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大聖寺は山形県東置賜郡高畠町亀岡にある真言宗智山派の寺院。亀岡文殊の通称で知られています。山号は松高山。本尊は大日如来。丹後(京都府宮津市)の切戸文殊、大和(奈良県桜井市)の安倍文殊院とともに日本三文殊の1つ。
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参道入口の仁王門。
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仁王門前にはいくつかの石塔がありました。
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狛犬一対。
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石灯篭は仁王門前に3対と1基(1基崩壊し台座のみ・道路を挟んで3基)。上水道布設紀年碑(昭和32年)あり。
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更に仁王門裏に2基。
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手水舎。
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仁王門。
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金剛力士像(木造仁王像・寄木造・阿形215cm、吽形213.5cm)。
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仁王門から続く参道。
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参道途中にもいくつか石灯篭や墓碑などが置かれていました。
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参道両脇には塔頭もしくは墓所でもあったのでしょうか。どことなく門の構えをしています。
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門の構えの先は荒れていてよくわかりません。中には深い池となっている場所もあるようで立入禁止となっていました。
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参道を振り返る。
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この付近、左手には大聖寺、右には売店が立ち並んでいます。
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ってことで一服。
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売店前の看板より…『亀岡百首(町指定文化財)…関ケ原の戦いの後、上杉家は危機存亡の瀬戸際に立ったが、ようやく徳川体制の中で米沢30万石の大名として生きる道を得る。会津から大勢の家臣団を引き連れ、米沢への移転がひとまず終えたばかりの慶長7年(1602)2月に亀岡文殊堂で詩歌の会が行なわれた。主催者である上杉家執政直江兼続が風雅の友(上杉家家臣等)20余人を伴い、文殊堂に参詣し、詩歌の席を設けたものである。文人としても名高い直江兼続の漢詩はじめ前田慶次利貞・実弟大国実頼ら有名な武将の詩歌があり、歴史資料・文化資料として高い価値を有する。平成20年高畠町観光協会』
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亀岡文殊駐車場の片隅に青麻神社の社号標と由緒案内板がありました。
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参道の荒れていたので行きませんでした。絵地図を見る限りでは西来院入口の方に一の宮大鳥居があり、こちらは裏参道のように見えます。
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東北本宮青麻神社中風除由緒…『御祭神:青幡佐草比古大神。大祭日:4月17日。當青麻神社は天正年間伊達家の臣、亀岡の郷士、飯坂左衛門尉茂広の創立にして始め西館の邸内に氏神として奉齋したりしが母堂の中風に罹りたるを歎き、医薬禁厭等百方手を尽したるも快方の兆見えず。茲に大神の御前に21日間の願を掛け朝夕平癒を祈りたるに満願の夜、大神夢枕に起ち給いて御託宣あり。神徳灼にて日毎快癒に向い日ならずして全快したと云う。其の後、慶長の初年、伊達政宗仙台に居城を定むるや左衛門尉亦之れに從い青麻神社の御分霊を奉持して仙台に移住し社殿を建立してある現在の青麻神社は即ち亀岡の御分社なり。今より約400有余年の星霜を経て神徳の有難きを喜び尊み現在地の小館山に遷座致し里人等や本県人等はもとより遠く他県よりの団体参詣者も年々多く盛大な中風除祈祷を齋行致して居ります。此れより社殿まで南へ歩行3分。社務所:東置賜郡高畠町大字元和田。宮司:八巻喜教』
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ちなみに散策路の一部(いにしえの散策路)となっており、今回紹介はしませんが文殊堂奥の院ほか、山の神、獅子岩、胎内潜り岩跡、羽山権現、お愛宕様など色々と見所があるようです。絵地図を見る限りは一部文殊山登山道のような感じだったので時間の都合もあり行ってません。
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とりあえず登山口の薬師堂までは行ってみますか。
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麦つき地蔵。麦つき(麦打ち)とは刈り取った穂を打って脱粒させる作業とのこと。
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麦は大好きなので拝んでおきました。
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麦つき地蔵の隣りには、眼病癒の石灯篭一基と大師堂、そして四国八十八ヶ所霊場分霊。
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大師堂内。
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忠魂碑(安正書)。※福島安正
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薬師堂。絵地図で見た感覚よりもかなり近く感じました。あの地図じゃ距離感がわかりませんね。
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登山道以外は余裕で回れそう。
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青麻神社も行っておけばよかったかな。
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ってことで、長くなったので『大聖寺(高畠町)~其之弐』へ続く…
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