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羽州街道沿い。ヒマラヤ杉とのコントラストが美しいれんが造りの建物が、明治45年に建築された旧秋田銀行本店本館、現在の赤れんが郷土館(国重要文化財・平成6年12月27日指定)です。
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男鹿石を土台に1階が磁器白タイル、2階が赤れんがという美しいルネサンス様式の外観。バロック様式を取り入れた内部は、天井のレリーフが漆喰の精巧な造りが見る人を魅了します。
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館内では、人間国宝の鍛金家・関谷四郎や秋田の町並・暮らしを描いた版画家・勝平得之の作品なども鑑賞することができます。ねぶり流し館(秋田市民俗芸能伝承館)旧金子家住宅との共通観覧料(250円)もあります。
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旧秋田銀行本店…『秋田市制90周年にあたり、昭和56年5月秋田銀行から同行創業100周年記念として寄贈を受け、翌年3月復旧工事を完了したものである。秋田市』。市民が選ぶ都市景観賞受賞(昭和61年度)。
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パンフレットより「赤れんが館の概要」…『旧秋田銀行本店本館として建てられた「赤れんが館」は、明治42年(1909)6月に着工、同45年(1912)7月に完成した洋風建築の建物です。昭和44年(1969)3月まで銀行の営業店舗として使用され、長い間秋田市民に親しまれてきました。鉄筋コンクリート時代に入ろうとする直前の明治末期の赤煉瓦の建物として、全国的にも高く評価されています。昭和56年(1981)5月、秋田銀行創業100周年および秋田市制施行90周年を記念して秋田銀行から秋田市に寄贈され、翌57年(1982)にかけて、明治を代表する洋風建造物を後世に伝えるための修復工事を行い、昭和60年(1985)「秋田市立赤れんが郷土館」として開館しました。平成6年(1994)には国の重要文化財に指定されています。』
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パンフレットより「建物の特色」…『●建物の外観…れんが造りの2階建の建物の外観は、ルネサンス様式(建物正面両端の円筒状構造はイギリス・ルネサンス様式、わずかに張り出した入口などはイタリア・ルネサンス様式)を取り入れています。外壁は、2階が赤い化粧煉瓦、1階が白い磁器タイルという、赤と白のコントラストが非常に美しいもので、それぞれ裏積み煉瓦の外側に積み上げ仕上げています。屋根は宮城県産の玄昌石、土台は男鹿石の切り石積みです。●建物の内部…花かご、月桂樹、唐草模様、卵舌文様のモールディング(縁飾り)など複雑に組み合わされた装飾は、バロックの手法を取り入れた豪華なものです。暖炉や階段、営業室のカウンターや腰壁などに国産の大理石をふんだんに使用しています。●設備…約70箇所ある窓には、全国的にも貴重な明治時代の鉄製の国産シャッターが、防火のために取りつけられています。シャッターを巻き上げるためには、鉄製のハンドルを使用します。●耐震構造…軟弱な地盤であったため、建物の建築に費やした3年の工期と当時のお金で約5万円の総工費は、それぞれの半分程度が基礎工事(主に耐震)に注ぎ込まれたと言われています。そのため、建築後に起こった男鹿沖地震(昭和14年)や日本海中部地震(昭和58年)などでも、ヒビひとつ入りませんでした。』
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外部設計者は山口直明。安政3年(1856)生まれ。明治15年(1882)工部美術学校彫刻学科卒業。その後、内務省土木局や台湾総督府民政局などを経て、明治35年(1902)から38年(1905)、同41年(1908)から43年(1910)にかけて秋田県技師を務めました。明治38年に竣工した秋田県公会堂の建築に関わっている他、東宮御所(赤坂離宮)の建築にも参加しています。内部設計者は星野男三郎。明治2年(1869)生まれ。明治31年(1898)東京帝国大学工科大学建築家卒業。その後、星野工業事務所建築技師として日光廟の塗装修理工事に参加しました。明治45年(1912)7月7日の旧秋田銀行本店の竣工記念式典には、東京星野工業所長として来秋しています。※写真の人物は星野男三郎氏。
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パンフレットより「建物の歴史」
明治42年(1909)着工
明治45年(1912)竣工 旧秋田銀行の本店として営業を開始する
昭和16年(1941)秋田銀行秋田支店となる(旧秋田銀行、第四十八銀行、湯沢銀行の合併のため)
昭和20年(1945)アメリカ進駐軍に接収され、軍政部が設置される
昭和24年(1949)日本銀行秋田支店の仮店舗となる
昭和27年(1952)秋田銀行本店信託部となる
昭和32年(1957)本店信託部内に県庁支所が移転する
昭和34年(1959)秋田銀行大町出張所となる
昭和37年(1962)秋田銀行大町支店となる
昭和44年(1969)営業店舗としての役目を終える
以後、文書や書籍類の保管に利用される
昭和56年(1981)秋田銀行創業100周年および秋田市制施行90周年を記念して、秋田銀行から秋田市に寄贈される 修復工事を行う(翌年まで)
昭和60年(1985)赤れんが館が秋田市指定有形文化財(建造物)となる 秋田市立赤れんが郷土館(赤れんが館、管理棟、収蔵庫)として開館する
昭和63年(1988)赤れんが館が秋田県指定有形文化財(建造物)となる
