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青森県上北郡おいらせ町南下田。舘越神明宮向かいに「カドのイチイ」がありますが、その通り沿いに曹洞宗音峩山聖福寺跡地があります。本村酒店の裏手付近です。
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石碑と松、その他お墓も一部残されています。実はこの後、聖福寺へと向かったつもりが、混同してすぐ近くの正福寺へと向かってしまったため、跡地のみの紹介です。聖福寺はここより北方、国道45号線も超えた阿光坊にあります。土地勘が無かったもので、寺名と位置関係が紛らわしかったです。
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紀年銘は昭和57年9月12日。
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聖福寺は曹洞宗で山号は青峨山。御本尊は釈迦牟尼仏。寛永15年に盛岡藩士の下田将監直徳が開基となり、後に本寺となる七戸瑞竜寺(上北郡七戸町)4世の即応明守を開山として創建。開基の直徳は寛永元年下田村一円300石を知行地とし、家臣らの願いもあって領内に当寺を建立。寺領4石7斗余を給。元禄7年住僧作成の寺請状や境内の六地蔵(寛延3年頃)銘などでは寺号を「正福」と記し、享和元年に書き改められた過去帳から「聖福」の表記が用いられています。明治26年と昭和12年の火災により堂宇と古記録類を焼失。昭和57年旧寺地の字南下田より現在地へ移転。寺宝として白鳳期作と推定される金銅製聖観音立像(県重宝)を所蔵。この像は県内最古の仏像彫刻であり、町内の観音森内の堂に安置されていたものを文化年間頃に当寺へ移されたと伝えます。2度の火災によって鍍金を失い、表面は焼き肌となるなど被害を受けています。像高220.8cmの小像ですが、三面宝冠を頂き、蓮台の上に直立し、右手に水瓶、左手に天衣をとっています。体躯に比べて頭部の大きな古様式を伝えております。
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