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青森県三戸郡五戸町倉石又重。白樺公園。
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自然に還ろうとしている四阿。
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二の鳥居。
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御神木。
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この御神木の前には看板らしき物がありますが破損しています。御神木に関する説明だったのかな。
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御神木横の石碑。読み取れず。
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社殿。元々は古い茅葺屋根でしたが昭和55年8月17日に改修され、公園としても整備されました。
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社伝によりますと、文治5年(1189)甲斐南部荘の鎌倉御家人の一族が糠部五戸領内に入部した時、この地に移したものといいます。御祭神については不明です。「観音様」と呼ぶ人や「馬頭観音菩薩」と呼ぶ人もいるようですが、祀られているのは一尺五寸ほどの事代大神(恵比須)の木造像です。これらの変遷については明治の神仏分離令が大きく影響しているようです。
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拝殿向拝神額(昭和55年8月17日)。
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社殿内。奉納幕には昭和55年8月17日の紀年銘で落成記念と見えます。昭和55年7月15日に、総工費350万円で茅葺屋根をトタン屋根に改築(建設委員:上山覚、上山幸吉、勝山重雄、上山孝竹、勝山茂樹、勝山実、立花勝美、立花豊、立花義美、三浦重人、三浦光夫、本田政次郎、森田正衛。他寄附者38名)。茅葺屋根の頃は絵馬が三方に吊るされ、三間四方の大きさにいっぱいだったそうですが、現存しておりません。御縁日は8月17日(盆17日)で、古い獅子頭数体が残っているそうですが、大正、昭和になって獅子踊りは後継者不足のため行われなくなりました。現在では37軒の部落民が酒を酌み交わして、盆踊り、倉石音頭を踊って楽しんでいるとのことです。
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裏参道。
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銀杏植樹記念碑。
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社殿裏にある金刀比羅塔(大正8年4月9日・参拝記念碑、参拝者5名(本田万之助(政次郎)、上山兼吉(定雄)、上山寅吉(貞四)、西山辰(福松)※一部読み取れず))。大正時代に四国参りをし、後世に残すために記念碑を建立(六代目本田政次郎口伝)。
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