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寺下観音から戻って潮山神社(うしおやま神社)へ。
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紀念碑「明治三十七八年日露戦役・正四位子爵南部利克書」(堀畑清吉、荻沢金次郎、是川勇吉、日向定吉、大沢岩松、松川喜八、菊地時衛、石ノ鉢清吉、中田子之助、上平亀吉、明治44年11月建設)。
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手前の柱には「御大典紀念・昭和3年建立」とあります。
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平和祈念碑(昭和44年9月建之。建設者階上村村長中田清助、協賛者階上村遺族会会長上野安太郎、階上村傷痍軍人会会長大江八郎)と石灯籠一対。碑の裏手はかつての鐘楼跡地。
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馬頭観音。
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御祭神は経津主命。祭日は旧4月17日。境内633坪。本殿8.83坪。
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聖武天皇の御宇(神亀)大僧正行基(668-749)の創建といいます。
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海潮山応物寺の遺跡と相並びて文治2年(1186)4月15日経津主神を勧請し、観世音と共に鎮座し、神仏混淆にて奉斎し来りて附近広範囲にわたる民衆の崇敬篤き古社。
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明治2年神社改正により神仏の混淆は分離、明治4年に海潮山の山号を取って潮山神社と改称し現在に至ります。
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向拝。
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拝殿内。
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潮山神社…『【御祭神】経津主命。創建明治4年。【由来】人皇45代聖武天皇の神亀2年(725)、行基大僧正が寺下の地に海潮山應物寺を創建し、観音菩薩を祀ったことに始まる。社記によると、その後文治2年(1186)に経津主命を観音堂に併せて祀ったとあり、以来神仏混合の聖地として八戸藩はもとより、盛岡城主代々崇信せらるる。その後、明治の神仏分離令により観世音と分けて祀られる。社名は海潮山應物寺の山号にちなみ潮山神社と命名される。現在の社殿は寛永参年(1626)に再建された旧観音堂である。経津主命は天照大御神の命を受けて出雲の大国主と御交渉の結果、その国土を円満に皇孫に捧げ奉らしめ、更に国内の荒振る神々を平定。日本建国の基礎を築いた神である。【御神徳】産業振興・交通安全・海上安全・縁結・安産・厄払・家内安全・勝運』
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御神木の銀杏。
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推定樹齢800年。
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銀杏大明神。
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八幡大菩薩。
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舎利塔。
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接待宗碩経塚。
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大弁財天女。
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瀧不動へ。
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小さな石橋の先に…
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線刻の瀧不動。津要玄梁刻と伝えます。紀年銘はわからず。
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寺下の滝。
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静かに悠久の流れを刻む寺下の滝は、古くから修験者が修行を積んだところであり、今も不老長寿の霊水として崇められています。
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でも空気が綺麗で気持ちのいい場所です。
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