角館總鎭守神明社。神明社の向かいに熊谷茶屋という御食事処がありましたが、私が訪れた時は営業時間外(定休日)でした。残念。
角館天照大御神を祀る町の鎮守。小田野直武の絵馬が奉納され、菅江真澄終焉の地碑が建立されています。

ちなみに都合により神明山の南に鎮座する宇津巻天神には行っておりません。宇津巻天神の写真の一部は仙北市観光情報センターよりお借りしました。神明社の境内神社ではないようです。



宇津巻(渦巻)天神(天神さん)は学問や書道上達のために信仰されてきた由緒ある社。また、山が輝石安山石で、露出してくると岩が渦を巻いたようになっていることから、御神体の天神坐像もうずまき天神というようになったそうです。

宇津巻天神境内に浜田謹吾の像(昭和62年5月)があります。

『近代日本の黎明、明治維新を前に、世にいう戊辰の役があった。奥羽二十七藩は団結して佐幕をとなえ、ひとり勤皇に尽くす秋田藩は、その総攻撃をうけた。孤軍危うしと、九州諸藩から精鋭なる援兵が派遣されたが、秋田南部は既に陥落、分藩角館が防衛の最前線となっていた。この決戦に、大村藩の援兵300余名が角館に到り、激戦20日余にして死守。角館軍の戦死者も多かった。大村藩少年鼓手、わずか15歳の浜田謹吾もそのひとり。夕刻、遺体は、迎えた人々の涙のうちに洗い清められたが、その着衣の襟内に、母チカの筆になる次の一首があった。「ふた葉より手くれ水くれ待つ花は君がためにそ咲けよこのとき」。子を思い励ます門出の歌にこもる切なる母の心情に万人涙したと聞く。今なお、感銘深いものがある。今日、角館町が、継承された貴い文物によって、小京都と冠せられるも大村藩等の援助あればこそ。ここに感謝の真心をこめ、その象徴たる少年鼓手浜田謹吾の銅像を、往時の戦場を望むこの地に建立し、角館の歴史をしのぶよすがともして、永く伝えてゆこうとするものである。』

戊辰・日露戦役紀念碑(侯爵佐竹義春題書)。

重要無形民俗文化財角館祭りのやま行事標柱(指定10周年記念・平成12年6月26日・角館お祭り保存会)。

日清役紀念碑。

平成御大典記念(鳥居奉納者御芳名碑・平成3年7月吉日)。

菅江真澄終焉の地(文政12年(1829)7月19日)。
菅江真澄終焉之地碑。
裏面碑文「昭和三年戊辰春百年祭建立・角館史考會」。

「菅江真澄終焉の地」碑…『三河の人、菅江真澄(本名白井秀雄)は天明3年(1783)、30歳で故郷を出立し、北を目指して旅に出た。信州から越後を通って秋田の地に足を踏み入れたのは翌年の暮のことである。それから45年、1度も故郷に帰ることなく奥羽の北辺から蝦夷にまで足を延ばして数多くの紀行文や地誌を残し、常民の暮らしや生業に絵を添えて克明に記録した作品群は明治の末、日本民俗学を確立した柳田国男によって民俗研究の鼻祖と高く評価された。文政12年(1829)、地誌「月の出羽路・仙北郡」調査の途中、隣町の田沢湖町神代で病を得、この地の神官鈴木家に移されたのち、7月19日、76歳で没した。この碑は昭和3年春、百年祭を挙行した際「角館史考会」によって建立されたものである。平成3年2月3日角館町商工会・むらおこし実行委員会』

菅江真澄終焉の地(仙北市角館町岩瀬字岩瀬)…『民俗学者で紀行家でもあった菅江真澄は文政12年(1829)7月19日、この地に住まいしていた神主鈴木家にて、地誌「月の出羽路仙北郡二十五巻」を未完のまま没したと伝えられている。 「伊頭園茶話」七巻… 天樹院公明徳館ヘ真澄ヲ召サレシ時モ黒紬ノ頭巾ヲ冠リテ出ルト云。白井永治秀雄といゝしは疑ひなし。自筆のものに見えたり。 初の秋田に来りし頃は、三河に父ながらひたると見へて、日記の序文に父に見するとて諸国の事を書あつむる由見ゆ。廿歳代より来て三十年も住みしと聞ゆ。独身にて處々方々食客となり定れる住居なし。巡回さき仙北郡梅沢村にて病ミ角舘神明社主ノ宅ニテ終わると伝。寺内村の神職鎌田直樹が家に送られ同所に葬る。鳥尾長秋が文石碑にありとぞ。 七十六七歳ニテ死トアレバ三十歳ニテ来シトテモ四十年余リ秋田ニ在リ又梅沢に終ルトモ云也。おのれ幼年の時少しく真澄覚ゆ-原文より抜粋-と元秋田藩士石井忠行が書き記している。(天樹院公-佐竹義和、文-長歌)。また、北家御抱医師吉原由之氏が「久かたの月の出羽路書きしるす筆の跡こそ千代もすむらめ」詠せられたのに対し「しるべなき月の出羽路われ迷ふつけし千鳥の跡も恥かし 真澄」と返歌している。仙北市教育委員会』

