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御本社。国宝。本殿・石の間・拝殿からなる権現造り。寛永12年建立。本殿は桁行5間、梁間5間、背面向拝1間、入母屋、銅瓦葺き。石之間は桁行3間、梁間1間、両下造、銅瓦葺き。拝殿は桁行9間、梁間4間、入母屋、正面千鳥破風、軒唐破風、向拝3間、銅瓦葺き。拝殿左右には、「将軍着座の間」「法親王着座の間」があり、天井は格天井で格それぞれ異なった竜が狩野一派によって描かれており、百間百種の竜と呼ばれています。御本殿は神仏混合の名残りが見られ、内陣や内々陣などが設けられ、東照大権現が安置しています。ちなみに御本殿の彫刻数は1439体、拝殿は940体、石の間が89体。拝殿内には入れますが撮影は禁止です。唐門はくぐれません。向かって右から入ります。拝殿内で色々と案内・説明があり、その場にいる全員で「二礼二拍手一礼」をしました。
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一応…日光東照宮は、元和3年(1617)徳川初代将軍徳川家康公を御祭神にお祀りした神社。家康公は天文11年(1542)12月26日、三河国岡崎城(愛知県岡崎市)でご誕生になり、幼少より苦労を重ね戦国乱世を平定され、幕藩体制を確立。世の中に秩序と組織を形成し、学問を勧め産業を興し、江戸時代260年間にわたる平和と文化の礎を築き、近代日本の発展に多大な貢献をされました。家康公は元和2年4月17日駿府城(静岡県静岡市)で75歳の生涯を終えられ、直ちに久能山に神葬。そして御遺言により、一年後の元和3年4月15日、久能山より現在の地に移されお祀りされました。正遷宮は同年4月17日二代将軍秀忠公をはじめ公武参列のもと厳粛に行われ、ここに東照社として鎮座しました。その後、正保2年(1645)宮号を賜り、東照宮と呼ばれるようになりました。尚、現在の主な社殿群は、三代将軍家光公によって、寛永13年(1636)に造替されたものです。主祭神徳川家康公、相殿豊臣秀吉公・源頼朝卿。
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唐門。大名のみが参拝できた本社の正門です。現在も通れるのは特別な儀式の時のみです。元和3年建立、寛永13年再建。
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国宝。
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四方唐破風造。間口3m、奥行2mと小規模ながら彫刻数は611体もあります。左右の屋根の端にいる竜は昼を守る霊獣で、逃げないようにヒレが切られています。
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7.4
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全体が胡粉で白く塗られ、「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」など細かい彫刻が施されています。また、門柱と透塀の境にある鶴の彫刻は日本航空のマークになっています。
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恙(つづか)。夜を守る霊獣。角や牙がない唐獅子の一種。足元が金輪で留められています。
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東西透塀も見事です。国宝。本社を囲む全長160mの塀になります。上の欄間には鳥や植物、下には波や水鳥の彫刻が見られます。
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神楽殿。寛永12年建立。桁行3間、梁間3間、入母屋、銅瓦葺き。反対側にある神輿社と対になっています。例祭などでは蔀戸が大きく開いて吹き放ちとなり、八乙女による神楽が奉納されます。八乙女は二荒山神社の巫女のことで、神仏習合時代は日光三社権現に奉仕し8人限定の世襲制だったとされ、脈々と神楽の古式が伝えられています。
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黒と金を基調とし高欄は朱色、組物、彫刻、欄間は極彩色で彩られ、内部は舞台が本社側を向き楽屋が背後に配されています。国指定重要文化財。
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祈祷殿(上社務所)。寛永12年建立。祈祷殿桁行3間、梁間3間、入母屋、銅瓦葺き。1間の向拝付きの建物で、背面にも向拝が付いています。黒と金を基調にした境内の中では比較的落ち着いた建物で、江戸時代は神仏混合していたこともあり寺院建築の要素が強く、往時は本尊として五大尊が安置しされ護摩を焚いて天下太平を祈願したそうです。明治時代初頭に発令された神仏分離令で解体される予定でしたが、社務所とすることで免れ、五大尊も中禅寺に移されました。国指定重要文化財。左側の軒下には吐綬鶏の彫刻が見られます。
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坂下門手前の東廻廊出入口部分の蟇股に眠り猫(寛永12年)。左甚五郎の彫刻で国宝。
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角度(向かって左、斜め下から見れば…)によっては薄目をあけて飛びかかろうとする姿に見えます。東照宮きっての人気者なので、あまりじっくりと写真を撮ってはいられません。
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眠り猫の彫刻の裏側は竹林に遊ぶ二羽の雀の彫刻です。徳川家康を護るために寝ていると見せ掛けて、いつでも飛びかかれる姿勢をしているともいわれていますが、もう一つの教えとして、裏で雀が舞っていても、天敵である猫が寝るほどの平和な時代を表しているそうです。
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坂下門。白と金を基調としています。また、七宝金具が使用されています。欄間には鶴の透かし彫り。江戸時代にはこの門の先は将軍しか入れない禁足地帯であり、閉じられたままの開かずの扉(不開門)でした。昭和40年に執り行われた日光東照宮三百五十年式年大祭を記念して、特別に一般公開されて以降開放されて現在に至ります。
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坂下門の天井には菊と牡丹の浮彫。
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錦鶏。
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坂下門の裏側。
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石廊下。