平成6年(1994)赤れんが館が国指定重要文化財(建造物)となる(上棟棟札と竣工棟札の2枚があわせて指定)
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秋田県里程元標跡。赤れんが郷土館前にあります。明治時代に秋田県内の道路の起点として定めた場所の跡です(ちなみに全国の道路の起点は東京の日本橋です)。斜め向かいには明治14年に明治天皇が東北を巡幸した際の行在所の記念碑もあります。赤れんが郷土館前の「旧秋田銀行本店本館」の標柱の内容は上記内容と重なるため省略。
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ちなみにすぐ隣にある秋田信用金庫別館も赤れんがでした。
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館内案内図。
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赤れんが館の変遷。
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営業室。
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営業室として使われていたホールはカウンターを境に、事務スペース(行員の場所)とロビー(客溜り)とに分けられています。柱が一本もない広い吹き抜けの空間を確保するため、屋根の梁はトラス構造となっており、2階部分には回廊が巡らされています。
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天井に施された石膏の彫刻は圧巻で、正面入口上部(花と果物を頂いたスクロールドペディメント(SCROLLED PEDIMENT)・楯型を中央にした巻軸装飾(CARTOUCHE))など随所に見られる装飾はバロック様式を基調としています。客溜りの床タイルにはイギリス製の色タイル、腰壁には埼玉県産の蛇紋岩、カウンターと暖炉には福島県産の霰石が使用され、壮麗な内部装飾となっています。天井は青白色漆喰で仕上げられています。
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カウンター。
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広々とした天井には楕円形のオリーブバンドに唐草文様があしらわれ、周囲にはダイヤパーパターン、縁飾りに卵舌模様と歯飾りが使われています。正円や正方形、規則性を好んだルネサンス時代に対してバロック時代には楕円や長方形、いびつな形の面白さが好まれました。
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A-1…オリーブバンド(OLIVE BAND)オリーブの葉をリボンで束ねた形。
A-2…唐草文様(VIGNETTES)フランス語では「小さなつる草」の意味。
A-3…ダイヤパーパターン(DIAPER PATTERN)格子を基本的要素にして他のモチーフが加えられることが多い四方連続の全面文様。平面の装飾に使われます。
A-4…卵舌文様(EGG AND TONGUE)卵と舌を連続させた文様で縁飾りとして使われます。
A-5…歯飾り(DENTIL)歯の形を連続させた文様
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上棟棟札・竣工棟札。
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頭取室。各室のドアには、現在貴重な欅の一枚板が使用されております。その他の板材として、杉、桧、槻、桂、黒柿、安南産のチーク材などが使用されております。
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頭取室は漆喰塗りの営業室とは雰囲気が異なり、木材がふんだんに使用されています。
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窓には装飾カーテンレールがつけられており、出入口やチムニーピースと同じ文様で飾られています。開閉するというよりは装飾のためのカーテンが吊るされていたと考えられます。
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部屋の格式を表現する豪華な暖炉。色物大理石を産することで有名な岐阜県産の薄雲石と紅縞石でつくられています。
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チムニーピース(CHIMNEYPIECE)は暖炉の焚き口の周りや上部の棚、煙道の部分に施される装飾。
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書庫。昭和初期に増築された部屋。書庫は営業室に合わせて、腰壁を蛇紋岩風のタイルで仕上げています。現在は、秋田市の伝統工芸品を紹介する展示室として利用されています。
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金庫室。昭和初期に増築された部屋。鉄鋼製の扉や窓など、部屋そのものが頑丈な造りになっています。
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階段へ。
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赤れんが館のスチールシャッターは、明治時代の国産品で、スラットは、幅6.5cm、厚さ3mmの帯鉄で鎧のように連結されており、全国的にも貴重なシャッターです。館内の大小70ほどの窓には、それぞれのシャッターが取り付けられています。シャッターを上げるために、鉄製のハンドルが使用されています。
