臨江庵の北隣に位置。
本尊は釈迦如来。寺社修験本末支配之記によりますと聖寿寺末。
盛岡三十三観音第3番札所。
寛永年間(1624-1644)の創建。聖寿寺涼室宗蔭を招請して弟子法岩常公が開創。
元禄2年(1689)同寺中興の大道生安の伝法を得た大輪祥睦が住職となって ...
July 2013
館神跡 (弘前公園/弘前城 北の郭)
館神跡です。2代藩主信牧が太閤豊臣秀吉の木像を御神体として安置した場所。
藩主や場内の安全などにかかわる加持祈祷が取り行った場所で、ここへ出入りできたのは、藩主や神官やその家族などの限られた人のみでした。
表向きは稲荷社となっていますが、その後ろには厨 ...
籾蔵跡 &武徳殿など(弘前公園/弘前城 北の郭)
寛永末年の津軽弘前城之絵図では、子の櫓、門に囲まれた入母屋造りの平屋の建物、渡り廊下で繋がれた長屋風の建物などが見られる場所。館神の入口には平屋の建物が配置。
宝暦6年の御本城絵図によりますと、館神が記載され、更に文化2年の御城郭分間真図では屋形風の建物 ...
子の櫓跡 &鷹丘橋(弘前公園/弘前城 北の郭)
寛永末年の津軽弘前城之絵図では、子の櫓、門に囲まれた入母屋造りの平屋の建物、渡り廊下で繋がれた長屋風の建物などが見られる場所。館神の入口には平屋の建物が配置。
宝暦6年の御本城絵図によりますと、館神が記載され、更に文化2年の御城郭分間真図では屋形風の建物は ...
弘前公園石碑巡り
国指定史跡の標識。
碑の設計は河井寛次郎の唯一の内弟子で、弘前市出身の陶芸家・こぎん研究家である高橋一智。
鷹揚園碑。
弘前公園の雅名は、のちの大正天皇が命名され、名称表示碑は三の丸追手門前と弘前中央高校入口近くに建立されています。
前田光世碑(明治11 ...
yuki散歩 part6 ~ 葺手町・鉈屋町など
葺手町。旧町名になります。石畳風に舗装された道路にオシャレなcafeなどもある素敵な通りです。
『慶安四年(1651)盛岡の二十三町ができた。このとき岩手町が材木町に変り、屋根葺町が葺手町に改められた。葺手町は肴町の北一丁半、屋根葺が多く住んでいた。紺屋町から葺 ...
豊受神社 (田舎館村豊蒔)
あぁ~!!神社についた瞬間、天照大御神が天の岩戸にお隠れになってしまわれました(笑)
木々に囲まれた境内は想像以上に暗く、仕方がないので一部フラッシュ撮影。
豊蒔字牡丹森。
御祭神は豊受気命。
昔大根子村極楽寺護摩堂本尊不動尊の氏子でした。
その極楽寺 ...
天台宗 一輪山桂光院 報恩寺 (弘前市新寺町)
本尊は釈迦如来。もと寛永寺(東京都台東区)末寺。開山は本好。開基は三代藩主津軽信義。旧津軽家菩提寺。旧天台宗僧録所。
随所に古式と高い格式を示す大規模な本堂は県重宝。
貴重な近世本堂建築として、県内では長勝寺、革秀寺に次いで3番目の古さです。現在の本堂は ...
上野東照宮 ・ 旧寛永寺五重塔 (東京都台東区上野公園)
御祭神は徳川家康公、徳川吉宗公、徳川慶喜公。
あらためて訪問したら、男坂・女坂のような経路があることに気付いたんですが…
単純に伊豆栄梅川亭へ上る道なのかも知れませんね。
大石鳥居。1633年(寛永10年)酒井忠世建築奉納。国指定重要文化財。石材には備前の御 ...
胸肩神社 (五所川原市藻川)
御祭神は市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命。
創建年号は不詳。 貞享4年(1687)検地水帳には弁才天堂地がみえます。
明暦2年(1656)に弁天宮を蟹下と称する岩木川沿いの地に勧請。
度々の水害により、弘化3年(1846)現住所へ移転となりました。
水害といったら ...
弘前東照宮2013 (弘前市笹森町)
2016年の一般公開を目指しているという弘前東照宮。
現在は何とも淋しい状態。
拝殿も社務所も無くなると、さすがに広く感じますね。
もう本殿しか残っていません。
夏草や兵どもが夢の跡…的気分。
玉垣は修理したんですね…何か大雑把な気もしますが、以前はひど ...
