名をよぶ津軽野に出たり。い ...

津軽三十三観音霊場第21番札所。 松前街道沿い。 正面に滝があり、赤い橋の下を潜って海へと流れています。 釈迦堂は天長年間(824-834)創建、元和年間(1615-24)再建。本尊の釈迦如来像はこの地の舎利浜に打ち上げられていたと伝えます。 正面には釈迦如来像、左に ...

『岩屋観音の草創は定かでないが、貞享3年(1689年)「外ケ浜代官所…書上張」によるとこの天然の岩洞に小さな祠が建てられ観世音菩薩が安置されているとある。又、天明6年(1786年)頃の凶作が続いた大飢饉には人々が苦しみ心は荒れはて悪人を鬼と言われた頃、この観音堂は ...

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