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寺下観音(階上町)』からの続き。
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観音橋を渡って鳥居をくぐると石灯籠がもう一対。
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紀年銘は「嘉永7年4月吉日」。
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古札納所。
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石段。
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仁王門。
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額束には「寺下観音」。
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仁王像。味がありますね。
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狛犬一対。
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狛犬のお尻。
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石灯籠一対(天保8年4月17日)。
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手水石(堂改築記念・昭和3年旧7月)。
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西国三十三観音像。
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寺下観音堂は赤保内の南東、標高740.1mの階上岳の北東山麓に位置。境内の北側を道仏川の支流寺下川が流れます。藩政期には同河川の北対岸、現潮山神社の所在地にありました。雑書の承応2年(1653)4月27日条に「八戸之内寺下観音」とあり、藩命により祈祷が行われています。寛文5年(1665)の無量院の御立願状(常泉院文書)に「一野沢寺下観音」とあります。別称応物寺。大同年間(806-810)田村将軍利仁が創建したとも、神亀年間(724-729)行基が海潮山応物寺として開山したとも伝えます。その後退廃するも、享保年中(1716-1736)津要玄梁が堂塔を修理して再興。寛保3年(1743)の奥州南部糠部順礼次第全に「寺下東シノ門一番正観音脇士不動明王 毘沙門天王(中略)観音堂ハ五間四面也。東向キ堂ノ前ニ少シノ森有リ、松杉四五本、有撞鐘堂、是レ本願ハ津要、施主ハ新井田村松橋氏常心居士寄進也」とあり、糠部三十三観音の第一番札所として信仰を集めました。
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明治4年(1871)廃仏毀釈により当堂は廃され、潮山神社となりました。観音像は妙村(現八戸市)の伝昌寺へ移されましたが、同7年現在地に再建。境内に仁王門、近畿三十三観音の石仏、鐘楼があります。堂内には小野道風作と伝える掲額、津要の額馬・絵馬などのほか安政4年(1857)の八戸藩士蛇口伴蔵の水運事業祈願の掲額があります。例祭日は旧暦正月17日・4月17日・7月10日。
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鐘楼へ。5月中旬の寺下観音例祭では多くの参拝客で賑い、梵鐘の下に頭を入れて鳴らすと御利益が得られると、例年参拝客が列をつくるそうです。頭を入れて…経験ありませんがちょっときつくないですか?(笑)
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梵鐘(階上町指定有形文化財)。
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梵鐘…『寺下観音堂にはその由来をまとめた「應物寺廃頽の記」が伝えられてある。海潮山應物寺は平安時代に再興し、鎌倉時代には落雷、火災による山火事のため焼失した。鎌倉時代、江山という僧侶がここを訪れ、その焼け跡の灰の中から観音像をはじめ脇士などを拾い集めて、観音堂を再興したと伝承されている。江戸時代に入り、津要玄梁和尚が観音堂に参籠した際、江山の残した廃頽の記を発見した。津要玄梁和尚は、享保4年(1719)に、八戸四代藩主広信公をスポンサーとして、その記録を刻んだ梵鐘を、江戸神田粉河の鋳物師に鋳造させ、納めたものがこの梵鐘である。寺下の歴史、江戸時代の八戸地域の歴史を解明する意味でも貴重な遺物と考えれる。』スポンサーという単語に違和感を覚えます(笑)
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鳥獣供養塔。
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鐘楼堂のそばにある巨木。
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鐘楼堂のそばにある巨木ヤマフジ。
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ナラの木に大蛇のように巻き付いており迫力満点です。
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樹齢不明。樹高25m、根回合計2m。
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こちらは少し離れて入口付近にあった寺下のメタセコイア。遺存種の一つ。生きた化石として有名。
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青森県内最大級で、樹高27m、幹周合計3.2m、樹齢不明。
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潮山神社(階上町)』へ続く…
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