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不動門。
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第43世隆超大僧正が昭和23年有縁の地から譲り受けて移築建立。
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当初は昭和20年4月15日未明の戦禍により焼失した山門跡地に建立されていましたが、昭和52年に現在の大山門が建立されたことに伴い、不動門として移築。
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不動門…『この門は、太平洋戦争後、当山第43世・隆超和上が、戦災によって失なわれた旧大山門の跡地に、昭和23年有縁の地から移築された建物で、新たに大山門が復興するまでの約30年間にわたり、当山の山門でありました。(総欅、銅板葺き、二層楼門造り)』
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鐘楼堂。
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不動門と共に有縁の地より譲り受けたもの。
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鐘楼堂…『鐘楼堂は寛政元年(西暦1789年)正月、当山三十三世隆範代に創立されたもので、本堂の前に在ったものを大正12年の震災で倒壊した為、昭和5年に現在の所に移転され、さらに昭和20年戦災により焼失、昭和23年に再建されたものである。鐘は(重要美術品)延徳3年に鋳造されたものであったが、其の後寛政7年(西暦1795年)5月、当山三十三世隆範法印の代に再鋳されている。大本山川崎大師平間寺』
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四國八十八ヶ所遥拝所碑(大正3年・四国霊場開基壱千壱百年紀年)。
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三界萬霊供養塔(大正9年8月)。
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大日遍照法界智鏡高鏡霊臺(明治42年)。
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永代護摩料碑(大正3年)。
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五重塔建設資金碑(昭和14年)などなど。
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八角五重塔。
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昭和59年の吉例大開帳並びに弘法大師1150年御遠忌を記念し落慶。境内と諸堂宇との調和を考慮し、更に真言の様式にかなうよう華麗にして格調ある八角としています。八角は最も円に近い建造物の形といわれ、「包容力」「完全性」を象徴しています。
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八角五重塔(中興塔)…『弘法大師1150年御遠忌と当山吉例10年目毎の大開帳奉修を記念して現貫首により発願され、十方有縁檀信徒の信助によって、昭和59年に落慶されました。この八角五重塔の地階には、釈迦如来をご本尊とする慰霊堂、一層には金剛界五智如来と真言八祖がおまつりされています。二層は金剛界及び胎蔵界の石彫梵字曼陀羅とともに、中央に恵果阿闍梨(中国の高僧・弘法大師の師僧)と、向って右に弘法大師(空海上人)、左に真言宗中興の祖・興教大師(覚ばん上人)のご尊像をそれぞれおまつりしています。塔上の相輪の下の露盤内には、翡翠の金剛界大日如来像が納められています。恵果阿闍梨(746年-805年)。弘法大師(774年-835年)。興教大師(1095年-1143年)』
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17.5
八角五重塔讃歌(貫主高橋隆天)…『塔は これ崇高なる釈尊、大日如来の清浄なるみ姿 その気高き尊願に 人びとはみちびかれ 慈しみのみ心を知る あゝ光明満法界 あゝ風光る 五重塔よ 八角は これ美妙なる円、真言密教の深奥なるみ教え その無辺の仏恩に 人びとはすくわれ 浄らかなる覚りを得る あゝ如実知自身 あゝ風薫る 中興塔よ』
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八角五重塔(中興塔)…『参詣日のお知らせ。毎月の第1日曜日と21日ご縁日。開扉時間午前10時より。閉扉時間午後3時30分まで。御自由にご参詣下さい。』
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まり塚碑。
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狛犬一対(芸団協受賞記念・理事長柳貴家正樂・昭和55年2月吉日)。
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21.5
まり塚碑…『昭和35年5月の建立。毎年5月21日、まり塚祭りを行う。当日は境内にて、有名芸能人により、特設舞台から演芸が奉納され1日中賑う。』
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22.5
旧本堂礎石。
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旧本堂礎石…『旧本堂は、天保5年(1834年)弘法大師一千年御遠忌を記念して建立された。間口16間(28.8メートル)奥行18間(32.4メートル)建坪290坪(957平方メートル)、高さ73尺(22メートル)、総欅造総銅甍葺の宏壮な建物であった。昭和20年4月15日未明、第二次世界大戦の戦禍を蒙り、諸堂とともに焼失した。礎石は全部で72個(大・52個、小・20個)、大きなものは4方が3尺1寸7分(105センチ)、厚さ1尺5寸(59センチ)ある。』