参道石灯籠一対(文政3年)。ちなみに車道もあります。


猿田彦大神(明治33年旧4月15日設立)。

今上天皇陛下御即位五十年記念(鎮守神明社大鳥居並石段改修奉納者御芳名碑・昭和51年8月25日)。

神明社…『【主神】天照大御神【相殿神】加具土神、大名牟遅神、少彦名神、経津主神、武甕槌神、建速須佐之男命、三嶋大神、廣田大神、水波能賣神、大山祇命、白峯主神、伊邪那岐命、伊邪那美命。【鎮座地】秋田県仙北市角館町岩瀬百拾七番地【社格】旧郷社(明治6年)【御由緒】神明社創建の時期については諸説があり定かではないが、古くは中世末、この地域を統治していた戸沢氏の篤い祟敬をうけて古城山の一角に鎮座しており、現在地に奉遷されて以来この処を神明山と称している。現在の本殿は、明暦2年芦名氏のあとに入郷した佐竹北家によって遷座されたと伝えられ、その頃より時の北家をはじめ領民・氏子の総鎮守として限りない祟敬をあつめてきたのであり、神前には小田野直武氏をはじめ、平福穂庵氏また多数の時の著名画家が描いた奉納絵馬が掲げられている。9月7日の例祭においては北浦神楽が奉納され、同日夕刻には各町内から曳き出される十数台の豪壮な山車が参拝し、飾山囃子による手踊りが奉納されることでも有名であり、9月8日には神輿渡御が行われ、数多くの供奉者や参拝者で賑わっている。平成19年10月には、昭和天皇第四皇女であらせられる伊勢の神宮祭主池田厚子様、また、神宮大宮司鷹司尚武様の御参拝を仰いだ。【御神徳】天照大御神は、五穀豊穣・養蚕・織物を奨め、安定した国土経営につとめられた神様であられる。当社ではその御神徳に因んで、国土安泰、家内安全、福運、開運の神として篤い崇敬をあつめている。【諸祭典】1月1日歳旦祭、2月3日節分祭、3月25日祈年祭、4月15日鎭火祭、6月30日夏越大祓、8月25-29日御獅子巡幸清祓、9月7日例祭(角館神明祭)、9月8日神幸祭、11月23日新嘗祭、12月31日年越大祓【境内神社】青麻神社(例祭5月8日、御神徳中風病退除)・山神社(例祭3月22日、御神徳技能向上)・伊太祁曽神社(例祭10月15日、御神徳開運厄除)・稲荷神社(例祭10月10日、御神徳生業繁栄)』

参道石段・御神燈。
狛犬一対(還暦記念・昭和62年9月7日、加納昭三寄進)。
参道石段・御神燈。
正一位稲荷大明神。御祭神は宇迦之御魂神。弘化2年創建。例祭日10月10日。御神徳は生業繁栄、開運招福、商売繁盛、五穀豊穣。

伊太祁曽神社。御祭神は五十猛命、大屋昆古神、大屋津姫命、都麻津姫命。文化3年創建。御神徳は開運厄除、病気平癒、林業繁栄、航海安全。

参道石段・御神燈。
山神社「太子堂」。

御祭神は大山祇神、聖徳太子、八意思兼神(天思兼神)、手置帆負神、彦狭知神。創建不詳。例祭日3月22日。御神徳は技能向上、工業繁栄、学業成就、家内安全。

参道石段、参集殿、社務所。
手水舎(天皇陛下御在位満六拾年記念造営)。

神明社石垣(昭和39年9月3日修復竣工)。
社号標(角館祭りのやま行事(平成3年2月21日指定)重要無形民俗文化財指定20周年記念(平成23年9月吉日))。


神明社創建の時期については諸説があり定かではありませんが、古くは中世末、この地域を統治していた戸沢氏の篤い崇敬をうけて古城山の一角に鎮座しており、現在地に奉遷されて以来この処を神明山と称しています。


現在の本殿は、明暦2年芦名氏のあとに入郷した佐竹北家によって遷座されたと伝えられ、その頃より時の北家をはじめ領民・氏子の総鎮守として限りない崇敬をあつめてきたのであり、神前には小田野直武氏(明和3年6月21日奉納「花下美人図」)をはじめ、平福穂庵氏・百穂氏また多数の時の著名画家が描いた奉納絵馬が掲げられています。
9月7日の例祭においては北浦神楽が奉納され、同日夕刻には各町内から曳き出される18台の豪壮な山車が参拝し、飾山囃子による手踊りが奉納されることでも有名であり、9月8日には神輿渡御が行われ、数多くの供奉者や奉拝者で賑わっています。平成19年10月24日、神宮祭主池田厚子様、神宮大宮司鷹司尚武様の御参拝を賜り、お二方には枝垂れ桜の苗木2本を境内にお手植えいただいています。
また、当神明社には九州熊本の「彦一ばなし」に似た昔話「飛びシンチコ(隠れミノと悪戯男)」と、「伊多波武助奉納の狛犬」という昔話が伝わっています。内容については神明社のHPを御覧下さい。
拝殿向拝蟇股、神額。
拝殿内。
幣殿・本殿覆屋。
拝殿前石灯籠一対(台座紀年銘:平成3年9月7日寄進)。


拝殿前石灯籠一対(明治25年2月、宮田治右衛門寄進)。


大好物。

石造御坂全部新築寄附碑(大正11年9月12日落成・藤田ツル)。

参道を振り返るの図。
狛犬。伊多波武助奉納。
伊多波武助と伊多波武助奉納の狛犬についてはHP(神明社に伝わる昔話其ノ弐「伊多波武助」奉納の狛犬)を参照ください。
神輿殿。

青麻神社。古くより神明社境内地に鎮座し、中風病除けの神、延命長寿の神として、人々に篤い崇敬を受けております。


御祭神は天之御中主神、天照大御神、月読神。元治元年創建。御神徳は中風病退除、除災招福、身体堅固、無病息災。

神明山(神明宮社殿前)からの眺望。




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