くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2013年07月

寛文5年、羽州街道を経由するまで、西浜街道を利用していたため、この間亀甲門(北門)が弘前城の追手門とされており、当時は表門の商家街でした。 慶安2年に亀甲町となります。 国の重要文化財に指定されている石場家住宅。当主は代々清兵衛を名乗りました。度々改築が ...

弘前市大字小栗山字沢部。小栗山地区に整備されたこの公園は、農村地域に居住する人に憩いの場を提供するとともに、市街地に居住する人が農作業を通じて農業に対する理解を深め、互いに交流しあうことを目的とした施設。 公園には、市民農園、学童農園、身障者用農園のほか ...

追手門から入城すれば最初に見れるのが辰巳櫓です。 慶長15年(1610)建築で、3層3階、入母屋、銅板葺き、濠側には鉄砲狭間。 1、2層目は四間四方の同面積で、3層目は小さくなっています。 こちらも敵への攻撃や物見のために造られたもので、防弾・防火のために土蔵 ...

二の丸の丑寅櫓は敵への攻撃や物見のために造られました。 防弾・防火のために土蔵造りで銅版葺となっています。 慶長15年(1610)建築。3層3階、入母屋、銅板葺き、濠側には鉄砲狭間。 中濠を挟んで見ると見やすいです。 よく見ると中濠には水戸違いの仕掛けがあり ...

弘前城植物園です。 三の丸になります。 最初に申しておきますが、題名の如く植物目当てではなかったのですが、痕跡はほぼ皆無であり、ただ散歩してきたようなものです。 植物以外を撮る珍しい奴(笑) 植物園の詳細は植物園のHP、綺麗なお花の写真は津軽ジェン ...

杉の大橋です。長さ25.8m、幅5.8m。さくらまつりの撮影スポットとしても有名です。 名称は杉を使用した橋ということから付けられたと言われています。 戦の時には敵の侵入を防ぐために壊される橋でした。 そのため、壊すにしても燃やすにしても、柔らかくて燃えやすい ...

中濠を隔て二の丸と三の丸に架かる東内門外橋。 石橋です。 1848年(弘化5年)までは土橋でしたが石橋に架け替えられて城内唯一の石橋となっています。 橋の下はダムのような仕組みになっています。 このような仕組みによって弘前城の濠はうまく循環しているんですね ...

四の丸は賀田橋で二の丸に、波祢橋で西の郭に接します。 賀田橋の横には下御臺所や見張場がみえます。 四の丸と西の郭に架かる波祢橋は寛文11年(1671)に4代藩主信政が架橋したとされています。 かつては跳ね上げられる可動式の橋で、殿様がお忍びで市中へ出向いたり ...

櫛引八幡宮から程近い、同じ八幡丁にあった鳥居。 小高い丘の上にありました。 何やら石が祀られていましたが、よく読みとれず。 立派な注連縄をしていました。 こちらは櫛引八幡宮の一の鳥居からすぐ近くに鎮座する秋葉神社。火防・火伏せの神として広く信仰された秋 ...

7号線沿いを通り、道の駅なみおか付近に鳥居が見えたので行ってみました。 小さな祠がいくつかあり、馬が祀られていました。 どの馬も綺麗に祀られているのがわかります。 大石神社の馬を思い起こさせます。淡島様でしょうか、雨乞いなのか、子授け安産なのか。 真ん ...

弘前城の東門です。 2代藩主信牧の時代である慶長16年(1611年)建築。 門前は枡形となっています。 弘前公園に現存する5つの櫓門のうち、4つの門は昭和12年(1937)年に重要文化財として指定されましたが、東門のみ昭和28年(1953年)指定。本丸に向かうには最も近いル ...

住所的には貝ノ口になるのかな?城内の十役野に通ずる鳥谷部街道の坂の上り口に、杉の大木がそそりたち、その根元に2つの石があります。 新道を通す際にこの2基を近くに移し祀ったところ、某家に病人が出たので占ってみると、山の神様が元の場所に帰りたがっているというこ ...

龍泉山青岩寺は浄土宗白旗派岩手郡大泉寺の末寺とし、天正10年(1582)円良和尚によって開山されたものと伝えられています。 天保7年の古文書に寺領20石と出ていますが、同9年3月16日の大火により、本堂・庫裡・大門・観音堂・地蔵堂・鐘楼・裏門等すべてを烏有に帰せしめ ...

七戸神明宮です。 御祭神は大ひるめ貴尊。 七戸郷土誌によりますと、「応永3年(1396)丙子三月五日新町に勧請」「盛田喜右衛門が社地を寄進し南町へ奉遷」「浦田官蔵の社地寄進により更に遷宮」「明治14年9月22日人民寄付地に移転方申請許可」「明治26年8月竣工 正遷宮」 ...

七戸城趾の一隅にあります。城の西北にあたる杉林の中。 銘によりますと昭和47年10月30日石田吉六により300年忌追善供養のために建てられたよう。 この塚については諸説があります。案内看板には次のような内容がありました。 昔、七戸城の殿様には美しいお姫様がおり、 ...

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