イメージ 2
イメージ 3
中雀門(延べ80m・梁2m・軒高2.5m)。廻廊と共に明治維新100年記念事業として昭和44年7月に建て替えました。
イメージ 4
中雀門前狛犬一対(天保10年4月吉日)。
イメージ 5
イメージ 6
ここで拝殿の写真と共に、大國魂神社の由緒に一気に触れます。大國魂神社は東京五社の一社。旧官幣小社(現別表神社)、武蔵国総社、元准勅祭社。御祭神は大國魂大神(主祭神・大国主命と同神)。大國魂大神は武蔵の国魂の神と仰いでお祀りしたもの。素盞鳴尊の御子神で昔この国土を開拓され、人民に衣食住の道を授け、医薬禁厭等の方法をも教え国土を経営された神。御霊大神、国内諸神。武蔵国の総社として創建当時の武蔵国一之宮から六之宮…一ノ宮:小野大神(小野神社(東京都多摩市一ノ宮)、天ノ下春命(国造の祖神)、二ノ宮:小河大神(二宮神社(小河神社)(東京都あきる野市二宮)、国常立尊)、三ノ宮:氷川大神(氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区高鼻町)、須佐之男命・稲田姫命・大己貴命)、四ノ宮:秩父大神(秩父神社(埼玉県秩父市番場町)、八意思金命・知知夫彦命・天之御中主神)、五ノ宮:金佐奈大神(金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町二ノ宮)、天照大神・素戔鳴尊・大和武尊)、六ノ宮:杉山大神(杉山神社(神奈川県横浜市緑区西八朔町)、五十猛命・大日霊貴命・素戔鳴尊)。※中殿:大國魂大神、御霊大神、国内諸神。東殿:一之宮-三之宮。西殿:四之宮-六之宮。
イメージ 1
人皇第12代景行天皇41年(西暦111)5月5日、大國魂大神の託宣に依って造られました。出雲臣天穂日命の後裔が初めて武蔵国造に任ぜられ当社に奉仕してから、代々の国造が奉仕してその祭務を掌られたといわれます。孝徳天皇の御代、大化の改新時、武蔵の国府をこの処に置くようになり、国衙の斎場とし、国司が奉仕して国内の祭務を総轄する社となります。また、国司が国内社の奉幣巡拝、または神事執行等の便により国内諸神を配祀したことが武蔵総社の起源です(武蔵総社)。後に本殿の両側に国内著名の神、六所(小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神)を奉祀して六所宮(武蔵総社六所宮)とも称せられるようになります。康平5年(1062)、前九年の役平定の際に源頼義・義家父子が、欅の苗千本を寄進。これは現在、国の天然記念物に指定されています(馬場大門のケヤキ並木)。また、源頼義・義家父子が大國魂神社に戦勝祈願をして凱旋の帰途、戦勝御礼詣りの際に神饌の1つとして李子を供え、境内にすもも市がたつようになったのがすもも祭(7月20日斎行)の由来。寿永元年(1182)、源頼朝が葛西三郎清重を使節として、政子の安産祈願が行われました。文治2年(1186)頼朝は武蔵守義信を奉行として社殿を造営し、また貞永元年(1232)2月にも武蔵守資頼を奉行として社殿修造。天正18年(1590)8月、徳川家康が江戸へ入城してからは武蔵国の総社であるために殊に崇敬の誠をつくし、社領500石が寄進され、社殿及びその他の造営にも心力をつくされました。正保3年(1646)10月、類焼により社殿は焼失するも、寛文7年(1667)、徳川家綱の命により、久世大和守広之が社殿を造営し現在に至ります。形式は三殿を横に連ねた朱塗りの相殿造りで、屋根は流造りであり、慶応年間に檜皮葺が銅葺に改められました。本殿は都文化財に指定。明治元年(1868)勅祭社に準ぜられ、同4年に社号を大國魂神社に改称。同7年に県社に列し、同18年官幣小社に列せられました。平成23年には齋館の新築、随神門の改築、手水舎の移設が行われており、平成29年に西参道と鳥居が建設されました。
イメージ 7
