くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2014年05月

御祭神は天岩戸別神(向かい清泉に石碑あり・天石戸別乃泉)、少彦命。 創立年月日不詳。明治3年に村社、 昭和22年に神社本庁に所属し境内国有地の無償譲与。 大重院医王山薬師堂(大行院支配の薬師堂)とも称した医王山大重院教円寺は大同2年(807)の勧請と伝え、本尊 ...

田光沼の近く。御祭神は田心姫命、厳島姫命、湍津姫命。 享保14年己酉年4月11日村中にて勧請。弁財天と称されていました。 狛犬が愛嬌がたまりません(笑) 明治6年4月穂積村闇おかみ神社へ合祀。明治8年2月復社。 昭和25年9月19日国有境内地譲与許可。 末社・庚申塔。 ...

盛岡天満宮の狛犬です。 かつては地面に置かれていましたが、昭和8年7月に思郷歌「病のごと 思郷のこころ湧く日なり 目にあをぞらの煙かなしも」の歌碑除幕式と同時に啄木の歌を刻んだ台座に据えられました。 阿形の台座には「夏木立中の社の石馬も 汗する日なり 君を ...

天神山に位置します。御祭神は菅原道真。 創建は不詳ですが、盛岡砂子によりますと、寛永2年(1625)まで四ッ家町から花屋町への入口の町裏の土手の上に鎮座。寛文年中(1661-1672)の頃に紙町の中津川沿いの町裏に遷座。同6年に現在の盛岡八幡宮の地へ遷座しましたが ...

真向かいの建物も大変趣があり、歴史ある下之切街道沿い情緒を色濃く残している一画。 正面には切妻、金属板葺きの四脚門。 寛文12年(1672)創建。 隣は長円寺。長円寺の涅槃像が見えます。 境内左には高欄、袴付き、切妻の鐘楼堂があります。 本堂 ...

津軽八十八ヶ所霊場第6番札所。 建保3年(1215)金光上人の創建。1215年ですって!凄い歴史がありますね。 真向かいには長円寺の幸福観音像が見えます。 本堂は宝形造り、茅葺、4間向拝付きの建物で歴史を感じさせます。 鐘楼。 本堂の茅葺が特徴的。 ...

かつての柏木村。寛永年間に斎藤小阿弥が浅瀬石川を取水する小阿弥堰を開削してから開発が盛んになりました。 また、かつては柏木組の中心地となり、代官所が設置されていました。安永5年柏木組17か村の祈願所でした。 鬼コがいます。 「八幡宮(平川市柏木町):鬼コ」 ...

平岡町は宝永年間に郭内武家屋敷の郭外移転により藩士が移住したことによって成立。正徳元年に駒越町の新割町として町名がつけられます。 由緒等は不明。 御祭神は猿田彦大神、天鈿女命。 社号標は昭和9年4月22日紀年銘で、高山松堂書。 高山松堂(明治2-昭和34年)は ...

かつての千代田村。 4代藩主津軽信政の頃に開村し、はじめは萩野村と称していました。 江戸中期の郷帳類には村名はなく、文政6年の新田開発功労者に対する恩賞の記事内に、享和初年から文政年間の間に成立した新開村として「千代田村 木造組」として見え、この頃に成立し ...

この地域ははじめ生田村と称しており、享保11年に米田村と改称しています。 元文2年の検地帳に稲荷社地がみえます。元文2年に米田・末広両村で創立した正一位稲荷宮。御祭神は倉稲魂命。 安永5年8月より俵元新田八ケ村の守護のため祈願所に指定され、明治元年まで公費をも ...

本尊は釈迦如来。もと長勝寺末寺。 貞享4年(1687)の検地帳に長円寺とみえます。 創建の詳細は不明ですが長勝寺並寺院開山世代調によりますと、古くからあった庵に長勝寺14世聖眼雲祝大和尚が勧請開山と伝えます。飯詰村史によりますと寛文7年(1667)のこと。 梵 ...

かつての大館村。 寛文12年(1672)に狄ヶ館溜池の池堤工事が行われており、この頃に当地の開田が進められたと思われますが、開村時期は不詳。 由緒は不明。 狛犬等もなくコンクリートブロック造の社殿があるのみです。 かろうじてこの石碑で稲荷神社だとわか ...

出羽神社シリーズ最終回です。 鐘楼と建治の大鐘。切妻造りの萱葺。 最上家信の寄進で元和4年再建。山内では国宝五重塔に次ぐ古い建物。鐘は建治元年の銘があり、古鐘では東大寺・金剛峰寺に次いで古く且つ大きいものとなっています。 平和之塔。 出羽三山神社参集殿で ...

前回の記事の大波乱を乗り越えて三の坂へと戻ってきました。 ミラクルな寄り道のせいで一気に体力を奪われています。 しかし上れど上れど目の前は石段ばかり。 (o´Д`)=зハァハァハァ そして杉ばかり… 田谷村杉は文化9年に田谷の庄屋渡部作左エ門が寄進されたもの。 埴 ...

二の坂です。 茶屋があります。 オアシスですね!! 二の坂を進みましょう。 (o´Д`)=зハァ 芭蕉三日月塚。 芭蕉塚案内。 日枝神社&愛宕神社。 三山無縁塚など。 鳥海山遙拝所。 本坊宝前院若王寺跡。 二の坂から分岐された道から続々と人が歩いて ...

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