弘前市仲町武家屋敷(旧笹森家住宅 / 若党町)
今年の春に復元工事が完了して一般公開されました。
平成7年に所有者の了解を得て弘前市が調査し、弘前藩が宝暦6年(1756)に作製した「御家中屋舗建屋図」に平面図と主要部分が一致し、弘前市仲町伝統的建造物群保存地区のうち最古の武家住宅として確認されました。
元 ...
未申櫓 & 春陽橋など(弘前公園/弘前城 西の郭)
西の郭です。この辺りはさくらの季節は最高ですけど、個人的にはさくらの季節以外も好きです。
人も少なくて緑囲まれてとっても気持ちいい場所なんですよ。桜の時期にしか行かないのはもったいない。
いつでもボートに乗れればいいのになぁ。
こちらの写真はその昔西濠に ...
埋門跡 (弘前公園/弘前城 西の郭)
西の郭です。この辺りはさくらの季節は最高ですけど、個人的にはさくらの季節以外が好きです。人も少なくて緑囲まれてとっても気持ちいい場所。
ここに埋門跡があります。
「埋門とは、石垣などの間に築かれる裏門の一形式で、延宝4年(1676)の規定によると普段は扉を閉め ...
鶴の坂 ・ もみじ谷 (弘前公園/弘前城 西の郭)
通称もみじ谷と呼ばれている有名な場所。
特にもみじの季節になればカメラマンに大人気のスポットでさくらを凌ぐ美しさです。
鶴の坂と呼ばれているのは坂上に鶴の松(アイグロマツ)があるからでしょう。
こちらの地図には現在のもみじ谷と同じ経路の坂道が描かれ ...
稲荷社跡 & 根上がりのオオイチョウ & 蓮池の玄武岩等 (弘前公園/弘前城)
本丸から蓮池を見下ろす場所。そういえばここの蓮は平成8年に一度全滅してます。その後も植栽を続けましたが回復せず。平成15年に猿賀神社より苗を分けてもらい、原因とされたアメリカザリガニを捕獲し、平成19年にようやく回復。
素人目ほぼ復活しているように見えますが ...
亀甲町 ・ 揚亀園揚亀庵 ・ 石場家住宅 ・川崎染工場等 (青森県弘前市)
寛文5年、羽州街道を経由するまで、西浜街道を利用していたため、この間亀甲門(北門)が弘前城の追手門とされており、当時は表門の商家街でした。
慶安2年に亀甲町となります。
国の重要文化財に指定されている石場家住宅。当主は代々清兵衛を名乗りました。度々改築が ...
小栗山農村交流公園 & 小栗山館 (弘前市)
弘前市大字小栗山字沢部。小栗山地区に整備されたこの公園は、農村地域に居住する人に憩いの場を提供するとともに、市街地に居住する人が農作業を通じて農業に対する理解を深め、互いに交流しあうことを目的とした施設。
公園には、市民農園、学童農園、身障者用農園のほか ...
辰巳櫓・時太鼓櫓跡・シダレザクラ(弘前公園/弘前城)
追手門から入城すれば最初に見れるのが辰巳櫓です。
慶長15年(1610)建築で、3層3階、入母屋、銅板葺き、濠側には鉄砲狭間。
1、2層目は四間四方の同面積で、3層目は小さくなっています。
こちらも敵への攻撃や物見のために造られたもので、防弾・防火のために土蔵 ...
丑寅櫓 & 与力番所(弘前公園/弘前城)
二の丸の丑寅櫓は敵への攻撃や物見のために造られました。
防弾・防火のために土蔵造りで銅版葺となっています。
慶長15年(1610)建築。3層3階、入母屋、銅板葺き、濠側には鉄砲狭間。
中濠を挟んで見ると見やすいです。
よく見ると中濠には水戸違いの仕掛けがあり ...
弘前大学教育学部学生寮 & 附属小 ・ 中学校など (シロクジャクなど/弘前城植物園)
弘前城植物園です。
三の丸になります。
最初に申しておきますが、題名の如く植物目当てではなかったのですが、痕跡はほぼ皆無であり、ただ散歩してきたようなものです。
植物以外を撮る珍しい奴(笑)
植物園の詳細は植物園のHP、綺麗なお花の写真は津軽ジェン ...