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大本坊。大本坊は第二次世界大戦の戦禍で消失し、同時に大本堂も失ったため、一部改造・荘厳を施して昭和20年12月から仮本堂として活躍した建物です。その後、大本堂再建の日まで仮本堂として使用され、昭和33年5月に御本尊様は現在の大本堂へ御遷座が行われました。
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浄光殿。
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消防記念碑(明治20年)。
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江戸消防記念碑…『東京消防組の発起にて建設された。その趣旨は、享保年間、江戸町奉行大岡越前守忠相、江戸市中へ町火消というを設け、その名の区別をいろは文字のように、48組とした。爾来、明治の初めまで組の名を残していたが、その起元を永久に伝えるために、明治21年石工、酒井八右門起工せるも、いろは歌は弘法大師の御歌なので当山へ建立したという。』
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忠魂碑(明治42年1月)。
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植木供養之碑(献木いちょう・昭和51年)。
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忠勇之臣碑(明治38年8月)。
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高浜虚子句碑「金色の涼しき法の光かな 虚子」。
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句碑之由来碑…『昭和33年5月14日再建新本堂へ御本尊御遷座の式典修行の砌當山玉藻句会は俳壇の巨匠高浜虚子翁を招じて記念句会を開筵した。其際の翁の献句を建碑して御遷座一周年記念とする。ちなみにこの句碑の揮毫は翁の絶筆である。昭和34年5月14日大本山川崎大師平原寺第44世隆天。この額字は虚子翁次女星野立子女史毫』
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施茶翁碑(天保6年)。
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大法要奉修記念之碑。
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六世竹本綱大夫碑(明治16年9月24日)。
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六世竹本綱大夫の碑…『竹本及び斯道の人々の寄進にして題字は8世其角の筆。辞世の句に「ものいはで立出るなり秋のくれ」』
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大願成就浅間大神碑(大正10年11月)・大師登山會碑(昭和14年6月)。
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青木正太郎翁壽碑(昭和6年)。
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鶴澤勝造君碑(大正5年10月)。
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種梨遺功碑(大正8年3月)。
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種梨遺功碑…『長十郎梨の良種を発見した当麻辰次郎(文政9年・1826-明治38年・1905)遺功の碑。碑文に「長十郎梨、豊産にして美味、頗る良種」と讃えている。大正8年(1919)3月の建碑。』
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力石5基。
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力石…『この力石は、むかし当山の境内で若者たちの力くらべに使った石である。左の2つは「さし石」といって、これを頭の上までさしあげた。大きい方は、36貫ある(135キログラム)。右の3つは、「おったて石」といい、これを起して、まっすぐに立てた。一番大きいものは、100貫もある(375キログラム)。これが出来た者は、一人前とみなされた。』
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橘樹郡出身征清陣亡軍人招魂碑(明治29年)。
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永代植樹記念之碑。
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正岡子規句碑「朝霧の雫するなり大師堂 子規」。
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句碑之由来碑…『明治の俳聖・正岡子規(1867-1902)は明治27年(1894)11月3日に川崎大師を参詣され俳句を詠まれた。当山では平成26年の大開帳奉修を記念し、子規直筆の句集「寒山落木」より、当山に縁の句「朝霧の雫するなり大師堂」を建碑し、永く子規の足跡を記すものである。平成26年5月1日』
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つるの池。
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つるの池…『この池は、元はひょうたんの形であった。往時は多摩川から分水した二ヶ領用水が池に入り、鶴や鴨が悠々として遊んだという。昭和9年大本坊建立により大半が埋められ今日の形となった。中央の亀を模した岩の三羽の鶴が往時をしのばせる。』
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やすらぎ橋。
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やすらぎ橋…『平成26年大開帳奉修記念建立。お釈迦さま、お薬師さまへと続く朱色の橋。古来、朱色は災難を除き、幸福を招くといわれております。欄干には悟りへと向かう段階(発心・修行・菩提・涅槃)を表す種字(梵字)20文字が刻まれています。やすらぎ橋を欄干伝いに渡り、清らかな心でお釈迦さま、お薬師さまにお詣りください。』
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釈尊像。つるの池に架けられたやすらぎ橋を渡ると降魔成道釈迦如来像を参拝することができます。
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降魔成道釈迦如来像(開創850年慶讃記念造立)…『29才で出家された釈尊は6年の苦行の後、菩提樹の下で禅定に入られた。種々の悪魔が現れて誘惑し、あるいは脅迫して妨害したが、釈尊は悉く退け、成道(悟りを開く)された。この時、釈尊は左手を膝の上に置き、右手をのばして大地をさした。このお姿を「降魔成道」という。昭和52年開創850年記念として造立され、前年12月8日釈尊成道の聖日に入仏開眼法要を修行した。胎内には、インド大菩提会を通じて勧請された真身仏舎利が奉安されている。毎年12月8日、成道会法要を修行。製作・元亜細亜現代美術展副理事長、元日本陶彫会会員、彫塑家矢崎虎夫氏(1904-1988)』
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三世桃隣句碑(享和元年)。
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信徒休憩所。平成26年当山吉例十年目毎大開帳奉修記念事業として、つるの池池畔に建設。
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木蓮(平成19年・開創880年記念)。石柱はかつての裏門(西解脱門)かな。
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薬師殿。開創880年記念事業として平成20年11月1日に開設。堂内には薬師瑠璃光如来尊像、薬師瑠璃光如来を信仰する人々を守る武神である十二神将が奉安されています。また、御本尊薬師瑠璃光如来の御分身・なで薬師が奉祀され、撫でることにより身体健全、病気平癒が祈念できます。
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薬師殿の前にいるとカンボジアにでもいる気分(笑)
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至真門。
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昭和53年再建立。鉄筋コンクリート造りで、信徒会館の南玄関に通じ、薬師殿への入口に位置します。ブロンズ製の扁額は当山第44世中興第1世貫首(隆天大和上)の揮毫。
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信徒会館。
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41.5
弘法大師御誕生1200年鑽仰と、昭和49年大開帳奉修の記念事業として建設。
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金色に輝く宝塔は御本尊厄除弘法大師のご誓願宣揚と正法興隆を目指す根本道場の象徴。
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古賀政男先生像(昭和59年)。
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台座には「川崎大師讃歌」の譜面があります。
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水子地蔵尊(平成元年)。
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しょうづかの婆さん(寛文11年)。
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しょうづかの婆さん…『人は死後三途の川を渡るという。その川の奪衣婆、すなわち「葬頭河の婆」が訛って「しょうづかの婆さん」と呼ぶようになったらしい。その昔、品川のお台場にあったといわれ「台場の久兵様」とか「歯のお地蔵さん」と呼ばれていたこともあったという。昔から、歯の痛みをいやし、容貌を美しくすると信じられ、その他にも健脚や諸願をかける人が多く、香華絶ゆることがない。』
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48.5
西解脱門。かつては石柱だけの門でしたが、昭和61年12月に鉄筋コンクリート造の中世和風様式の門に生まれ変わりました。建立1周年を記念し当山第44世中興第1世貫首(隆天大和上)揮毫の縦額が取り付けられています。
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清浄光院へ。
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50.5
壇徒総菩提所。「一般ご信徒はご入堂は、ご遠慮申し上げております。」とありました。
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51.5
立派な建物です。
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まだまだ見所はあるかと思いますが今回はこれで終了。
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