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羽田神社(大田区)』からの続き。
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羽田富士塚へ。鳥居額束は「羽田富士山」。
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天水桶一対(羽田横町)。
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夫婦擬宝珠。
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願掛け擬宝珠となっており、お願い事を念じながら擬宝珠に水を掛けるといいそうです。御利益は夫婦和合・夫婦円満・良縁・安産。
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『平成23年3月11日(金)午後2時46分「東北地方太平洋沖地震」が発生しました。地震により発生した津波やその後の余震により引き起こされた大規模な地震災害は東北地方に甚大な被害をもたらしました。当社も被災し「灯籠倒壊」「神輿殿屋根瓦落下損壊」「樹木倒壊」等の被害がございました。運良く参拝者が通らず、大きな事故に繋がらなかったのは、大神様のご加護かと存じます。この灯籠擬宝珠は倒壊の際、参道上に内側へ寄り添う様に落下しました。羽田神社の御祭神は「須佐之男命」「稲田姫命」ご夫婦二柱です。落ちて尚寄り添う「夫婦擬宝珠」は「愛」の象徴です。ここに奉鎮し、被災地の復興と穏やかなる未来を祈念致します。平成25年12月』
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富士塚…『富士塚は、富士山の信仰団体である富士講の講員たちが、実際の富士山に登れない者のために、富士山を模して築いた人工の小山である。この塚は、大田区で唯一の存在で、俗に「羽田富士」と呼ばれ、明治初年に築造されたと伝えられる。冨士講の人々が富士山に見立てた富士塚を登詣する習俗は、江戸中期安永(1772-1780)の頃から、関東を中心として各地に起こったといわれる。羽田ではこの習俗が昭和50年代頃まで、毎年7月1日の山開きに行われていた。昭和49年2月2日指定大田区文化財。』
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手水石。
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八幡形花崗岩石鳥居寄付者名碑。
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富士塚。
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山頂に浅間神社、二合目に水神宮と辯才天になっています。
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浅間神社。
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狛犬が一対あります。
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池もありました。
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鈴納稲荷神社。祭神宇迦之御魂神。創建年天明5年(1785年)。
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手水石。
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狐一対。
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遷宮記念碑(鈴納稲荷神講)。
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『羽田猟師町の名主鈴木五右衛門氏が天明4年(1784年)羽田村名主石井四郎右衛門氏より三町五畝の干潟を譲り受け、その周囲五十間四方に堤防を作り開墾を始めました。名主鈴木弥五右衛門が造成した土地を鈴木新田とし、無事に納まるように鈴納耕地と名付けました。度々の風雨や洪水で堤防が決壊し住民が困ったので、これを防ぐため屋敷の近くに稲荷社を建立して鈴納稲荷と名付けました。鈴納耕地の安全を祈願しました。昭和20年9月21日強制立退き後、昭和31年2月(1956年)午の日現在の地に鈴納稲荷社を建立しました。』
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増田稲荷神社。祭神宇迦之御魂神。創建年不詳。
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狐一対。
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石灯篭一対。
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石灯篭。
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『環状八号線と高速、横羽線が交わるあたり一帯は徳川幕府中期以降、増田市左衛門が開墾したので増田新田と呼ばれ、近年迄六間堀に増田橋が架けられていました。増田稲荷神社は高速上り線羽田出口(現、羽田一丁目十番地)付近に祀られていたが戦後、京急及び道路の拡幅に伴い、関係者、有志の願いが許され羽田神社の境内社として移されました。古老の話として、祠の中は子供達が遊ぶ事が出来た親しみのあるお稲荷さんだったとの事です。』
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日枝神社。祭神大山咋神。創建年江戸中期。
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狛犬一対。
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手水石。
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石碑(右側が欠けています。蒲田区青年團第二分團)。
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遷宮之記(昭和36年4月・宮司橋爪隆尚)…『日枝神社は古来羽田村の土地神にして郷土の成長発展と共に数百年の歴史を累ねたる舊社なるところ熟時代の推移に鑑みるところあり氏子崇敬者の総意によって這度羽田神社に合祀しその境内神社として永久に斎きまつるものなり』
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『西町・前河原の守護神として祀られ、文化年間の古文書にも記されている社です。御祭神「大山咋命」は五穀豊穣、家内安全、景気回復にご神徳があると言われています。太平洋戦争で廃失(昭和20年4月15日)しましたが、昭和24年、現大田区体育館の所在地にライオン株式会社があり、敷地に焼失を免れた社があったのでそれを頂き羽田2-28-5に再建いたしました。その後昭和36年、両町会の合意により、羽田神社に合祀を願い、許されて境内社となりました。別名「山王さん」と呼ばれ、神使いは「お猿さん」で町民から親しまれ毎年4月29日に社前祭が豚行われています。』
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羽田稲荷神社。祭神宇迦之御魂神。創建年不詳。
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狐一対。
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石灯篭一対。
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手水石。
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『現つばさ高校辺りにあった井上軍左衛門宅の庭内神社として祀られていましたが、引っ越しに際し昭和55年11月、羽田神社境内末社となりました。御祭神は伏見稲荷神社から分霊をいただきました。』
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八雲神社之碑(疱瘡神)。病気平癒・身体健全。
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『かつて「疱瘡」(天然痘)は、子供たちにとって最も恐ろしい病気であった。人々はこの「疱瘡」に対して畏敬の念を表し、その原因を「疱瘡神」によるものとして崇め祀ってきました。羽田神社には、社殿右側に、「疱瘡除祈願御札の碑」があり、この碑は天保12年に、将軍家定が疱瘡治癒祈願に訪れた事績によるものです。この参拝により流行病が治癒したことから、病気平癒の神としても信仰され、病気平癒や身体健全を願う多くの参拝者が訪れています。震災や戦災を逃れ、石碑は当時の姿を保っているものの、現在は保護のためフェンスで覆われています。石碑には、次の言葉が刻まれています。「八雲神社之碑 蒲田梅木堂主仙鶴隠士謹識 羽田村羽田神社境内 羽田村 社務所 当村氏子の輩十五歳以降は男女とも疱瘡すべからず、たとへ十五歳以前なりともかならず安全に致す事にて、ひとへに大神の神力加護にあづかる処なり、依て信心の銘々氏子加入の志これある輩、社務所へ申出られ、御札守木差し可申候、文久元酉年正月 日 改」』
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鳳輦庫。
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鳳輦庫の横にある三の鳥居。
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『昭和63年の羽田神社新社殿御造営に合わせ「都南羽田の会有志(代表故田中豊彦氏)」によりご奉納を戴き、建立以来20数年間「三の鳥居」として親しまれて参りました。平成22年6月、永年の風雨に晒され根本からの腐食劣化が激しく、多くの参拝者が通る参道であり現状危険であるとの判断のもと、寄贈者・関係者各位にご理解を戴きやむなく撤去となりました。撤去後、根本腐食部分を取り除きこの場所へ移設されました。』
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鳳輦庫の横にある羽田神社社殿竣工記念碑…『このたび羽田神社社殿御造営につき氏子崇敬者各位の絶大なる御協力により荘厳華麗なる新社殿が竣工せり。旧社殿は昭和28年木造にて竣工す。然るに月日の経過するに従い各部の損傷甚だしく種々祭典や行事にも支障があるにより関係者協議の結果鉄筋コンクリート造の新社殿の新築を行う事に決した次第である。本日新社殿の竣工奉祝祭を斎行するに当り後世の為にこの記念碑を建設す。昭和63年5月14日四代宮司橋爪隆尚。※以下羽田神社社殿御造営奉賛会役員名は省略』
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