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秋田県大館市中神明町。
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神社前にある「羽州街道(大館)」より…『江戸時代の初め、国内の交通路は幕府の命令によりすべて江戸を中心に整備が進められました。そもそも参勤交代や領内巡視、鷹狩りなど"公用"に使うためのもので、住民や旅人の往来は制限され、藩境に設けられた関所・番所で取り締りが行われていました。羽前(現山形県)と羽後(現秋田県)の領内を縦断していたところからその名がついた羽州街道は、仙台藩桑折(現福島県)で五街道の一つ奥州街道から分かれ、山形・秋田の各領内を通り津軽領に至るもので、道すじの大半は現在の国道13号、7号の原形を成しています。秋田領内での羽州街道は、新庄領境の院内杉峠から津軽領境の矢立峠までで、その道のりは63里14丁23間(約250km)と記録されています。街道は、ともすれば交通・運輸など、機能面ばかりが重視されがちですが、人の移動を促し、その行動の軌跡が歴史を生み育てて来た事実を見ると、文化や情報の流れを担ってきたという側面も見逃せません。大館市内での街道すじは下図のように、川口からここ大館神明社前を通り、街道最大の難所長走境目矢立杉(矢立峠)までで、片山・釈迦内・橋桁など7ケ所に一里塚が築かれ、白沢(のちに長走)に番所が設けられていました。』
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大館市内を通る国道と羽州街道。
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由緒等については以前の記事も参照下さい。
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大館神明社由来…『当神社の創立は定かでないが、「元慶の乱」(878年)にはすでに鎮座していたといわれ、大館草創の時代からの産土神社である。もと、小館花道上(泉町)に鎮座していたのを、大館佐竹家によって、延宝3年(1675)に現在地に移された。その理由は、当時は交通運輸を水運に頼っていたので、大館の玄関口とも言える現在地に、鎮守として移したものと言われている。古くは「伊勢堂」、「お伊勢様」、「お日様」と呼ばれて氏子に慕われてきたが、明治44年(1911)には有浦神社(有浦観音様)を、また45年(1912)には柄沢稲荷神社を合祀した。御神社は、「天照皇大御神」を主祭神として「大年神」、「倉稲魂神」を合祀しているので、伊勢の神宮(内宮、外宮共)と同じ神様をお祭りしていることになる。』
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大館神明社畧記…『一.御祭神…天照皇大御神、大年神、倉稲魂神。一.御由緒…創立年代は不詳であるが、大館創草からの産土神として、元慶2年(878年)には既に小館花道上(泉町)の地に鎮座していたといわれている。約800年後の延宝3年(1675年)に、大館佐竹家が、御神像を奉って現在地に遷座し、本郷(旧大館町)及び支郷(餅田、根下戸、船場、小館花、池内、柄沢、宮袋、岩神、二ツ屋、上代野、下代野、芦田子、小釈迦内)の総鎮守として崇敬され、明治6年に郷社に列しられた。一.合祀神社…有浦神社(明治44年)柄沢稲荷神社(明治45年)一.御社殿…明治9年、再建。昭和50年、改築。一.例大祭…9月11日。』
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社号標。
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社号標より…『征露之役男兵太郎應募従軍戦於満州之野凱陣被叙勲八等下賜金七十圓為紀念刻石以垂不朽爾云維明治四十有一歳在戌申十月朔』
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一之鳥居。
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田中磯松翁功徳碑(昭和31年12月吉日)。もう一基翁碑(大正12年旧2月1日)がありましたが、間違って写真を削除してしまったので省略。
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白峯宮。
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椿神社(百年祭執行、昭和6年9月2日、石川與三郎・黒澤清三郎)。
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参道鋪装奉納記念碑…『一.兼平石参道…神橋以東、幅8尺長42間、大正11年工事。一.人造石参道、第一華表以東、幅8尺長15間、昭和7年工事。一.参道鋪装奉納記念碑、壹基、昭和7年工事。此工費総額1470餘圓。昭和7年9月11日、明三庚午同年會。』
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石祠3基。
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参道。
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金神神社…『御祭神:金山彦神・金山毘売神。大館市内で開業している鍛冶屋の職人達が金神講を設立し、境内に金神神社を建立し職業の守護神として奉斎した。神名の通り「金山」(かなやま、鉱山)を司る神、また荒金を採る神とされ、鉱業・鍛冶など、金属に関する技工を守護する神とされている。』
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松尾神社…『御祭神:大山咋神・中津島姫命。大館市内の酒造業の人たちが京都の松尾大社より勧請した。渡来人の秦氏が松尾山の神(大山咋神)を氏神として奉斎。秦氏は酒造の技術も日本に伝えたことから、中世以降、松尾神は酒造の神としても信仰されるようになった。』
