くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

November 2011

石川城趾(大仏ヶ鼻城跡・大渕ヶ鼻城跡)と呼ばれる大仏公園の丘は城址です。 中央の大きな窪地が舘趾、平川を望む東は物見台、南には土塁、標高97.4mの西の頂が本丸趾で本丸の下に二の丸、三の丸があります(推測)。 郭内を走る路線。 大仏院(天正5年銘の十一面観 ...

浪岡は北中野にあります。 五輪塔とは言いますが… 正直保存状態はあまり良くありません。この五輪塔跡は、国史跡浪岡城跡の主であった北畠氏累代の墓所と伝えられています。 中央の「北畠累代の墓」銘の碑は、明治15年の天皇巡幸に際し太政大臣三条実美の題 字により建 ...

現在の弘前城の場所にあったと言われる古社で築城にあたり、地主神として鬼門に移されました。古くは奥尾崎(現中泊町、旧小泊村付近)に崇神天皇(西暦紀元前85年)の創建云われ、斉明天皇4年(658)の時阿部比羅天がこの神社を崇敬し熊野三所大権現を奉ります。 概要『 ...

長勝寺の隣にある禅林公園の忠霊塔。 忠霊塔(ちゅうれいとう)とは、近代以降の日本において建造された、国家や君主ために忠義や忠誠をもって戦争に出兵し戦死した者の霊に対して、顕彰または称え続けることを象徴する塔で、西南の役、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵 ...

浅瀬石地区の高賀野町内は市街地から一段小高い山手沿いにあります。 この町内を縦断する生活路線が幹線市道浅瀬石・袋線で、町内の入口から出口までは急勾配の高賀野坂が続きます。 なかなかの勾配でして、かつては冬になるとスリップ事故が多発したそうです。 現在 ...

「読み書き算盤」!! 天文年間(1532~1555)に開設されたと言われる紙漉沢村寺子屋跡。 津軽で最も早くに開かれたと推定。 ...

能代市母体(県道294号沿い)小沢口にあるハゲの坂です。 母体は檜山城の鬼門に当たり、近くには安東氏の崇敬社となる母体八幡神社もあります。 ちょうど三叉路になっており、どの方向へも下り坂。 坂上には「ハゲの坂苑」と名付けられたちょっとした花壇があります ...

黒石にあります法眼寺(ほうげんじ)。 宝厳山法眼寺は延宝8年(1680)南宗禅師により温湯村に開基後、元禄4年(1691年)に三代領主の内意により、現在地(山形町)に移されました。 法眼寺は県重宝が2、市民俗文化財1、市有形文化財2の合わせて5つが文化財指定されている ...

秋田犬会館に行ってきました。 大館の三ノ丸にあります。 住所も三ノ丸ですが、実際に旧大館城の三ノ丸があった場所なので三ノ丸跡地です。 3階は秋田犬博物室です。 庭に遊ぶ秋田三鶏。 ニホンカモシカの剥製。 ここにあった「おまえ絶対に間に合わないよ! ...

何度も訪れています…霊場恐山菩提寺。 高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊場の1つ。カルデラ湖である宇曽利湖を中心とした外輪山の総称であって恐山という単独峰は存在しません。 なんていうか…中ではあまり写真を撮る気がしないので撮ってません。極楽と地獄の両方を感じさ ...

誓願寺山門。 重要文化財。 場所は弘前市新町。 慶長元年(1596)平賀町の大光寺村に創立され、元和元年(1615年)弘前城築城の際に西の守りとして現在地へ移されたものと伝えています。 京都誓願寺を模して建てたとも伝えられ、四脚門のような柱配置を取りながらも、 ...

1976年にオープンし、地下1階・地上8階という大きさを誇る弘前のシンボル的存在「イトーヨーカドー」を中心に、現在もある程度の賑わいを見せている弘前駅前ですが、そんな通りから路地を1本入りますとまるで別世界になります。 この辺にサンジョイスクールという塾があ ...

今年の8月に県重宝に指定されたばかりの岩木山神社社務所を訪れました。 社務所は江戸時代末期の建築で明治の神仏分離以降は社務所として活用。 木造平屋建てで建築面積は約403㎡。 入母屋造り茅葺屋根で、座敷の周囲に土縁を巡らせ、「御座の間」など藩主参詣を想定 ...

岩木山神社です。 御祭神は顕国魂神、多都比姫神、宇賀能売神、大山祇神、坂上刈田麿命。 「いわきさん」じゃなく「いわきやま」ですよ。岩木山を津軽の人々は「お山」と呼び、お岩木様とあがめて、ふるさとのシンボルとし、郡中の農民は農業神として伝統的な厚い信仰を寄 ...

羽州街道(旧田代町長坂地区)。 長坂の名の通り、ひたすら長い坂が続きます。 途中に鳥居や農村公園的なものがあります。 この公園へ上る階段がまた急なこと。 詳細はわかりませんが長坂は集落台地全体が館郭だったとか。 集落台地全体が館郭を成し集落の東西 ...

弘前城下の道路は、敵の侵入を困難にする様々な工夫がされていましたが、見通しを防ぎ、直進できないように二重の角をつけた桝形もその一つです。 ここは弘前城の出城構の長勝寺構に当たるため、特に設けられたといわれています。※出城とは本城のほかに国境などの要害の ...

当時桝形へと向かう道は煙草屋兵庫介と煙草屋高清水四郎兵衛の屋敷に挟まれている小路で、道へ入るとすぐに屈曲して桝形を形成しています。さらに土塁と堀があり、この長勝寺を中心とした区画の造りを長勝寺構(国史跡)と称しています。現在は西茂森一帯。 築城時に茂森山 ...

今夜から「ブラタモリ」シーズン3スタート。 ってことで江戸の坂でも紹介しますか。 【暗闇坂】 左に大きく湾曲しながら上る急勾配、暗闇が心まで隠してくれそうな細道。 かつては樹木が暗いほど生い茂った坂でした。以前の宮村(町)を通るため宮村坂とも呼ばれました。 ...

黒石のキワを感じることができる東公園。 この階段も黒石のキワの高低差を容易に感じることができるいい場所ですね。 さて、以前にこちらの記事でちょっぴり触れた「落ちても死ねない円筒分水工」を紹介。 まずは「落ちたら死ぬ円筒分水工」の記事を読んでください。 な ...

出間館(いづるまだて)。 平山城。築城不明。城主出間氏。 永正年間(1504~20年)から元亀年間(1570~73年)にかけ、出間氏が居城。 和徳城主小山内讃岐守に攻められ落城しました。 しかしいずれも詳細については不明な部分が多いです。 遺構は一切ありませんが ...

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