
青森市荒川南荒川山国有林酸ケ湯沢。地獄沼の近くです。酸ヶ湯温泉の前に岩から流れ出る清水があり、その名を「辰五郎清水」といいます。鹿内仙人の愛称で親しまれた八甲田山の案内人鹿内辰五郎(明治13年-昭和40年)から名付けられたものです。現在の仙人岱の「八甲田清水」も地元では仙人が発見したので「辰五郎清水」と呼ばれています。

酸ヶ湯温泉の鹿内仙人は呼ばれる円い帽子をかぶり、詰め襟の服を着て、胸にたくさんの勲章バッジをつけた山案内人です。青森市の農家の長男に生まれ、小学校を出て13歳から酸ヶ湯温泉で働きます。仙人は13歳の時から20km余の山道を歩いて荷物を運搬したり、湯治客の山の案内をしていました。バス発着の度毎にラッパを吹いて乗客を歓送迎したり、八甲田山の遭難救助等では数多くの功績(500人以上)があります。文人大町桂月や植物学者牧野富太郎らも案内。強壮剤になるといってナメクジやカエルを丸呑みした逸話が残されており、その様子を大町桂月が「なめくじを喰ふ男ありぶな林」と詠んでいます。

八甲田雪中行軍遭難事件(明治35年1月)の時は兵役で弘前の歩兵第三十一連隊に所属しており岩木山で訓練していましたが、八甲田に詳しいことから直ちに捜索隊に派遣され、沢に迷い込んだ生き残りの5人を発見し救助。昭和36年に黄綬褒章を受章。

仙人と棟方志功は青年時代の無名の頃から大変親しく、次のような逸話が残っているそうです。『八甲田の登山中、仙人が笛を吹くとタカが飛来し頭上を舞った。両翼には日の丸のような模様があり「志功、あれはかみのタカだ。おまえは将来世界一偉くなるぞ」と仙人が云うと、志功は地べたにひれ伏し手を合わせ神のタカを拝んだ』。その後、棟方志功は「世界のムナカタ」となりました。親交の深い八甲田の仙人「鹿内辰五郎」を讃え、棟方志功揮毫による石碑が建立されました。

裏面。

紀年銘は昭和31年10月8日。

生前に建立されたものでした。


隣りの石碑…『墓?南無地藏大士■■…(下部埋もれています)』

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yuki
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