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十和田市大不動の稲荷神社から少しだけ南に行った場所。稲荷神社前に案内板がありますが、ちょっとわかりにくい場所です。稲荷神社のすぐ横に草木に囲まれた古い建物が見えます。
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その建物のすぐ近くに今度は小屋の屋根が見えます。写真は道路から撮ったものです。
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その小屋内にあります。
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ぐるっと回って正面へ。草木が膝までありました。
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建物正面の風景。
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平山の板石塔婆(板碑)。県内では津軽地方で数多く見られますが、県南地方ではこの板碑を含め3例のみです。碑面には梵字で阿弥陀三尊と正平13年(1358)の年号と2種の偈文を刻んでいます。
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梵字はわかりますが、その下の紀年銘や偈頌までは読み取りにくいです。
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板碑の裏に銘文案内板があります。これによりますと『十方佛土中 唯有一条法 無二亦无三 除佛方便説 右善根之意趣 正平十三年二月四日 南無妙法聯陀佛 一念弥陀佛 現受無比樂 □善寅六十歳無門』とあります。何度も修正されていて、解読の苦労が伺えます。
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新しい案内板とは少しだけ内容が違うようです(梵字は同じ)。恐らく新しい案内板の方が正確かと思われます。
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建物内にあった由緒等より…『【名称】板碑。【所有者の氏名】前山助八。【住所】十和田市大字大不動字平山19。【所在地】十和田市大字大不動字柏木356。【現況】自然石なので文字の風化が甚しく、正確に読めるのは、種子が三字、文字が42字、あとの字はようやく判読できる。昭和58年に小屋を新築し大事に保存している。構造・形式・大きさ・面積:安山岩で高さ106cm・幅67cm、沈線で、たて75cm・横44cmの長方形が描かれている。この長方形の中に、種子や文字が彫ってある。【由緒】板碑に関する文書や伝承は一切ない。但し論外であるが、田の神として今まで拝んできた。【碑文の解説】・梵字「サク」と読み「勢至菩薩」を表わす。・梵字「キリーク」と読み「阿弥陀如来」を表わす。梵字「サ」と読み「観世音菩薩」を表わす。・「十方仏土中唯有一乗法」十方の仏土の中には、唯一乗の法のみあり。・「無二亦无三除仏方便説」二無く亦三无し。仏の方便の説を除く。「法華経」「方便品」にある。・「右善根之意趣」善根-善い報いを受けるための行ない。意趣-考え。心づかい。・正平13年2月4日西暦1358年今から627年前(昭和61年現在)南北朝時代に建立されている。・「一念弥陀佛現受無比楽」一たび弥陀仏を念ずれば現には無比の楽を受ける。「観世音菩薩往生浄土本縁経」に出る。・「自然石塔婆」種子や願文を刻み、供養塔婆としたもの。また自然石板碑とも呼ばれている。青森県の東北地域(南部地方)で発見された唯一の板碑である。南朝紀年銘碑が稀有であるのに加え、一基で二基分(二種類の経文を刻んでいる)の経文をもつ板碑であり、この点では青森県内で唯一の板碑である。中世の文献や史跡が数少ない十和田市の場合、中世に於ける当地方の仏教や歴史研究をするための重要な位置を占める貴重な有形文化財である。以上』
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板石塔婆(板碑)案内板より…『十和田市指定文化財有形第9号。平成2年8月23日。板石塔婆(板碑)は、追善・逆修供養、現世利益を目的とする中世独特の供養塔で、関東を中心に6万基ほど確認されている。本県では300基が確認されているが、大半は津軽地方のものであり、県内地方ではわずか16基、しかも平山を除く15基は他県より移入されたものとみなされている。面にはキリーク(阿弥陀如来)、サク(勢至菩薩)、サ(観世音菩薩)の阿弥陀三尊を表す梵字が彫られ、その下位に正平13年(1358)の南朝年号と、二種の偈頌(経典に見られる仏徳を賛嘆する詩文)が刻まれている。県内では、南朝年号使用のものは弘前にも一基あるが他は全て北朝年号である。この板石塔婆(板碑)の造立者や、平山にある理由については不明である。十和田市教育委員会平成29年10月』
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