くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2011/11

黒石神明宮本殿のすぐ裏手、黒石のキワに名の無い坂道が存在します。 ちょうど黒石神明宮を上ノ坂と挟む形になりますね。 『上ノ坂』 この坂道は袖摺坂とでも言わんばかりの細い坂道で両脇は一般住宅となっています。 湾曲しながら下る細い坂道。 景色も良くてどこと ...

御膳水(ごぜんすい)。 『貞享3年(1686)12月、津軽藩四代藩主信政公より、「紙漉座」新設の命を受けた頭取の熊谷吉兵衛が、良質の紙をつくるには、大量の良水が必要という見地に立って、「御膳水」を含む「富田の清水群」の一郭に「紙漉座」を設けた。現在の紙漉 ...

本尊は釈迦牟尼仏。国誌によりますと、慶安元年、弘前長勝寺3世月寒雲鶴が当地に曹洞宗寺院がないために開創と伝えます。明暦元年、弘前藩より津軽信英が黒石5000石を分封されると菩提寺にあてられました。3代修英が本堂建立。明和3年の大地震により諸堂は倒壊しましたが、黒 ...

大館市花岡町です。 元は岩本の男神女神の麓にあって、真言宗に属し「森昌寺」と号していたそう。天正の頃、七ツ館の現在地に移転したと言われています。 天正2年(1574)12月、花岡城浅利定頼公が秋田実季と戦い戦死し、その後、子息の定友公が当寺を再建し、定頼公を開基 ...

花岡事件そのものについては皆さんご存知でしょうし、ネットでも詳細がいっぱいが出てきますので私は細かく触れません。概要についてはこの記事の最後に軽く掲載しておきます。 (桜木神社方面に見える煙) 事件当時の花岡鉱山経営責任者は戦後、東京電力会長、日本原子力 ...

明治時代から今も変わらず時を刻む洋風建築の時計台。 明治22年(1889)に三原堂の弘前支店として造られたと言われています。第8師団司令部設置に伴い、仙台方面から多くの商人が移住してきました。 大正9年以降、一戸時計店の時計台は中土手町のシンボルとして親しまれ ...

黒森山の中腹にある浄仙寺は、森に囲まれた静かな境内は泉水とあやめの名所で、森の中には郷土の生んだ文人の文学碑が数多くあり、文学の森と称されています。 浄仙寺は文政7年(1824年)是空行者が開山。 是空は中野不動尊境内の洞窟にて断食修行中「これより北の ...

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