くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2011年10月

本州最北端の村「三厩村」にある義経生存伝説の寺。 源頼朝に追われて奥州平泉の衣川にて自刃したとされる源義経が、実はこの三厩から津軽海峡を渡って蝦夷地(北海道)に渡ったという伝説が残されています。 厩石(まやいし)と言われる岩礁です。 蝦夷地に逃げようとし ...

和徳城。平城。 弘和年間(1381~84)、安東氏の一族である安倍氏が築いた言われています。 南部氏が攻めてきた文安2年(1445)、清原氏の流れを汲むとも言われる配下、小山内氏の内通によって城は落城。以後、小山内氏は南部氏に従い和徳城の城主となります。 天文12(1 ...

住吉神社を探索すれば、遠くからゆっくりと近付いてくるお方がいます。 住吉神社を守りし、住吉伍長です。 住吉神社に行けば必ず現れて、私のような侵入者がいれば警備にあたります。 私が探索開始すればすぐ後ろを… のしのし…私が止まれば… 再び探索開始… のしの ...

辻坂より吉野町へ下りて正面に見える鎮守の森。 住吉町は江戸時代の弘前城下の一町。1708年(宝永5年)4代藩主信政の代に富田村領に住吉大明神社地(普光院)が置かれ、それに由来し住吉町になりました。主に下級武士が居住。 かつて住吉神社で御祭神が表筒男命・中筒男命 ...

其之壱はこちら。 其之弐のコース。 まずは久渡寺山山頂から岩落山山頂へ続く吊尾根を歩きます。 「太陽の道」と言います。 今回は行きませんがライオン岩という場所もあります。 吊尾根を象徴する案内標識。 太陽の道はブナやヒバの木漏れ日が気持ちがいいですね… ...

こどもの森は弘前市制80周年記念事業として1969(昭和44)年にオープン。 久渡寺の高坂智晋住職と藤森睿弘前市長が「これからは子供たちが自然に親しむ機会が少なくなるので子供たちにそういう場を提供しよう」と話し合い、高坂さんが山を無償で開放しました。 標高663mの久 ...

ちょっぴり昔の地図を見ていましたら弘前城西濠付近に「弘前水族館」の文字が。 場所は「お食事処野の庵」の隣…そういえばちょっと変わった建物があったなぁ…あれ?水族館でしたっけ? で、行ってみたらありました…弘前水族館「マリンパークひろさき」! 私は中に入っ ...

太宰治まなびの家です。 大正10年(1921)11月建築。木造2階建。 大正10年(1921)に旧碇ヶ関村村長宅を移築したと伝えられています。 昔の写真。 今の玄関と昔の玄関。 当初の建築場所は現在地から100mほど北西にありましたが、建物の向きも変えることなく現在の ...

津軽平野南東隅の微高地に築かれた平城で、西から東側に主郭、二の郭、三の郭を連郭式に連ねたシンプルな構造。規模は東西90m×南北150mで周囲には堀があったと推測されていますが詳細は不明。 永禄年間(1558~1570年)中期、大光寺城主滝本播磨重行が敵対する乳井福王寺の ...

明徳館は久保田藩第9代藩主佐竹義和が開いた藩校です。 『成章書院は寛政5年(1793)8月3日秋田の御学館(明徳館)の申渡しにより創立され、同日付けで教授に塩谷頼母、大森金吾の2人が、教授見習に5人が任命された。創立当時は郷校と呼ばれていたが、寛政10年(1798)に御 ...

三世寺一帯は、鎌倉時代鼻和郡尻引郷(しりひきごう)で、藤崎安藤氏の領地でした。 そしてこの地には、天台宗三世寺が独立丘陵に館を構えていました。 同寺の大檀那は安藤氏で別当は熊野修験であり、したがって館は修験館です。 神明宮はこの館跡に位置し、境内 ...

弘前市サイクリングロードは弘前市街地から久渡寺付近まで続く自転車専用道路です。中々の距離に感じるかも知れませんが、自転車専用なのでストレスも無く、意外にあっという間に久渡寺付近に着きます。ちなみに写真は東北電力(株)桔梗野変電所です。こういうところにカメラ ...

津軽総鎮守、縣社弘前八幡宮。 鼻和郡八幡村(旧岩木町八幡)に鎮座していたのを津軽藩祖為信が堀越に移し、2代信枚が弘前城築城により、城の鬼門の押えに現在地へ遷しました。 弘前の総鎮守で津軽全郡111名の社司を統括しました。 長い参道で一の鳥居はかなり離 ...

今回は大館市です。 大館市と言えば秋田県になるわけですが、弘前からだと青森市よりも近い感じで気軽に行ける場所ですよね。 大館市は山々に囲まれている山間部で江戸時代には久保田藩の大館城下として栄えた町です。 そんな大館から紹介しますのは「八十萩(やそはぎ)の ...

厳密に言えば吉野町の坂で、山道町方面へと上がる坂ですが、山道町の坂と言った方がしっくりきます。坂そのものよりも、周りの情景や坂上の丁字路が実に趣深い坂道です。 寛文13年の弘前中惣屋敷絵図に土手町から山道とあり、これに由来している地名です。 江戸期は侍町 ...

百沢街道は、岩木山(いわきやま)神社へ参詣する信仰の道。山道なので勾配のある街道です。 遊歩道も整備され、お山参詣に利用されています。 この県道は、各集落の中を通る生活道路だったため、集落内を回避して走れるようバイパスがつくられました。 松並木の植栽 ...

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