県道45号線沿い。米田集落は小河沿いに散在して形成されています。早くから開かれ、沼宮内氏による新田開発もありましたが、北奥路程記に「一本松といふ小村有、この所沢合の村里にて」とあるように孤立分散した集落がほとんど。当天満宮の鎮座地は笊畑地区。
その昔、柏木・笊畑・森ノ越の集落は十和田湖へと向かうための古道における最後の宿泊所でもあり、中世からの南部霊山である月日山(日月神社・享保13年開山・江戸時代から太田家が管理)も近くにあります。古くから死者の霊はいったん月日山(549.4m)に集まり、それから恐山へと行くと言い伝えられるほど有名な霊山です。山名から既にTHE霊山ですよね。人々は月日山から多くの恵みを受けてきたこともあり(月日山は炭焼きと馬の産地でした)、柏木・笊畑・森ノ越の集落に泊まり、必ず日月神社に参拝してから十和田湖へと向かったそうです。特に例大祭(旧暦7月3日)の境内は多くの参拝客で溢れていた頃もあったそう。ちなみに山名が「月日」で神社名が「日月」である理由はわかっていません。
月日山には1度は登りたいと思って、昔から登山散策ルートを調査済みなのですが、昔と違って眺望はきかないとの情報もあり、どうにもモチベーションが上がらずに現在に至ります。ちなみに現在は参道がしっかりと整備され、神社まで車で行けるようになったといいますが、行った方々の報告によりますと車は少々厳しい感じもしますね。
話がほぼ月日山になってしまいました。しかも当天満宮の由緒等については不明です。
拝殿内。
拝殿前の御神木。
社殿裏の御神木。
境内末社。
よく見えませんが天満宮と書いているのかな。
末社裏の石。石碑っぽくも見えますがサイズも小さくてよくわからず。
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