秋田県大館市茂内膳棚下。私の地図では「龍神社」とありました。
かつての茂内村。慶長8年村高40石余と推定。元和年間に諏訪台を中心に大茂内(新田)村を分出、天和3年には東方の長木川上流域部をも雪沢(新田)村として分出。正保国絵図、元禄7郡絵図では郷形を現在の小茂内付近に図示。それでも両絵図とも長木川上流部の茂内屋敷村を茂内村枝郷と注記するも、享保郡邑記以後この枝郷も雪沢村枝郷となります。長木沢八百八沢と称された秋田杉の広大な山林は、東接の南部藩との藩境問題を含みながら藩政初期から次々と藩の御留山に指定。
浅利旧臣野呂氏の子孫が佐竹氏に抱えられ村肝煎となり山林管轄の山拠人をも兼帯。藩境の一応の確定をみた延宝5年に雪沢村が御境目郷に指定され、雪沢村内に山守や山拠人が任命されることとなり、当村の藩内に占める役割は変わりました。野呂氏の子孫も往来の旅館を経営することになったといいます。延宝年中まで茂内村を一関村と称していたと伝えますが、正保国絵図には既に重内村とあり、寛文4年に大館給人渡辺氏が茂内村内に給分を指定されていたともあり一関村説は未詳。但し集落南の長木川に一の堰が設けられて長木川下流域右岸の平野部を潤す水源地となっていたことは認められます。村鎮守の観音堂(後の茂内神社)には平将門伝説が残ります。
由緒等はわかりませんでした。
拝殿唐破風懸魚・蟇股・木鼻等。
拝殿内。
龍がかっこいいですね。
絵馬等。龍が多いですね。
こちらも興味深い絵です。
本殿横の御神馬。
拝殿内の小祠。何かはわからず。
石灯籠一対(昭和42年旧3月17日)。
本殿横の建物。
石祠の中に金属製の草履が祀られています。棟札は御幣で見えず。
太平山・金毘羅大権現など。
庚申塔。
境内はセミの抜け殻だらけでした。よく見えるとセミの種類によって結構違いがあるんですね。
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