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秋田県大館市比内町独鈷。
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かつての独鈷村。慶長8年8月、佐竹氏の支配に対して当村の浅利旧臣岡田七兵衛や野呂孫四郎らは、大館村の浅利伝兵衛を中心に結束を固め、旧勢力の維持を迫りました。秋田藩ではこの勢力に対応するため、当村を十二所所預の管轄下に置きます。後文化年間より一部が大館給人知行地となります。正保国絵図や元禄七郡絵図には十古村369石と図示。この間も新田開発が進み、享保黒印高帳では村高768石余、当高733石余と村勢は伸びました。親郷扇田村の寄郷。犀川水系の米作地域であり、羽州街道の脇街道で南に大葛金山、東に貝峠越えに藩境の要地十二所へ通じる中間点として宿駅が設置され、切支丹高札場でもありました。周辺の山中では慶安年間に梅坊主銅山、元禄年間に炭谷銅山、享保年間に佐比内沢鉛山などが請山として採掘。鎮守は大日堂のほか、諏訪社、八幡社、稲荷社を祀っており、寺院は大館町に移った玉林寺に代わり、真言宗寺院から改組された曹洞宗金剛山立昌寺が当地方の寺請制の中心となります。他に修験源乗院。
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当八幡神社の由緒等はわかりません(※調べていません)。
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鎮座地は独鈷橋場ですが、幟には向田子供会(独鈷向田)の文字が見えました。
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拝殿内中央に本殿。
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手水石。
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御神木。特に説明はありませんが結構な巨木です。
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御神木の横にある建物。
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唐松大神でした。
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燭台がいくつかありますが、その内の1つは金精様(金勢様)に見えます。
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だとしたら、そのすぐ後ろにある不思議な形をした石は陰石かも知れません。
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