イメージ 1
何度か紹介していますので由緒等は下記のリンクを参照ください。
イメージ 2
松尾神社横の稲荷神社社殿と鎮守の杜が無くなったので、かなりすっきりしています。
イメージ 3
以前は鬱蒼としておりました。
イメージ 4
まるで別の神社のようです。
イメージ 5
何ができるんだろう。
イメージ 6
何度も訪れていますが、あれから住吉伍長とも遭遇しておりません。
イメージ 7
社号標(明治41年4月15日)。
イメージ 8
イメージ 9
護穀神社。
イメージ 10
狛犬一対。
イメージ 11
イメージ 12
狛犬紀年銘・石工。
イメージ 13
護穀神社本殿。
イメージ 14
松尾神社。
イメージ 15
イメージ 16
イメージ 17
松尾神社本殿。
イメージ 18
末社や猿田彦大神の碑などは見やすくなりましたね。
イメージ 19
イメージ 20
イメージ 21
三神功徳之碑。
イメージ 22
境内が明るくなってこちらもかなり読みやすくなりましたね…読みませんけど。
イメージ 23
イメージ 24
参道。
イメージ 25
この付近は年々風景が変わっていきますね…これからも。福島藤助宅、富田稲荷神社方面へ。
イメージ 26
長安倶楽部(大正9年に第5回奥羽6県清酒品評会の弘前市開催が決定した際、祝賀会場が無かったため、福島藤助が個人で建てた私設公会堂。後に市民にも開放され、結婚式、演芸などの諸会合に使われました。)跡地(その後、小野病院、秀芳園)も工事していました。
イメージ 27
まだ空き地状態ですが。
イメージ 28
ここから五重塔が見えることも無くなるでしょう。
イメージ 29
関連記事
イメージ 30
イメージ 3
イメージ 2