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茨島のトチノキ(ばらじまのとちのき)。青森県指定天然記念物。青森県内最大級のトチノキ。もっと離れないと全体像が写真におさまりませんね。
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幹周6.98m・樹高28.50m・被覆面積約1400㎡・推定樹齢850年。
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枝を柱で支えています。
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縦にも横にも圧巻の大きさです。
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そしてまだまだ伸びていきそうな樹勢を感じます。案内板の幹囲や樹高が修正されているのも頷けますね。
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茨島家の祖先がこの地に初めて移住した際、無病息災を願って植えたとされています。茨島家の祖先がこの地に落ち着いた頃は銀杏や桂の古木が繁っていましたが、それらが枯死した頃より茨島家に不幸が続いたため、カミサマ(祈祷師)に聞いたところ「実の成る木を植えなさい」とすすめられたため、京都から一粒の栃の実を入手して播いたものとの言い伝えがあります。
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稲荷大明神の御神木として地域の人々から信仰されてきました。
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稲荷大明神。拝殿内には稲荷神の翁が稲を担ぎ、片手に鎌を持ち、白狐の上に立つ伏見系絵馬や、一対の狐を描いた絵馬が多く納められており、そのほとんどが大正時代以降のものです。祭壇前の賽銭箱には「昭和14年旧9月12日奉納八戸市長横町法師浜トキ」とあり、この頃が最も賑わった頃だったようです。御縁日は旧暦3月5日で、かつては「お籠り」といって参詣者は前日の晩から酒宴を催し、呑んで歌って泊まっていたそうです。昭和6年旧9月2日再建の棟札には「氏神堂」と記されており、当社が茨島家一族の守護神であり、茨島集落の産土様(五穀豊穣の神・御祭神宇迦魂命)として祀られてきたことが伺えます。現在の社殿は昭和39年11月10日再建されたものであり、近郷在住崇敬者名の寄附が外壁の板に記されています。なお、この社は鹿倉山(別名ばらじま山・階上岳中腹・寺下の五重塔と嶺伝いに相対的位置にあるため、寺下観音とも関わりがあるのではないかと考えられています)にある稲荷神社奥の院(小祠)の遙拝所であり、奥の院は寺下観音堂創建と同じ頃に京都伏見稲荷から勧請したものと伝え、鹿倉稲荷の御遣いである狐が、茨島家祖先に灌漑用水のための水源を教えたという伝説を残します。茨島豊蔵十二代階上村長が郷土誌はしかみ3号に茨島鹿倉稲荷神社の由来について次のように記しています。茨島家の祖先が、水田の水の困った折、稲荷神が夢枕に現れ、「明朝、足跡をつけておくから、その通り水路を作れば絶対に枯れない」と告げた。そこで翌朝、すぐに田へ行ってみると狐の足跡があったので、その通りに掘ったら水が流れ出し、その後どんな日照りでも枯れることはなかったという。そのため、社殿内には陶製の一対の狐像をはじめ、数多くの狐像が奉納されており、その中でも際立っているのがオセンダクを着せた石造の狐像です。特にこの一対の狐像を神聖化しているようで、紫色の布を敷いた案の上に座布団を置いて安置。村人は、その年の秋に収穫した初穂をまずはこの狐像に捧げるといいます。
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稲荷神社とトチノキ。
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読み取れない石碑。
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庚申塔。茨島家ではお盆になると神社と庚申塔に松アカシを行ったり、3月5日の御縁日や12月12日のお年越し祭には供物を拝げるなど信仰の拠り所となっている霊場。
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とちの木(青森県指定天然記念物)…『茨島の稲荷大明神脇に生い茂る推定樹齢約850年のとちの木は、樹勢良く、地元では「茨島のとちの木」として親しまれ、昭和30年1月7日に青森県天然記念物の指定を受けている。(青森県指定のとちの木は茨島のとちの木が唯一である。)伝承によると、茨島家の祖先がこの地に初めて移住した時、宅地の西北の隅にあった大木(銀杏であったと伝えられている)が枯死してから当家に病人が絶えなかった。この事について祈祷師(占い師)に尋ねたところ、「この大木の代わりに実の成る木を植えなさい」と勧められ、上方(京都かと伝えられている)から一粒のとちの実を手に入れて宅地内にまいたところ、芽が出てすくすくと育ち、以来病気になる家族もなくなったと語り継がれてきたという。800年以上の年月を経た古木であることから、いろいろな話が残されているが、昔は狐や狸が木登りをして遊んでいた事もあったという。夏には白い花を咲かせ、秋には枝もたわわに実をつけるこのとちの木は、五穀豊穣を司る稲荷大明神の御神木として地域の人々から信仰され、愛されてきた。【所在地】階上町大字赤保内字茨島【幹囲】6.98メートル【樹高】28.50メートル【推定樹齢】約850年【被覆面積】約1400平方メートル【文責】正部家奨。平成21年3月階上町・階上町教育委員会』
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