
ねぶり流し館にて、本日の18時10分から、秋田県立美術館前で竿燈演技が披露され、大人用を竿燈を体験させてもらえるとの情報を得たので行ってきました。

『ねぶり流し館(秋田市民俗芸能伝承館)』の記事。
ちなみに風がそこそこ強かったのですが素晴らしい竿燈演技と竿燈囃子を披露してくださいました。
「ドッコイショー!ドッコイショ!!」
竿を継ぎ足してどんどん高くなっていきます。
継竹を多く継いで、高くなった竿や大きく湾曲した竿燈を操るのも見物です。
本番は10000個を超える提灯が夜空に輝き、その提灯は職人がすべて手作業で製作。
提灯の火はロウソクです。提灯には、雨によって貼った和紙が溶けないように表面に油が塗られています。また、燭台の両脇に空気を通すための穴があり、倒れてしまった時に穴から風が入り、火が消える仕組みになっています。


提灯には鮮やかな町紋や社章が描かれていますが、この町紋には縁起物が多いそうです。上米町一丁目は「兎の餅つき」、上米町二丁目は「伊達牡丹」など絵で町内が判断できるようになっています。それぞれ町の繁栄など願いを込めて描かれたもので、諸説ありますが佐竹義和が描いたとされています。

竿燈囃子には「流し囃子」と「本囃子」の2つがあります。流し囃子は竿燈が会場へ向けて入場する時、町内へ帰る時に演奏される囃子。本囃子は竿燈が演技をする時に演奏する囃子。それぞれの町内によって微妙に音調が異なります。竿燈囃子は1つの太鼓を2人で叩き、本囃子は上太鼓と下太鼓にパートが分かれて叩きます。それに笛が入り、町内によっては鉦を用います。古くから伝わる秋田囃子や土崎の湊ばやし、佐竹氏が転封前に治めていた常陸国の天神ばやしが竿燈囃子の原型といわれています。

「ドッコイショー!ドッコイショ!!」
あらためまして…毎年8月3日-6日、秋田県秋田市で行われる秋田竿燈まつりは、竿燈全体を稲穂に、連なる提灯を米俵に見立て、額・腰・肩などにのせ、豊作を祈るものです。重要無形民俗文化財に指定されており、青森のねぶた祭り、仙台の七夕まつりと並んで東北三大祭りの1つとされています。また、二本松提灯祭り(福島県)、尾張津島天王祭(愛知県)と並び、日本三大提灯祭りにもなっています。
笹や合歓木に願い事を書いた短冊を下げ、それを手に練り歩き川へ流して真夏の邪気や睡魔を払う「眠り流し」が原型とされているそうです。眠り流し自体は江戸時代以前より行なわれており、宝暦年間には現在の原型があったとされ、五穀豊穣や無病息災、技芸上達を願って、旧暦7月7日にあわせて行われる七夕行事とともに、旧暦7月15日のお盆を迎え入れるために一連の行事として現在の形になったとも言われています。「眠り流し」という言葉が訛り、秋田市では「ねぶり流し」と呼んでいるそうです。
竿燈は外町(町人町)に住む職人や商人によって始められ、お盆に門前に立てる高灯籠を持ち歩けるようにしたのが竿燈の始まりとされます。次第に灯篭も数十個と下げるようになり、力を競うようになっていきました。蝋燭や提灯が町民にも普及したことや、力よりも技を競うようになったことで現在の形になったとされます。いつから現在のような形態になったのかは定かではありませんが、数々の資料から背景を探ることができます。例えば寛政元年に書かれた「雪の降る道」には、現在の竿燈に近い姿の絵が描かれています。文化11年に書かれた「秋田風俗問状答」には、平手で竿燈を持ち上げている絵が描かれています。慶応3年に書かれた「出羽の道わけ」には頭に乗せて演技する姿が描かれています。
なお、竿燈の語源は景徳傳燈録の百尺竿頭須進歩からヒントを得て、大久保鐵作によって名付けられたとされています。また、昔は作り灯篭、ネブリナガシ、七夕とも呼ばれていました。
技としては、5つの基本技(流し、平手、額、肩、腰)があり、それぞれの場所に乗せ、バランスをとります。
中には口や顎で支える者もいるそうです。熟練者となれば、上記の技を和傘を回したり、扇子で扇ぎながら行う人もいます。一本歯を履いて口で演技を行う強者もいるそうです。
簡単にやっているように見えます。
さて、いよいよ竿燈の一般体験が始まりました。

ここで皆様に私の華麗な竿燈妙技の動画を見せたかったのですが…何とっ!!

…持ち上げることすらできませんでした(o´Д`)































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