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天台寺(岩手県二戸市)』からの続き。
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仁王像の場所から少し上がったところに駐車場があり、滴生舎やかつら庵があります。天台寺・御山の山麓に建つ滴生舎は、浄法寺漆を使った漆器や漆芸品を厳選し、展示販売している施設です。浄法寺塗の工房を兼ねた滴生舎では作業を見学できる他にも漆絵付体験教室もできます。詳細はwebで。
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せっかくなのでかつら庵で手打ちそばを頂きます。かつら庵は天台寺の周囲に多数生えている桂の木から瀬戸内寂聴さんが命名した店名。そばの他に天婦羅、古代米ごはん、お新香等がついた「かつら庵手打ちそばセット」でも1000円(サラダ・漬物等のセルフサービス付・お茶無料)とコスパ最高。
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私は全然お腹がすいていなかったのでざるそばにしました。お腹がすいてないなら食べるなって?…うるさい
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水車や文化財収蔵庫、歴史民俗記念館を通り過ぎて参道入口のロータリーへ。
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ロータリー中央には巨大お椀。天台寺は浄法寺塗発祥の地といわれます。僧の行基が天台寺を建てた際に中央から派遣された僧侶が、自分たちが使うための器を作るために漆器作りの技術をもたらしたとされます。漆器はやがて参拝者にも供するようになり、漆器とともに塗りの技術も庶民に広がっていったと考えられています。それらの漆器は「御山御器」と呼ばれました。江戸時代にはこの地を支配していた南部藩の名産となり、藩主への献上品として金箔を施した雅な漆器「箔椀」も作られます。明治時代になると箔椀は廃れたものの、御山御器をはじめとする庶民の漆器は需要が高まり、大正から昭和にかけて国内で普及するとともに、農民向けの庶民椀として、朝鮮や中国など海外にも販路が広がっていきました。戦後、洋風文化が流入し、一時期途絶えそうになるも、関係者の努力により継承され、今も原料の調達から製品作りまで全てを地元でまかなう浄法寺塗の伝統が息づいています。
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この日は水は流れていませんでした。
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ロータリーにあった「角田寿桂先生と私学塾」案内板より…『角田寿桂は明治16年(1883)22歳のときから岡本小学校長流部分校、田山簡易小学校、大清水尋常小学校、津軽石川尋常小学校と教員をしていたが、明治29年(1896)35歳、父文作死亡により退職し御山に戻る。天台寺総代や村会議員を務め、明治38年(1905)から42年(1909)まで役場吏員となる。この間1年余り赤塚村長と共にする。明治44年(1911)50歳にして鉱山技師となり浄法寺村を離れた。すぐ北海道小樽で私塾「北海実業学舘」(国・漢・数・簿記)開設、東京に移り本所で「桂泉学舘」の塾を開いていた。大正12年(1923)66歳のとき郷里に帰り「寿桂学舎」を開き弟子の教育にあたる。昭和11年(1936)74歳のときに、天台寺宗徒漆田信のすすめにより「桂泉天台寺縁起」を著した。寿桂は天台寺桂寿院の身内であり、彼の博学により戦前の天台寺研究の総まとめとなった。寿桂は御山の地で昭和20年(1945)5月1日、太平洋戦争終結を目前に享年85歳で没した。』
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角田壽桂先生之碑。
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同じくロータリーにあった「土踏まずの丘とは」案内板より…『天台寺参道入口に「桂清水」という桂の老樹の根から湧く名水がある。その反対側、町道「御山線」を隔てて坂道を約300米位行くと三重に土盛りされた小高い森がある。この小高い土盛りの森が「土踏まずの丘」と言われる場所である。古くからの伝説によれば多くの経文を埋めた「経塚」であるという説、又第98代長慶天皇の皇妃「阿佐妃」の「御墓」説、第三説として安部頼時、安部貞任、他一族の「墓地」説などなど歴史的ロマンの多い「土踏まずの丘」である。県北地方(主として旧南部領内)では今でも、お盆などでは赤飯を神仏に供える風習が残っている。この「土踏まずの丘」にも5人分のお膳を供えたということから5人分の墓地説が地元には強く残っている。』
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案内板にあるように天台寺参道入口の反対側に道があったので行ってみました。ちょうど案内板の裏手です。しばらく歩くと桂寿院跡に出ます。
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桂寿院跡…『桂寿院の跡であるこの地は土地の人に「館」と呼ばれ、天台寺一山をとりしきる別当本院には釈迦仏その他の仏像を安置し、天台寺法要具がすべて完備されていた。小坊主・僧侶は十数人を数え、朝夕、読経の声が絶えなかったという。』
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更に山道を進みます。5分程で着くそうです。
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途中分岐する道がありますが案内板があるので大丈夫です。
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土踏まずの丘…『地中に尊い経文が埋められているとのことから、何人もここに登ることを禁じられ、除草するにも匍匐して手を延ばしたという。また周辺は常に清められ、盂蘭盆会には赤飯を丘下五箇所に供えることを例としていた。』
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うん?ここ?匍匐しなくてもいいの?踏んでいいの?どこまで進んでいいの?
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先程の案内板の図を思い浮かべる私…
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草が生えているせいか、想像とかなり違いました。
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石祠。
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ってことで、ロータリーの天台寺参道入口に戻ってきました。鳥居スタートなんですね。
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二戸市立浄法寺歴史民俗資料館(写真を撮っていないので紹介省略)。
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長くなったので『天台寺(浄法寺町)~其之参』へ続く…ちなみに今回のルートと現在地。やはりかなりの長編になりそうです。大きなお寺ですから。
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