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日本橋日枝神社。東京都中央区日本橋茅場町。摂社日枝神社とあるように、赤坂山王の日枝神社の分社であり御旅所。「隔年(陰暦)六月十五日御祭礼(山王祭)にて、永田馬場(赤坂山王)の御本社より、神輿三基この所に神幸あり」と江戸名所図会に山王祭の挿絵見開き三図とともに紹介されています。
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御祭神は日枝大神(大山咋神・国常立神・伊弉冉神・足仲彦尊)。
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相殿として菅原大神(菅原道真公)・稲荷大神(宇氣母智神)・浅間大神(木花佐久夜比売命)を祀ります。明徳稲荷神社と境内を接しており、兼務社としています。
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日本橋日枝神社は天正18年(1590)徳川家康公が江戸城に入城、日枝大神を崇敬されて以来、御旅所の存する「八丁堀北嶋(鎧島)祓所」まで神輿が船で神幸されたことに始まります。寛政12年(1800)の江戸名所図会巻二では、神主樹下氏持ちの山王宮と別当観理院持ちの山王権現の遥拝の社が並び建ち、隔年6月15日の山王祭では、この二社の手前に仮殿が設けられ、本社からの神輿三基を中心とする供奉行列の神幸があり、大江戸第一の大祀にして壮観であったと伝えます。境内地には天満宮、稲荷社、浅間社のほか、山王の本地とされる薬師堂や閻魔堂も建立され、縁日や勧進相撲も行われていました。
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明治元年に神仏分離令により薬師堂と同別当智泉院の敷地は境内から分離。明治10年に山王宮は無格社日枝神社に、大正4年には本社の官幣大社昇格に伴い日本橋日枝神社と改称。毎月1日がお朔日詣り、毎月15日が月次祭(午前9時より。8時50分までに社務所集合。終了時間は9時半頃)。
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古地図。境内に薬師堂が見えます。江戸時代に病を治す御利益のある薬師信仰が盛んになり、茅場町のお薬師様は特に人々の信仰が厚いことで有名でした。江戸城を築いた太田道灌は自分の領地(相模国大庭村)より薬師如来を江戸に移します。後に江戸城に入った家康公が天海に命じて江戸城の鎮守である日枝神社の神輿が渡る所である山王御旅所を南茅場町に設置し、別当寺として薬師堂を造りました。江戸名所図会では「薬師堂、同じく御旅所の地にあり、本尊薬師如来は、恵心僧都の作なり、山王権現の本地仏たる故、慈眼大師勧請し給ふといへり、縁日は毎月八日、十二日にして、門前二・三町の間、植木の市立てり、別当は医王山智泉院と号す」とあります。つまり現在の智泉院のはじまりです。歌人で芭蕉十哲の一人、其角が境内地に住んでおり、「夕やくし涼しき風の誓いかな」の句を詠んでいます。明治初年の神仏分離令により、山王権現から薬師堂・智泉院が独立して現在地(摂社日枝神社裏門前)に移転しました。なお、左下に「松平和泉守」(松平越中守。伊勢桑名藩主定敬。松平容保・一橋慶喜らと一会桑政権を形成した人物。龍馬暗殺を指示したとされます。)、右下に「九鬼式部少輔」(丹波綾部藩の当主。この邸内の節分では鬼は内福は外と言って豆を打ったと伝えます。)、周囲に「町御組屋敷」(町奉行配下の与力・同心らの屋敷。俗に八丁堀の旦那と呼ばれ、江戸市民に一目おかれていました。)が見えます。なお、写真がぼけていますが、下部楓川に架かる橋は海賊橋(後の海運橋)、九鬼式部少輔下に見える赤い部分は大原稲荷神社です。
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社号標と御神木。
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御神木。
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石灯篭一基。
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手水舎。
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狛犬一対(昭和9年6月・奉納:駒込肴町、酒井八右衛門・石匠:水道橋、野村保太郎石匠)。
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関東大震災の復興と運気上昇を願って上を向いているそうです。
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天水桶一対(昭和4年4月・山寅製・御防講)。
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社殿。
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拝殿内。
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社務所。
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摂社日枝神社(山王御旅所)…『●祭神:日枝大神(大山咋神・国常立神・伊弉冉神・足仲彦尊)。相殿菅原大神(菅原道真公)・稲荷大神(宇氣母智神)・浅間大神(木花佐久夜比売命)●御神徳:大山咋神の「咋」は「主」という意味で、大山の主であると共に広く地主神として崇められ、山・水を司り、大地を支配し万物の成長発展・産業万般の生成化育を守護し給う御神徳は広大無辺です。また相殿に鎮まります菅原道真公は至誠・孝道をはじめ学業、詩文・和歌、書道の神として、木花佐久夜比売命は見目麗しき神であり子授け・安産・災害除けの神として崇敬されています。●由緒:摂社日枝神社は天正18年(1590)徳川家康公が江戸城に入城、日枝大神を崇敬されて以来、御旅所の存する「八丁堀北嶋(鎧島)祓所」まで神輿が船で神幸された事に始まります。寛政12年(1800)の江戸名所図会巻二では、神主樹下氏持ちの山王宮と別当観理院持ちの山王権現の遥拝の社が並び建ち、隔年6月15日の山王祭の際は、この二社の手前に仮殿が設けられ、永田馬場の本社からの神輿三基を中心とする供奉行列の神幸があり、実に大江戸第一の大祀にして壮観であったと伝えられています。境内地には天満宮、稲荷社、浅間社のほか、山王の本地とされる薬師堂や閻魔堂も建立され、縁日や勧進相撲も行われていました。明治元年神仏分離令により薬師堂と同別当智泉院の敷地は境内から分離されました。明治10年に山王宮は無格社日枝神社に、大正4年には本社の官幣大社昇格に伴い日本橋日枝神社と改称されました。現在の社殿は大正12年9月の関東大震災後、昭和3年に造営され、境内末社(北野神社・稲荷神社・浅間神社)が合祀されました。昭和20年3月の東京大空襲により罹災しましたが、直ちに補修を行い、昭和41年に御屋根葺替と大修理を加えました。平成22年には再び、老朽化した社殿に外装工事を施し今日に至ります。なお正面の石鳥居は、万治年間に本社石階段下に設けられましたが、昭和36年に現在地に移設されました。●年中行事:6月13日(隔年)例祭。3月2の午日稲荷祭。5月25日天神祭。7月1日浅間祭。6月・12月末大祓。』
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