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関東第一霊場碑。『都新聞社主催関東十霊場推薦投票ニアタリ川崎大師百六十一万二千五百三十五票ヲ以テ第一位ニ推サル依ッテ之ヲ建ツ昭和7年12月5日。追文:太平洋戦争ノ戦火ニヨリ原碑ノ損傷ハナハダシキタメ都新聞ノ後身デアル東京新聞之ヲ再建ス。昭和43年9月21日第四十四世隆天代』
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宝篋印塔。
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宝篋印塔…『元は山門より入り本堂へ通ずる中央に在り、宝暦6年3月第29世法印如実の徳川三卿の随一の田安家より寄進されたもので、中に湯島霊雲和上開眼の経筒銅等が納められた。3月21日宝幢院祐晃法印が開眼供養された。尓来破損を生ずる度に田安家より修補の特例があったという。』
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伊呂波歌頌徳碑(大正5年)・菩提樹(川崎大師日曜教苑開苑20周年記念植樹・昭和59年10月14日)。
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木村新左衛門紀念碑(昭和5年)。
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観音銅像(明治42年・三界萬霊)。
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観音銅像…『御丈け2米5百・台巖3米7百4方。明治36年1月東京、吉川兼吉氏の発願寄進されたもの。その年の3月盛大なる除幕式開眼供養が修行された。原型製作は、帝室技芸員鈴木長吉先生。』
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聖観音像(明治36年)。※平成29年開創890年記念日本百観音霊場お砂踏み参拝所開設準備のため修復中により台座のみの写真です。
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遍路大師尊像。
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昭和48年の弘法大師御誕生1200年記念事業として造顕。毎年9月20日には遍路大師年祭が執り行われます。遍路大師尊像には健康、健脚を祈念して献水されるご信徒の姿が多く見られます。また、尊像を結界する新四国八十八ヵ所霊場も創設され、当山第44世・中興第1世貫首が四国霊場巡拝の際に頂いてこられたお土砂が埋められ、ここに各霊場の御本尊がお迎えされています。お砂踏み霊場として全国各地からのご信徒の参拝が日々続いています。
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弘法大師遍路尊像に起請す…『昭和48年は真言宗の開祖弘法大師御誕生壱千二百年正当の年である。大師は光仁天皇宝亀5年(西暦774年)6月15日讃岐国多度郡屏風が浦(四国善通寺市)に御誕生幼名を真魚と申し名門の出であった。延暦23年(西紀804年)渡唐し青竜寺恵果阿闍梨に従い受法して真言密教を日本に請来され鎮護国家済世利人を根本信条とせられた。当山はその大師を御本尊としその信条を基として民生安定災厄消除を祈願する霊場である。是を以て御誕生壱千二百年を讃仰して大師遍路の尊像を安置することを発願した。即ち淀橋常夜灯講々元並に世話人各位等深くこの浄業を理解せられてその完成を賛助せらる。奇特の至りに堪えない。乞い願くはこの功徳によって大方の善男善女等の上に無辺の利益を承らしめんことを謹んで起請し奉る。南無大師遍照金剛。昭和48年5月1日大本山金剛山平間寺第44世大僧正隆天』
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お手屋。
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不動堂。
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昭和39年4月落慶。御本尊の不動明王尊像は、成田山新勝寺御本尊の御分躰を勧請し奉ったもの。
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38.5
御縁日は毎月28日。武相不動尊霊場第1番札所、関東三十六不動霊場第7番札所。
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不動堂…『当山の不動堂は、御本尊に千葉・成田山新勝寺不動明王の御分躰をおまつりしています。明治23年に建てられた以前の建物は典雅なお堂でありましたが、昭和20年4月、戦災によって焼失しました。現在のお堂は、昭和39年4月に再建されたものです。武相二十八不動尊の第一番札所として信仰をあつめています。ご縁日毎月28日午後3時不動尊大護摩供奉修(鉄筋コンクリート単層入母屋造り、向拝唐破風付)』
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福徳稲荷堂。昭和20年4月15日未明の空襲を逃れた貴重なお堂。
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御祭神は倉稲魂神。毎年2月21日に年祭法要が執り行われます。
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狐一対。
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43.5
夢石(奉納原田孝殿)。
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