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小林定修翁功徳碑(大正14年6月21日)。
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庚申塔群。
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木曽吉山三吉神社(明治17年旧8月15日)・太平山。
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太平山神社。
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手水石(明治丙戌同年會・昭和2年旧2月)。
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己立橋(昭和5年)。
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横には古い石橋も。
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ここから先は濠に囲まれています。
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奉納碑「大正七年十二月二十六日本家 基本財産金壹百圓也 為分家記念」など。
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大館神明社基本財産寄附人名碑(大正7年12月26日)と倒れている碑。
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倒れている碑。恐らく同類(基本財産寄附)の碑かと思われます。
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稲荷神社。
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古四王神社…『御祭神:大彦神・武甕槌神。詳細は不明であるが、秋田市寺内鎮座の古四王神社より御分霊を奉斎したものと思われる。北方鎮護の武神として祭られていたが、後に豊作や眼病に霊験灼かと広く崇敬されている。』
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大館天満宮…『御祭神:菅原道真。昭和62年市内在住の大塚勇助氏より寄贈された社殿。文化発展・学業成就の守護神として北野天満宮・太宰府天満宮・湯島天神の御祭神を奉斎した。』
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石塔群。大山祇神社やら金毘羅大権現やら八聖山やら太平山やら七庚申塔やら色々。
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こちらはわからず。
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御輿倉。旧有浦小学校(旧大館第三尋常小学校・旧有浦国民学校)奉安殿(神輿庫)です。
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御輿倉…『明治20年生まれの人達が42歳を記念し、宝物殿として昭和3年に建立。御神輿は明治3年の大火により焼失した御社殿の再建と一緒に明治7年に新調され、社殿は明治9年に再建された。』
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御神輿。
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社務所。
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参道。
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石灯籠一対(嘉永元年9月)。
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狛犬一対。
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弘化2年4月吉日。
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石灯籠一基(大正2年生癸丑會)。
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石灯籠二対(大正2年4月・明治43年8月)。
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手水石。
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神社庁より…『創立年代は詳かではないが、「大館草創よりの鎮守にして、元慶二年には既に鎮座せられたり」(明治神社誌料)といわれ、又、綴子神宮寺家十四代舎弟の「般若院英泉自伝稿」に「宝暦八年夏、大館伊勢堂八百五十年祭」の記事もある。当時の鎮座地は、字小館花道上であったが、延宝3年に、佐竹氏が現在地に社域を定めて社殿を建立し、支裔上平家伝来の神像を奉じて遷座し、大舘本郷2町・支郷13ヶ村の総鎮守として、一円の尊崇を集めている。例祭は、元、旧暦7月晦日より8月2日に至る3ヶ日であったが、現在は、明治天皇御巡幸の佳日を以って、新暦9月10・11日の両日と定め、50余町の曳山・みこしの奉納行事等、殷賑を極めている。明治戊辰の役は、僅か29戸を残して大館を焼滅し、この時神社は残って復興の拠点となったが、同3年9月、再度の大火に類焼し、現社殿は同6~9年に再建されたものである。昭和41~50年の10ヶ年計画を以って、再建100周年記念として社殿の改築・境内整備・斎館及職舎の新築等の事業が行われた。明治44年には有浦神社を、翌45年には柄沢稲荷神社を合祀している。』
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