何度か紹介していますので由緒等は下記のリンクを参照ください。
松尾神社横の稲荷神社社殿と鎮守の杜が無くなったので、かなりすっきりしています。
以前は鬱蒼としておりました。
まるで別の神社のようです。
何ができるんだろう。
何度も訪れていますが、あれから住吉伍長とも遭遇しておりません。
社号標(明治41年4月15日)。
護穀神社。
狛犬一対。
狛犬紀年銘・石工。
護穀神社本殿。
松尾神社。
松尾神社本殿。
末社や猿田彦大神の碑などは見やすくなりましたね。
三神功徳之碑。
境内が明るくなってこちらもかなり読みやすくなりましたね…読みませんけど。
参道。
この付近は年々風景が変わっていきますね…これからも。福島藤助宅、富田稲荷神社方面へ。
長安倶楽部(大正9年に第5回奥羽6県清酒品評会の弘前市開催が決定した際、祝賀会場が無かったため、福島藤助が個人で建てた私設公会堂。後に市民にも開放され、結婚式、演芸などの諸会合に使われました。)跡地(その後、小野病院、秀芳園)も工事していました。
まだ空き地状態ですが。
ここから五重塔が見えることも無くなるでしょう。
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