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坂の途中で振り返るの図。屋根だけ見ても立派ですね。
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坂下門をくぐり石段を207段上ると家康公の御墓所奥宮です。石段の踏み石はすべて大きな一枚岩。石柵も一枚の岩をくり抜いて丁寧に造られています。
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奥社鳥居。国指定重要文化財。
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創建当初は木造でしたが後に石造とされ、慶安3年に唐銅製の鳥居となりました。鳥居と共に銅板で包まれている御神号の扁額の文字は後水尾天皇の御宸筆を象ったものです。
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奥社銅神庫。国指定重要文化財。承応3年建造。桁行3間、梁間2間、寄棟、銅瓦葺きの建物で、奥宮拝殿と同様に外壁には銅板を貼り、その上から黒漆が塗られています。江戸時代には朝廷から贈られた家康公の位記や宣旨、家康公が着用された南蛮銅具足など最も重要な宝物が収蔵されていた御宝蔵になります。
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狛犬一対。国指定重要文化財。関東最古の狛犬ともいわれています(寛永13年と推定)。
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松平右衛門大夫正綱、秋元但馬守泰朝の寄進。両者は家康公の遺臣であり寛永造替の際に造営奉行を務めたことから、特に奉納を許されました。
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奥宮拝殿。国指定重要文化財。
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元和3年創建、寛永13年再建。桁行5間、梁間3間、入母屋、銅瓦葺。前後に唐破風を設えています。外壁は銅板を貼りその上から黒漆が塗られているため落ち着いた雰囲気があり、背後にある鋳抜門、奥宮と続きます。
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鋳抜門。寛永13年創建、慶安3年再建。高さ3.4m、柱間2.5m。鋳工椎名伊豫。国指定重要文化財。
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鋳抜門の正面に鎮座する狛犬一対は創建当時は木製でしたが寛永18年に石造となり、慶安3年に鋳抜門が再建された際に銅製に造り替えられています。製作者は鋳抜門と同じ椎名伊豫とされ、鋳抜門の附として国指定重要文化財。唐銅製で屋根、柱、壁などを鋳造し、それを組み立てています。扉以外は1つの鋳型で造られています。
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奥宮宝塔(御墓所)。国指定重要文化財。家康公の分骨された骨が納められているといいますが、建立以来一度も開けられたことはありません。近くにいたギャル男&ギャルカップルが「ねぇ~これって誰のお墓~?」「イエヤスじゃね~!?」「まじで~!そうね~」っていう会話をしており吹き出しそうになりました。よくぞここまで辿り着きました。たぶん長生きすると思います。
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御祭神家康公の神柩をおさめた宝塔。八角九段の基盤の上にたち高さは5m。当初は木造でしたが、石造に改められ五代将軍綱吉公の時、現在の唐銅製(金・銀・銅の合金)に改鋳(天和3年)。鋳工椎名伊豫の作。この神域は350年弐年大祭(昭和40年斎行)を記念して特別に公開されています。
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ちなみに家康公がなぜ日光という場所を選んだのか。それは日光は地理的条件にも恵まれており、自然の要害で幕府防衛の拠点となる可能性を持っていたこと、江戸の真北(鬼門)に当たるため江戸を鎮守する神が鎮座するに相応しい場であること、また、久能山東照宮と日光東照宮の一直線上の間に富士山があり、家康が富士山(不死の山)を超えて永遠の存在として象徴されることなど様々な意味があるようです。
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寛永20年に朝鮮通信使によって朝鮮国王から贈られた三具足(燭台、香炉、華瓶)。
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三具足は文化9年の火災により焼失しており、日本で再度造り直されています。奥社宝塔の附として国指定重要文化財。
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叶杉(樹齢約600年)。諸所の願い事をこの杉の祠に向って唱えると願い事が叶うと伝えます。ギャル男&ギャルカップルは最後尾に並んでいました。果たしてどんなお願いをするのでしょうか。とても気になりました笑
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さて、奥宮から降りてきて、日光東照宮宝物館を見学(※撮影禁止のため写真はありません)。徳川家康公の遺愛品をはじめ、朝廷や将軍家・大名家からの奉納品、祭器具などを収蔵、展示公開。家康公御着用の南蛮胴具足や名刀「勝光宗光」などの刀剣類、寛永の大造替に際して上棟祭に用いられた大工道具及び箱、東照社縁起、家康公御画像など、貴重な御神宝を沢山見ることができます。御神宝は約2000点収蔵。常時展示は50点ほど。宝物館内にはカフェやシアターまでありました。
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宝物館の隣には東照宮武徳殿。大正4年に東照宮300年祭を記念して建てられた参拝人休憩所が前身で、昭和4年から「日光東照宮奉納武道大会」が開かれるようになると、同6年に増改築され「武徳殿」となりました。
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宝物館正面の石段を進むと御仮殿。
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御仮殿鳥居。
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寛永16年創建。国指定重要文化財。
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私が歩いた軌跡(日光二社一寺)的には『日光山輪王寺(Nikkosan Rinnoji Temple)』へ続く。
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