
青森県十和田市大字奥瀬字栃久保。奥入瀬渓流館内。
奥入瀬モスボール工房(9:00-16:30・火曜定休)。

十和田湖から太平洋へ流れ出る唯一の川である奥入瀬川。その上流から約14kmのエリアが奥入瀬渓流です。奥入瀬渓流は深いU字型の渓谷で空中湿度が高く、十和田湖の保水機能により氾濫しにくく苔が生育しやすい環境にあります。現在の調査では約300種類以上の蘚苔類(コケ)が確認されているそうです。2013年に日本蘚苔類学会により「日本の貴重なコケの森」に選定(※苔の三大聖地:屋久島・北八ヶ岳・奥入瀬)。
まずは館内で苔の勉強。
なぜ奥入瀬にはコケやシダが多いのか。奥入瀬は南八甲田連峰の南東麓に位置し、冬は大陸からの季節風(北西風)により大量の積雪に見舞われます。その水は谷の上部に広がるブナ林に貯えられ、谷底は常に水が供給される集水域となっています。一方、梅雨から盛夏にかけては北太平洋に発達する高気圧からの北東風(ヤマセ)により、霧の日が多くなります。ヤマセによる霧や雨は、樹上や岩上のコケやシダによって重要な水の供給源です。奥入瀬の水源である十和田湖は、その面積約60平方キロ(湖周約46キロ・直径約11キロ)最大水深約327メートルという巨大な淡水湖で、湖自体が天然のダムの役割を果たし、渓流の水量安定に寄与しています。それが流域内の養生植物の生育を助けてきました。隠花植物とも呼ばれるコケやシダの豊富な、まさに「隠花帝国」ともいえる奥入瀬の景観は、このように地形・気象・植生の3つの条件があいまって生まれたものです。また明治時代より景勝地として知られ、景観保護の歴史が長かったことも「天然の苔庭」が維持されてきた理由のひとつです。

「奥入瀬」(2002年1月北川文化)。作詞北川文化、作曲桜庭伸幸、歌唱山本譲二。
十和田・奥入瀬のあゆみ。
1665(寛文5)十和田鉛山で鉛鉱山発見。
1693(元禄6)五戸郷藩士木村又助秀晴、十和田道開削。
1807(文化4)菅江真澄が十和田湖を遊覧し、のちに紀行文「十曲湖」を著す。
1853(嘉永6)9月盛岡藩士新渡戸伝の建議により盛岡藩三本木平(現在の十和田市周辺)の開田に着手。
1859(安政6)5月開田事業は、子の新渡戸十次郎に引き継がれ、奥入瀬川から三本木原への上水が完成。
1869(明治2)開拓者栗山新兵衛、十和田湖畔休屋へ入植第1号となる。
1883(明治16)五戸町出身の入植者三浦泉八、五戸~宇樽部間新道開削。
1889(明治22)法量、奥瀬、沢田を合わせて法奥沢村となる。
1890(明治23)和井内貞行、鈴木通貫、三浦泉八の連名で青森県知事へ「養魚願」を提出し、翌年許可される。
1902(明治35)1月23~25日歩兵第五連隊の雪中行軍が八甲田で遭難、隊員210人中197人が凍死。12月和井内貞行、青森県水産試験場よりヒメマスの卵を譲り受け翌年、十和田湖に稚魚を放流し養魚事業として成功。
1903(明治36)村長小笠原耕一の尽力で十和田道(奥入瀬林道)開通。
1908(明治41)8月大町桂月、鳥谷部春汀、平福百穂らが初めて来湖。10月大町桂月、雑誌「太陽」に十和田紀行を発表し、十和田湖を広く紹介する。
1912(明治45)1月1日青森県知事武田千代三郎の「十和田保勝論」が東奥日報に掲載される。
1912(大正元)8月十和田保勝会が造船した「奥入瀬丸」就航。
1923(大正12)詩人児玉花外が桂月とともに蔦に滞在。大町桂月らが十和田湖を中心とする国立公園設置に関する請願を出し、桂月は1925年8月、蔦温泉にて死去。
1926(大正15)8月九條武子、十和田湖を訪れ歌を詠む。
1927(昭和2)7月全国紙新聞社企画による日本新八景に湖沼の部で十和田湖入選。
1928(昭和3)4月12日十和田湖、奥入瀬渓流が国の天然記念物に指定。8月文学者泉鏡花、十和田湖に来遊し「日本八景をめぐりて」を著す。
1931(昭和6)法奥沢村を十和田村と改称。
1934(昭和9)8月青森~十和田湖間のバス開通。
1936(昭和11)2月1日十和田国立公園に指定。
1938(昭和13)12月十和田国立公園特別地域指定(小倉・中山半島、渓流、南八甲田地区)。
1943(昭和18)2月十和田発電所運転開始。
1952(昭和27)3月29日十和田湖及び奥入瀬渓流が国の特別名勝天然記念物に指定される。佐藤春夫の詩碑、奥入瀬川にできる。
1953(昭和28)10月21日高村光太郎作「乙女の像」の除幕式が行われる。
1955(昭和30)十和田村を十和田町に改称。
1956(昭和31)7月10日八幡平地域を国立公園に追加し、名称は十和田八幡平国立公園となる。
1957(昭和32)鹿内辰五郎、太田吉之助が十和田湖八甲田紹介の尽力により東奥賞を受賞。
1967(昭和42)3月23日国立公園特別保護地区指定(十和田八甲田地域)。12月青森県側で十和田湖四季観光の幕開けとしてバス運行を通年化。
1970(昭和45)7月1日休屋に十和田八幡平国立公園管理事務所を開設、国立公園全体を管轄する。
1975(昭和50)3月奥入瀬歩道(焼山~子ノ口完工。4月1日十和田町を十和田湖町に改称。
1977(昭和52)第32回国民体育大会(あすなろ国体)のカヌー競技を十和田湖畔の字樽部及び奥入瀬川で開催。
1987(昭和62)十和田湖環境保全会議、十和田湖憲章制定。
1988(昭和63)3月23日私たちの名水「八甲田清水」として青森県より認定。
1991(平成3)5月21日十和田湖町連合婦人会が『緑化推進』の功績で内閣総理大臣より表彰。

青森縣内十和田湖風景地圖。十和田縁起拔書、注意事項、諸案内、十和田神社参拝御案内などの文章が書かれていますが、目が悪くて見えませんでした。
奥入瀬モスボール工房~小さな奥入瀬(こけ玉)専門店~。奥入瀬渓流館にて、モスボール(こけ玉)の展示販売・制作体験の運営。
奥入瀬に生育している苔・シダ・樹木をモチーフに、苔むした岩を「こけ玉」に見立て「小さな奥入瀬」を表現。
こけ玉とは植物の根を土で包み、その表面に苔を張り付けたものです。ブナ・モミジ・シダ・カツラ・ミズナラなどの苔玉は奥入瀬ならではのお土産として人気です。
ってことで…

一通り苔観察をして、いよいよこけ玉作りです。制作過程は省略。現地で習ってください。

こけ玉作り体験は開催時間が決まっているのであらかじめチェックしておいて下さい。

こけ玉作り体験は開催時間が決まっているのであらかじめチェックしておいて下さい。

ちなみに奥入瀬渓流は国立公園の特別保護地区及び天然保護区域。コケを含むすべての自然物の採取が禁止。こけ玉に使用するコケは契約農家から仕入れた素材のみを使用しております。
頑張って育てます!



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