
上の写真のように上って行きます。

青森県三戸郡三戸町斗内野月。

田んぼ迂回。

正面。参道というよりも畦道。

鳥居。


社殿。


三戸町出身の横綱鏡里(鏡里喜代治・第42代横綱)縁の神社です。

社殿内。

綺麗にされています。

横綱昇進時の写真(昭和29年旧7月10日)。ファンにはたまらない神社です。

祝落成贈、立田川部屋。

本殿横の小祠。

金精様っぽいですね。


こちらは聖観音の写真です。

古そうな写真ですがどこかの聖観音像でしょうね。

境内の石碑。読み取れず。

境内社。

春日大神です。

神社の近くに横綱鏡里水垢離の井戸があります。冒頭の神社入口の坂から左手に見えます。

ここです。なお、鏡里の生家は井戸の反対側にあります。

以下、井戸脇の碑文・台座碑文。

『為三戸町名誉町民 横綱鏡里水垢離の井戸 三戸町長杉澤四郎謹書』
『鏡里は戦時中の幕下時代に、再起不能と言われたほど膝を怪我してしまった。その後、痛めた膝をかかえ兵役に就いた。終戦を迎え「スモウデキルスグカエレ」と双葉山から電報を受け時津風部屋へ戻るが、膝の悪化と体力の衰えで相撲のとれる状態ではなかった。そこで故郷に帰り、昭和21年の元旦より大関昇進の願をかけ白龍神社にて、夜明け前の厳寒の中で水垢離を1週間勤めた。そして鏡里が部屋へ帰った後も、母は参拝を欠かさなかった。それ以後は順調に回復し相撲に励み、最高位の横綱にまで昇り詰めることができた。』
『白龍神社と横綱鏡里。大正12年4月三戸町字野月に生まれる。昭和15年10月粂川部屋入門。同16年1月初土俵。同5月粂川部屋と双葉山道場が合併し時津風部屋となる。同17年1月序二段優勝。同18年1月三段目優勝。同19年9月弘前六十九部隊に入隊。同20年12月終戦後、時津風部屋に帰る。同21年1月白龍神社にて大関昇進の願をかけ水垢離。同26年1月大関昇進。同7月白龍神社を再興。同28年1月横綱昇進。同33年1月引退。同58年5月還暦にあたり白龍神社を再新築。殊勲賞1回・敢闘賞1回・幕内優勝4回』

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