なお、拝殿についてですが、現在の拝殿は明治18年に改築したもので、その後昭和53年に改修されています。内部は拝殿と幣殿に分かれています。構造は流造・切妻千鳥破風・銅板葺素木造。かつて将軍徳川家康が慶長年間に社殿を造営した際には拝殿と本殿の間に幣殿が建立されていましたが大火で焼失。再建後に拝殿と幣殿が一体となりました。拝殿正面の「総社六所宮」の扁額は江戸時代中期の書家勝間龍水によるもの。
イメージ 8
拝殿前の天水桶一対(天保3年5月吉日・杦嶋屋(飯盛旅籠))。
イメージ 9
イメージ 10
社務所(鉄骨銅板葦)・おたきあげ納所。
イメージ 11
授与所・待合所の先には…
イメージ 12
末社の住吉神社・大鷲神社。
イメージ 13
狛犬一対(年代不詳)。
イメージ 14
イメージ 15
中々個性的でございます。
イメージ 16
イメージ 17
手水舎。
イメージ 18
ちゃんと御賽銭箱が2つありますね。住吉神社の御本社は大阪住吉にあり、その御分霊を祭祀。海上守護の神、除災招福の神として崇敬されています。大阪の住吉神社境内にある燈台、高燈籠に油商人が菜種油を献上したため民間信仰となり、府中近郊の油商ら18名が世話人となり嘉永2年に当社境内に勧請され、油の神とも称されました。一方、大鷲神社の御本社は大阪堺の大鳥神社にあり、その御分霊を祭祀。元は武運を守護する神として信仰されましたが、現在は「おとりさま」と称され、開運の神・商売繁盛の神として信仰されています。文久3年に府中新宿町に祭祀された大鷲神社を明治43年に町内有志者により当社境内の住吉神社に合祀し現在に至ります。
イメージ 19
住吉神社・大鷲神社…『祭神:表筒男命・中筒男命・底筒男命・大鷲大神。例祭:住吉神社10月1日・大鷲神社11月の酉の日。住吉神社の御本社は、大阪府住吉区にあり、その御分霊をまつっている。祭神の三筒男は神功皇后三韓御征伐の皇軍を守護し給うた神で、海上守護の神、除災招福の神として崇敬せられている。大鷲神社の御本社は、大阪府堺市鳳北町の大鳥神社でその御分霊をまつっている。もとは武運を守護する神として信仰されていたが、現在では"おとりさま"と称され開運の神、商売繁昌の神としての信仰があつい。毎年11月の酉の日には、熊手の酉の市として親しまれている。』
イメージ 20
住吉神社・大鷲神社隣り、本殿西側には御神馬舎と東照宮が並んで鎮座。
イメージ 21
御神馬舎。
イメージ 22
御神馬。
イメージ 23
末社の東照宮。御祭神は徳川家康公。例祭は6月1日。元和4年(1618)2代将軍秀忠の命により造営。徳川家康公は大國魂神社の西、今の府中本町駅付近に御殿を建てて鷹狩りを行っていたなど神社と縁が深く、歿後に駿河国久能山から下野国二荒山に霊輿を遷された時、その途次この国府の斎場に一夜逗留せられ、当社の宮司が祭祀を務めたのでその遺跡を後世に伝えるために造営。平成26年に市指定有形文化財に指定。
イメージ 24
東照宮前狛犬一対(寛保2年4月吉日)。
イメージ 51
イメージ 52
イメージ 53
イメージ 54
拝殿前に戻って…休憩所。
イメージ 55
休憩所付近。
イメージ 56
水神社。
イメージ 57
御祭神は水波能売命・加茂別雷命・玉依姫命・加茂別建角身命。例祭は12月16日。創立年代は不明。社殿は嘉永2年(1849)のもの。かつては祠が御供所(現休憩所)の東側に鎮座しており、本殿と同じく北を向いていました。昭和58年12月16日に境外末社滝神社より御分霊され、平成17年に現在地に移設されて祠の下に岩の台座が設けられました。大國魂神社奉賛会記念事業の一つとして作られた深井戸(地下約120m)を利用して地下水を竜頭口より流しています。御水取りに来る参拝者で賑わいます。
イメージ 58
水神社付近はちょっとした庭園のようになっていました。
イメージ 59
庭園内には水神社と同じく地下水を流している場所があります。
イメージ 60
この庭園内を流れる小川では人形流しが行われています。罪穢れを人形にうつし、川に流して心身共に祓い清めます。
イメージ 61
さざれ石(重量4850kg・皇太子殿下御成婚記念・平成5年6月9日奉納)。『さざれ石は、石灰岩が雨水に溶解し膠結物質となり小粒石を凝結した石灰質角礫岩で、長年を経て小粒石が巖に固結し苔むす様は、一家、町、国と集結し幾千代まで栄え行く人間の協調発展の精神に比喩され、算賀を祝し長寿を祈る嘉句として国歌や古今和歌集に詠まれている。』
