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階上町赤保内寺下。県外の方も読んでいるかも知れませんので一応…「階上町」=「はしかみちょう」です。階上岳の東の麓、清らかな流れのそばにある寺下は往時の海潮山応物寺の故地。朱塗の鳥居を過ぎて杉木立の参道を進み、左折して石橋を渡り、石段を登り、仁王門をくぐれば観音堂。ここには神亀元年(724年)に僧行基が作ったと伝えられる桂の木彫り、総高65cmの観音像が安置されています。正徳2年(1712)盛岡祇陀寺前住、津要玄梁が寺下観音に参籠し、その後、燈明堂、五重の塔を建立するなどこの地方の教化に生涯を捧げました。境内には近畿三十三観音の石像が並べられています。
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安永8巳亥年(1779)正月18日の八戸廻濱山根猪鹿狩場絵図。
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パンフレットより…『階上岳の北東山麓にある寺下観音堂は、神亀元年(724)に行基という僧侶が海潮山應物寺として開山したと伝えられています。その後、再興と衰退を繰り返しながら、正徳2年(1712)僧侶・津要玄梁が、寺下日向山に草庵を建てて布教活動に努め、堂塔を修復して再興しました。境内に入ると深緑の苔と、杉などの大木に覆われた荘厳な気配に心が清められます。階上町の有形文化財に指定されている梵鐘をはじめ、仁王門、観音堂、西国三十三観音の石仏のほか、ライトアップされた寺下の滝や潮山神社、龍神の松やヤマフジの巨木等々、糠部三十三観音一番札所のパワーが十分に感じられます。「糠部」とは平安時代後期以降、岩手県北と青森県東部一帯の総称でした。ここの「三十三観音」は寺下観音に始まり岩手県二戸市の天台寺までの間に、八戸市・南部町・三戸町・田子町・一戸町・軽米町の寺々が含まれます。現在の一般的な巡路は寛保3年(1743)、八戸天聖寺先住の則誉守西上人が設定したものです。寺下観音のもう一つの楽しみは日向山山頂の灯明堂へとたどる山道。頂上まで約1.5キロ、30分の道中に中興の祖・津要和尚の墓所、五重塔(五楷堂)跡、そして舟の洋上安全祈願を兼ねた灯明堂があります。途中の急な階段にはロープも渡されていますので、散策気分でゆっくりと歩いてみてください。』
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ってことで、30分以上は山道を歩くようなので、まずは腹ごしらえのために寺下観音茶屋「東門」へ。
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階上早生発生之地。
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文字は消えかかっていて読みにくいのですが、昭和8年に青森県奨励品種に採用された階上早生(蕎麦)の説明です。
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パンフレットによれば山道といっても散策気分で行けるそうなので…
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ジョッキが津軽金山焼!イエーイ!!
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さてと…行くのが面倒になってきましたね…
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むしろコッチをもうちょっといっちゃいますか!イエーイ!!冗談です…本当に飲んだけど。
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東門の近くにあった建物。
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「良縁・子授・安産成就」とあります。
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両脇には参拝前にビールを飲んでしまった私を睨みつける方がいます。
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中央には金勢大神。
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ビッグです。
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水が湧いていました。
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この水を飲んで酔いを醒ませというわけですね。
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飲めるかどうかは不明です。
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さて向かいましょう!
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燈明堂までは1100mの山道ですか。安心しました。
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寺下観音歴史資料館。建物の造りが渋いです。
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資料館前にあった力石。力石についての説明はありませんでした。
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資料館前にあった石灯籠。横の立て看板に「桑原宅庭園・自由にご見学ください」とあります。
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ちなみにこの石灯籠は寛政3年5月17日の建立。
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龍神之松(龍神の松)。
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1つの根から幹が左右真横に17m以上伸びた珍しいアカマツ。
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推定樹齢300年。樹高2m、幹周合計1.94m。
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鳥居と参道。
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案内板「寺下観音」より…『奥州南部糠部三十三所巡礼一番札所。観音堂舎には、神亀元年(西暦724年)頃の、僧行基創作によるものと伝えられる観音像が安置されてあり、木彫座像で宝冠をいただき来迎印を結び鎮座されており、総高65cmで伏し目がちな面持で慈悲深い感がある。雷火等の災害にあったが、僧江山・僧津要両僧が再興教化に務めた。僧津要は、燈明堂享保15年(西暦1730年)・五重塔延享2年(西暦1745年)建立を成就させ、この地方の教化に生涯を捧げた。五重塔は大正2年8月22日(西暦1913年)暴風のため倒壊す。観音堂には、観音像・毘沙門天・不動明王像のほかに「海潮山」・「応物寺」と山号の書かれた額、僧津要の描た額馬頭観音来迎の絵馬、八戸藩士蛇口胤年の水運事業祈願の額などが納められてある。境内には、近畿三十三観音の石像が並べられ、寺下観音を参拝することによって、合せて近畿三十三観音の功徳も受けられるよう配慮されてある。鐘楼の鐘は享保4年(西暦1719年)八戸南部四代藩主廣信公の寄進したものである。八戸市天聖寺八世則誉守西上人が寛保3年(西暦1743年)東門寺下観音を糠部三十三所巡礼の一番巡礼の堂舎と決した。』
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石鳥居と参道。スギが参道に林立し、厳粛な空間を演出しています。スギの樹齢は約300年。樹高は約35m、幹周4.5m。
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石の鳥居を真っ直ぐすすめば潮山神社。左へ曲がると寺下観音です。
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石橋(観音橋・昭和3年旧7月10日)を叩かず渡ります。
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観音橋・仁王門寄附者氏名碑(昭和3年旧7月10日)。
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清らかな川の流れ…気持ちのいい場所です。
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観音橋を渡った所に石灯籠と鳥居。
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石灯籠一対(昭和60年10月吉日・八戸市新湊三丁目・八幡漁業株式会社・川平操)。
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「おより場へ」という案内看板があります。
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川沿いにある建物です。
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おより場。
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おより場(占い場)…『紙に硬貨をのせて願い事を念じながら水上に供え、沈めば「吉」反対だと「凶」と判断します。』
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ここに沈めます。沈まないかも知れないけど。
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こちらは「念光禅定門」とあるので墓碑ですかね。
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長くなってしまったので『寺下観音~其之弐(階上町)』へ続く…
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