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栃木県日光市山内。行者堂から下って来て、瀧尾神社参道途中に合流し、ここから瀧尾神社を目指します。
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最初に現れた石塔は…大小べんきんぜいの碑!生理現象なのでお約束はできません。
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大小べんきんぜいの碑…『古くは、このあたりに栃御門(桜門)、下乗石、木の鳥居などがあり、これから先は滝尾神社の聖域に入るので、大小便を禁ずる碑が立てられた。庶民にも読めるようにと、「大小便禁制」のうち大小のほかは、「平仮名」で書かれているのが珍しい。』
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参道。この石は非常に歩きにくいです。上を向いて歩くと足を挫きそう。滝尾神社参道周辺には樹齢500年以上の老杉群があります。文明8年(1476)日光山第44世別当になった昌源が植えたもので、中世繁栄期の遺産であり、「昌源杉」と呼ばれています。以前はそのうちの1本が、飯を盛ったような形に繁って目立っていたので、「飯盛杉」と呼ばれましたが、昭和38年の突風で倒木したそうです。
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白糸の滝。
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白糸の滝…『天狗沢にかかる名瀑。高さ約10メートル。弘法大師修業の場と伝えられる。文明18年(1486)京都聖護院の道興准后が日光を訪れ、その時の紀行文「廻国雑記」に左の和歌が詠まれている。「世々を経て 結ぶ契りの 末なれや この滝尾の たきの白糸」』
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白糸の滝は瀧尾神社の前、参道途中にあります。ちなみに道興准后は滝尾神社の参拝で白糸の滝を見た時「瀧の尾と申し侍るは無雙隻の霊神にてましましける。飛瀧の姿目を驚し侍りき」とも記しています。
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白糸の滝碑(大正5年9月7日・大正天皇御観瀑)。
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白糸の滝前から見た瀧尾神社入口。
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白糸の滝近くの御神木と不動明王。
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11.5
瀧尾神社社号標。日光燈籠や梵字を刻んだ三重塔もあります。
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石段を上ります。
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石段途中の石祠。不動明王。左腕破損しています。
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右側に石垣。
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石垣の上には別所跡。
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別所跡…『東照宮の遷座以前、日光参詣の中心はこの滝尾周辺であった。日光責めで有名な輪王寺の「強飯式」(山伏が、大盛りの飯を残さず食べろと責める儀式)も、ここが発祥の地である。明治になって別所は廃絶。永生6年(1509)日光に来た連歌師、宗長の紀行文「東路のつと」には、「ここより谷々を見おろせば、院々僧坊およそ五百坊にも余りぬらん。」とあり、盛時の様子が偲ばれる。』
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影向石。この付近には阿弥陀如来を安置する如法経堂があったそうです。
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18.5
影向石…『影向とは、神仏が仮の姿をとって、この世に現れること。弘法大師(空海)が、弘仁11年(820)この地に来て、奥の大岩のあたりで神霊の降下を祈願したところ、美しい女神が現れたと伝えられている。』
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苔生した石祠。
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周囲には地蔵尊、三尊の梵字を刻む石碑、壊れた燈籠、首が無く廃仏毀釈を感じさせる石仏もいくつかありました。
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