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管理棟方面。漆喰のアーチは開口部の上部壁の荷重を支えるために、円弧に沿って楔型の石や煉瓦を積んでつくる構造。左右から石を積上げて最後に中央頂の部分にはめ込むとアーチが完成するので、この石を特に要石と呼びます。
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2F企画展示室・3F勝平得之記念館。
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2階へ行きます。2階貴賓室に通ずる25段の階段や踊り場は、埼玉県産の寒水石を用い豪華につくられています。
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営業室の天井を近くで観ることができます。
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会議室。秋田市出身の人間国宝で鍛金家・関谷四郎記念室となっています。
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写真撮影禁止のため、パンフレットのみで紹介させて頂きます。鍛金家・関谷四郎(1907-1994)は、明治40年秋田市生まれ、市内の金銀細工店で修業を積み、昭和2年東京の鍛金家・河内宗明氏の内弟子となりました。独立後は、銀や銅、鉄など異なった金属を接合させる「接合(はぎあわ)せ」の技法を取り入れ、昭和52年には国の重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝の認定を受け、日本金工界に大きな業績を残しました。長い修練によって得られた独自の技法を駆使しながら制作された関谷の作品は、斬新かつ流麗なフォルムとみずみずしい情感を感じさせます。赤れんが館の2階にある関谷四郎記念室には、鍛金による作品の展示をはじめ、東京・板橋の自宅のアトリエを再現し、制作時に使用した道具類も展示しています。また、業績と制作の過程を紹介するビデオの放映や、作品に関する情報提供も行っています。
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勝平得之記念館も同じくパンフレットのみで紹介。
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郷土秋田を愛し、意欲的に創作活動を続けた勝平得之(1904-1971)は、明治37年秋田市鉄砲町(現・大町6丁目)の紙漉業の長男として生まれました。そして、家業を手伝いながら木版画の絵・彫り・摺りの3つの工程を独学で習得し、独自の色摺り版画の技法を生み出しました。郷土秋田の自然や風俗を版画にした独特の作風で多くの人に親しまれている勝平の作品は、昭和6年帝展入選以来、数多くの美術展に入選し、海外でも高く評価されています。
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勝平得之について…『木版画家勝平得之は、明治37年(1904)、秋田市鉄砲町(現在の大町六丁目)の紙漉き職人の家に生まれました。幼い頃から絵が達者であった勝平は、地元紙に墨摺り版画が掲載されたのをきっかけに、20歳頃から独学で版画を学びはじめます。その後、浮世絵版画の美しさに出会い、絵・彫り・摺りの3つの工程を一人でおこなうという、当時の美術思潮である創作版画の影響のもと、独自の色摺り版画の世界を生み出しました。勝平は生涯秋田を離れることなく、豊かな自然や風俗、風景を描き続けました。そのシンプルで素朴な刻線、絵の具の鮮やかでみずみずしい色彩は勝平版画独特のものであり、作品の数々は昭和6年(1931)の帝展入選以来、多くの美術展に入選し、国外でも高い評価をうけています。郷土秋田の古き良きものが、温かで包み込むような視線で描かれた作品は、美術的な作品としてのみならず、秋田の文化や風俗を知るための貴重な資料でもあります。今もなお多くの人々に親しまれ、秋田の懐かしい風俗とともに私たちの心の中に残る"ふるさと"ともいえるでしょう。』
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略年譜。
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さて、最後に紹介するのは2階の貴賓室です。特別なお客様を通した部屋。埼玉県産の蛇紋岩でつくられた暖炉をはじめとして、館内で最も豪華な装飾が施されています。また、貴賓室を含めた2階全体の床下は、根太(床板を支える横木)の間に漆喰が塗られ、防音効果を高めました。
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天井、床、壁、型式すべてに格式の高さを表現する手法を用いています。天井は格式が高いとされる格天井、寄せ木の床には数種類の木が使われ、ケヤキの扉には紫檀・黒檀を使った象嵌が施されています。腰壁部分には、柿渋塗料で仕上げたクロスにギリシア風月桂樹をデザインした模様が手描きされています。補修工事の際にも柿渋塗で復元。窓にはウィンドウマントルが、出入り口には装飾の施された三角ペディメントがつけられています。
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また、暖炉のチムニーピースは比較的あっさりしていて、壁や扉、床の意匠を引き立てています。
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