くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2013年02月

弘高下駅から桔梗野方面への坂道。 狭いのに交通量も人通りも多い道。しかも歩道はなし。その上、坂下は踏切(弘前高下駅・昭和27年開業)と土淵川に架かる橋。つまり冬場の運転は非常に危険度が高い坂道と言えましょう。 駅近くにはちょっとした公園が整備されています ...

深浦湊は津軽の日本海側で最も南に位置し、古くから蝦夷地と日本海岸・瀬戸内海方面とを結ぶ北国海運の寄港地です。 江戸時代には松前航路と下北航路の分岐点となり、風待湊と木材(檜・杉・槻等)を上方へ積出す港として明治末まで栄えました。 深浦駅の裏手(踏切を渡 ...

尾開山北東麓にあり、大仏公園(石川城跡)の入口に位置。 本尊は釈迦如来。もと川龍院末寺。 寺伝によりますと、鎌倉時代から南北朝・室町時代にかけて津軽地方に勢力を張った岩館村の曾我氏の菩提寺として岩淵寺があり、同寺住職の隠居寺である浄清庵が大仏院の前身。 ...

夜の善国寺坂。 この辺りも坂道が多いです。 かつての善国寺谷を挟んで対となる坂道。 写真がボケまくり…暗いせいなのか…お酒のせいなのか(笑) 「この坂を善国寺坂といいます。『新撰東京名所図会』には「善国寺坂、下二番町の間より善国寺谷に下る坂をいう。むかし ...

貞享4年(1687)検地水帳によれば神明社が見えます。 社堂境内記では延宝元年(1673)建立。また安政2年(1855)神社書上帳には神明町に万治2年(1659)再建の神明宮とあります。町の名にもなっていますねぇ。歴史は古いです。 神額の文字が素敵ですね…一瞬「神谷 ...

懐古主義的土手ブラシリーズのラストはもちろん下土手町です。土手ブラ最高ー♪ 明治初年から明治22年は弘前を冠称。町名の由来は土淵川の土手によるとされます。 江戸期は弘前城下の1町で町人地。明治22年弘前市に所属。以後当町は弘前市を代表する商店街として発達。 ...

かくは宮川、ハイ・ローザ、今泉本店、カネ長武田、紅屋、佐藤スポーツ、キンダー館しらとり、ジョイポップス、レディスファッション花邑、おもちゃのふせ、花房、赤湯旅館…昔の土手町を回想しながら歩いてみませんか? ってことで、上土手記事に引き続き、中土手ブラー! ...

かくは宮川、ハイ・ローザ、今泉本店、カネ長武田、紅屋、佐藤スポーツ、キンダー館しらとり、ジョイポップス、レディスファッション花邑、おもちゃのふせ、花房、赤湯旅館…昔の土手町を回想しながら歩いてみませんか? 代官町角から松森町までは通称上土手町で、南に品川 ...

土手町から続く一番町。 緩やかに左へと湾曲する一番町の坂を上り、桜大通り(桜大通り市民広場横)を抜ければ正面は弘前城。 しかし昭和33年まで一番町は突き当りだったのです。 一番町は慶安2年(1649)の寺町の大火後に町割りしており、それ以前は寺院の敷地でした ...

鳴沢地区の南浮田集落にあります。郭や堀が遺構として残っているそう。 百万遍と個性的な案内看板が目印。 しばらく進むと… もしもーし!さっきも入口だったよ?(笑) その後、溜池を横目に… 山へと上がっていきますが… 案内看板はなし。なんでも規模や城主などがわ ...

西野曽江村。野添村とも書いたといいます。平川支流の引座川がつくった氾濫原上にあります。明治8年に旧黒石藩領の野添村(黒石市東野添)との混合を避けて野曽江村から西野曽江村に改称。 こちらの地図を見ていたら西野曽江村に何かの石碑と木1本の絵が見えましたので、実 ...

本尊は釈迦如来。もと隣松寺末寺。創建不詳。 初めは兼平村にあり、開山は心蓮寿用。 藩祖津軽為信の姉で、為信の三老の一人兼平中書綱則室の菩提寺で、綱則室を開基にあて、寺号は蘭庭薫香大禅定尼の法号によります。 曹洞諸寺院縁起志によりますと、創立年代は ...

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