イメージ 62
本殿東側。
イメージ 63
本殿は覗き見ることしかできません。
イメージ 49
イメージ 50
大國魂神社は古くより武家の間で崇敬が篤く、鎌倉幕府を始め北条、足利氏も崇敬の誠を尽くしていました。慶長年間に入ると将軍徳川家康の命により大久保長安が奉行となって社殿の大造営が行われます。この社殿は慶長11年に竣工しており、3殿が横に並んだ朱塗りの本殿でした。正保3年の府中本町の大火で類焼し灰燼に帰しています。現在の本殿は徳川家綱の命により久世広之が奉行となり寛文7年に完成したもの。その後慶応3年と昭和40年に修理を行っていますが、建立当時のままの形を残しています。室町時代末期の神社建築と三殿一棟の特異な構造形式は遺例が少なく珍しいものです。構造は九間社流造、向拝五間、銅板葺、外部総朱塗り、流造の社殿三棟を横に連絡した相殿造。昭和37年東京都有形文化財に指定。
イメージ 48
末社の松尾神社。
イメージ 47
御祭神は大山咋命。醸造の守護神。例祭は9月13日。寛政12年(1800)武蔵国の醸造家の懇請により、京都の松尾大社から勧請。鳥居は文化4年(1807)に建立されており、奉納した醸造家達の名前が彫られています。御祭神の大山咋命は、太古より醸造の守護神であると共に開拓の粗神として御神徳高き神であり、酒、醤油、味噌、麹等の業者及び開拓関係者の信仰が厚く霊験顕著で有名。昭和31年に東京都酒造組合により現在の覆屋が奉納されています。
イメージ 46
松尾神社由緒…『當神社は寛政12年(1800年)に武蔵國の醸造家の懇請により松尾大社(京都市西京区)より勧請せられた御社であります。祭神は太古より醸造の守護神と共に開拓の祖神として御神徳高き神であらせられ酒醤油味噌麹等の業者及び開拓関係者の信仰厚く霊験顕著で有名であります。』
イメージ 45
『御正殿御屋根銅版並充工銀寄進慶應三年丁卯四月十八日成功・當町本町桑田與四郎源佑賢』
イメージ 44
末社の巽神社。
イメージ 43
「たつみじんじゃ」と読みます。御祭神は市杵嶋姫命。例祭は4月1日。
イメージ 42
創立不明。社伝によりますと享保の頃に再興。元は市川にあった市神社で、市場にはその守護神、即ち市神社(俗に弁財天)を祀った社がありました。その社を当神社の御本殿から辰巳南東の方向に遷座されたので巽神社という社号がついたそうです。花柳界に厚く信仰されています。一時は久しく廃せられていましたが、享保年中に小祠として再興。氏子崇敬者により昭和57年2月に御影石製の神明鳥居と石灯篭2基が奉納されました。
イメージ 41
巽神社の狛犬一対(年代不詳)。
イメージ 37
イメージ 38
イメージ 39
イメージ 40
小さい狛犬ですが、表情的には一番インパクトがあったかも。
イメージ 36
特に吽形の表情。
イメージ 35
本殿裏手。
イメージ 34
大國魂神社境内樹木の一部(府中市指定文化財・市天然記念物・昭和36年12月15日指定)…『大国魂神社境内の樹木群のうちには、特に大木や巨木が多く、その長い歴史の流れの中にあって、ここを訪れる人々を見守り続けている。中でも本殿の裏手にある大銀杏は、幹の周囲(目通り)8.6m、樹高20.3mの巨木で、大国魂神社の七不思議の1つに数えられている。また東照宮西裏のケヤキのうちの1本は、幹の周囲5m、樹高34.6mもあり、数ある境内のケヤキの中でも群を抜く巨木である。長く風雪に耐えたこうした巨木は、優れた遺伝子を保持していることも知られており、学術的な意義も高い。昭和61年1月府中市教育委員会』
イメージ 33
大国魂神社のムクノキ。
イメージ 31
イメージ 32
府中の名木百選・樹高28m・幹周5m)。
イメージ 30
大銀杏。
イメージ 28
イメージ 29
名木・巨木好きの方は本殿を一周することをおすすめします。
イメージ 27
以上、見所・拝み所満載の大國魂神社でした。
イメージ 26
関連記事
イメージ 25
イメージ 3
イメージ 2