くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2011/09

旧黒石城、黒石陣屋(黒石城)と紹介してきましたが、今回は知る人ぞ知る新黒石城です。 黒石市牡丹平。当時は物凄いライトアップで国道102号線からも一目でわかるほど派手な城だったそう。 津軽家と豊臣家の歴史には深い関わりがあることから、この派手な新黒石城も豊臣の ...

黒石市境松にあります旧黒石城趾。 別名黒石館。有名な黒石陣屋が黒石城と呼ばれている経緯から現在は旧黒石城と呼ばれています。 元弘3(1333)年末から翌建武元(1334)年の大光寺合戦にて「山辺郡二想志郡」「田舎郡上冬居郷」の地を得た工藤右衛門尉貞行が居館として築い ...

弘前の新寺町にあります稲荷神社。新寺町寺院街の袋宮寺の北、北側を寺沢川が東流。北新寺町はかつて同社の境内地。祭神は宇賀魂命、猿田彦神、大宮能売神。旧村社。 津軽一統志によりますと稲荷大明神とあり、別当は浄土宗白狐寺(廃寺)、宝永5年(1708)10月22日4代藩主 ...

明治26年青森県尋常中学校の校舎として、川元重次郎によって建てられました。 木造2階建ての洋館。 明治27年(1894)1月11日落成した旧青森県尋常中学校本館の中央部です。 模型。 明治27年平面図(赤部分が現在の記念館)。 昭和33年(1958)に新管理棟建築のため ...

桜ヶ丘・緑ヶ丘・旭ヶ丘…丘に向かう坂ですから必然的に勾配はあります。 特に由緒や情緒はありません。ただ由緒とまではいかなくても、この坂にはある呼び名が存在します。 弘前南高校の生徒によって呼ばれし「大開スペシャル」「南高スペシャル」。 私が名付けるなら「三 ...

千年公民館・児童館前に立っている大きな一本松。 築城当初、堀越街道は秋田大曲街道と共に津軽の主要街道とされていましたが、貞享元年(1684)に小栗山の松山を千年山と名付け、御仮屋長楽亭等を建設し、八橋の景を造り、また翌年の貞享2年(1685)4代藩主信政公の時に、 ...

八坂神社の参道・昔の大円寺門前へと下る坂道です。 新寺構から南溜池の反対側へと下る坂道でちょうど辻坂と平行します。 新寺町からほぼ直線的な位置にあり、新寺構の最勝院のすぐ横ですし、古地図で確認しても古くから存在していることから、非常に歴史深い坂道です。 ...

竜飛岬です。 天気が良ければ大日本帝国海軍の望楼からはっきりと北海道松前半島が見えます。 石川さゆりの津軽海峡冬景色を聞くことができますが風が強いとほぼ聞こえません(笑) 国道339号は弘前市から外ヶ浜に至る一般国道。東津軽郡外ヶ浜町三厩竜飛の竜飛灯台付近か ...

『新坂 ~ 其之壱』 黒石の新坂です。袋井ー内町と上がって横町へと続く坂道。 坂道って時間を凝縮してくれますよね。新坂の情緒を見ていきましょう。 明治初年の千年橋。 千年橋は明治9年に追子野木村民によって架けられました。長さ60間、幅2間で渡橋賃を徴収。 明治28 ...

黒石の新坂です。袋井ー内町と上がって横町へと続く坂道。 元禄7(1694)年の御国中道程之図と照らしてみますと、陣屋の敷地東側、大手門(現在の市ノ町と内町の交差点)付近へと上がる坂で当時は侍町でした。とは言っても坂自体ができたのは後々の話です。 藩政時代は上 ...

有名な愛宕山橋雲寺より細越竹原方面に坂を下って行ったら村社愛宕神社がありました。 御祭神は軻遇突智神。創立年月日不詳。 古来、 不動尊観音堂の二祠あり。 不動尊祠は後に愛宕神社と改稱。  明治6年大浦村八幡宮に合祀し、 明治8年復社、 同年9月村社。 愛宕温泉の近く ...

文化幼稚園の隣にあります。 弘前には昭和2年建築の鉄筋コンクリート建造物「三上ビル(旧弘前無尽社屋)」が貴重な建造物として残っているが、こちらもまた馴染みのある建物かも知れません。 というのも、意識してみれば、高く突き出たその塔は意外に色々な場所から視 ...

弘前市薬師堂日照田に在ります熊澤神社。旧館跡地の一部。御祭神は少彦名命、軻遇槌命、武甕槌命。また、当熊澤神社は水を恵む神であると伝えます。 延暦年間坂上田村麿東征の折、当國に下向、戦不利のため悪鬼降伏のため、祈願勧請。 不思議な感応あり妖鬼退散降伏すと ...

陸羯南(くがかつなん)巌城の詩碑。 狼森の大狼神社に向かいます。 昭和29年に大和沢地区にある稲荷神社の分神として建立。合格祈願に御利益があるらしいですよ。 ここの神社…最初の社号標がかなり離れた場所に。下の写真の右奥の山の山頂に向かいます。当時はこの位置 ...

陸羯南(くがかつなん)生誕の地。 ここは立派な黒松をはじめ、趣のある通りですよね。 安政4年(1857)10月4日、弘前、在府町22番地に中田謙齊・なほの長子として生まれました。本名は實(みのる)。号羯南。明治12年、陸(くが)姓を名乗ります。政論家。工藤他山思斉 ...

※第八師団の煉瓦倉庫とは違うようです。「津軽米穀卸事業協同組合」の米倉庫でした。でもいずれ私と同じ疑問を持つかも知れぬ人のために、一応記事はそのまま残しておきます。   情報を得ることができなかった品川町の煉瓦倉庫。 何か知っている方がおりましたら、この倉 ...

明治30年8月23日 弘前衛戌病院として創設  昭和11年11月10日 弘前陸軍病院と改称  昭和20年12月1日 国立弘前病院として発足 平成16年4月1日 独立行政法人国立病院機構弘前病院に改称 歩兵第三十一連隊の置かれた一角に陸軍施設として明治30~31年に堀江佐吉によって ...

弘前市立第三中学校前の野砲兵第八聯隊之碑 第三中学校に門が残っています。 元々の第三中学の校舎は富田安原の旧野砲隊兵舎でした。 三中の向かい一帯もほぼ陸軍用地で、歩兵第三十一聯隊や陸軍倉庫がありました。現在は小学校、高校、交番、商業地、病院、公園とな ...

私の好きな菅江真澄の『津軽の奥』に、新法師へ向かう途中、つくり坂や羽黒の神が出てきます。 旧岩木町の宮地造坂(みやじつくりざか)。大正から昭和初期に造成されたもので、古い旧造坂は羽黒様方面の道になります。よって現在の坂は新造坂と呼んでもいいと思います ...

茂森町桝形の中心にあります正進会館。 ちょうど桝形の標柱が建っているところです。 隣には消防西第一分団屯所。 明治時代、歩兵第三十一連隊の将校集会所として建築された建物。 後に茂森町青年会館として当地に移築され、最近までは空手道場として活用されていまし ...

日露戦争中の明治41年に編成された歩兵第五十二聯隊。 弘前実業高校グラウンドとその付近になります。 1993年までは、この一体は空き地となっており、レンガ倉庫敷地内は弘大の音楽サークル練習所(通称城南倉庫)があったくらいで殺伐とした感じでした。 現在は個人倉 ...

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