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青森県三戸郡五戸町倉石中市田茂平。かつての中市村。地内には高良神社があり、はじめ毘沙門堂と称していましたが明治初年に改称して村社となっています。宝暦年間頃の別当を法泉坊といい、五戸年行事多門院の配下にありました。
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道路から境内へ下って行く感じです。社殿も横向き。正面参道っぽくない感じですが、参道の位置が変わったのか、社殿の向きが変わったのか、当時からこのままのか…その経緯はわかりません。
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社号標と案内板。
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案内板より…『高良神社大神主神-武内宿禰。大同2年(807年)勧請。合殿神-神明神。地主神-毘沙門天。【年中行事】一.歳旦祭・元旦祭(初詣で)1月1日。一.交通安全祈願祭(自動車厄祓)1月2日。一.開運厄除祈願祭(厄祓)1月2日。一.春祈祷1月…。一.祈年祭「種下ろし」(豊作祈願)3月16日。一.夏越祓(茅の輪潜り)6月30日。一.例祭(前夜祭)8月19日(大祭)8月20日(直会)。一.新嘗祭(新穀奉献)11月23日。一.御籠り(祭神の年取り)12月3日。一.年末祓12月30日。』
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高良神社の創建は平安時代初期の大同年間(806-809年)に軍神竹内宿禰の分霊を勧請したのが始まりと伝えます。その後、神仏混合し祭祀には別当の修験五戸年行事多聞院があたり、平安時代中期の宝暦年間(1751-1763年)の御領分社堂には毘沙門堂と記され、前身は毘沙門天であったといわれ、現在は毘沙門天との合祀になっております。
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盛岡藩主からも崇敬され、宝暦13年(1763)には8代藩主(南部家34代)南部利雄から五戸地方最古といわれる神輿(神輿には「奉納御輿 崇高三四代南部大膳大夫利雄公」「武運長久」と記されています)が奉納されています。また、ロシア人であるラクスマンの絵馬が奉納されています。明治初期の神仏分離令により仏式が廃され、明治4年に村社に列しています。主祭神は竹内宿禰。合殿神は神明神。地主神は毘沙門天。
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拝殿は入母屋、鉄板葺、平入、正面1間向拝付、外壁はペンキ仕上げ、向拝木鼻には象、獅子、欄間には波を模した彫刻が施されています。
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拝殿蟇股。
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拝殿向拝神額。
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拝殿内。
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本殿は一間社流造、鉄板葺、外壁は板張素地、脇障子彫刻。
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境内の御神木はかなり伐採されたようで、その切株が残っています。
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参道石灯籠二対(不明・大正14年)。
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琴平塔。
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金毘羅山(文久元辛酉年10月10日)。
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土俵。
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拝殿前手水石一対。
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拝殿前石灯籠一対(昭和59年11月23日)。
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参集殿。
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参集殿内。
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権現様。棟札は見えず。
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こちらは国道454号線沿い(高良神社付近)にあった鳥居型看板。「髙良神社例大祭納涼祭 御花御礼 髙良神社納涼祭実行委員会」の張り紙だけがありました。
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